第二百四十一話 緊急非常態勢《レッドアラート》
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「カイトしゃん、しっかりお休み出来たのよ?」
「おかげさまで。途中からうとうとして三時間は眠れたよ」
きっと僕以上に緊張で疲れていたのがリシィだったのだろう。
何だか久し振りに駄々っ子リシィが顔を覗かせ、先程は幼子のように抱っこをせがむもんだから、僕もその気になって彼女を抱き締めた。
その後は程なくして寝息を立て始めたから、彼女をベッドに横たえ寝顔を見ているうちに僕も眠ってしまったんだ。
そして目を覚ますと、真っ赤な顔のリシィが目と鼻の先でこちらを見ていたから、驚いて仰け反ったせいでベッドから転げ落ちたのが少し前。
「シュティーラは? 出航準備はどうなっている?」
今は艦橋で艦長席に座っている。
思わず艦長を請け負ってしまったけど、そもそも僕は前線に出るし、その役をこなせるだけの知識もない。艦のことはアシュリンが全てこなしてくれるのだから、事実上の艦長ということで彼女で良かった気もする。
リシィは艦長席の後ろに設けられた上位指揮官用の椅子に座り、何やら頭を抱えているので多分先程のことで思うところがあるのだろう。
アシュリンは隣に立ち、僕の問いに対して情報をディスプレイに映し出した。
「シュティーラさんは、最も混乱していた右舷格納庫なのよ。やっぱり始めて乗艦する時はみんな驚いて足が止まるから、お尻をぺしぺしって引っ叩きに行ったのよ」
「そ、そうか……輸送機ですら驚きと興味で人だかりだったからな……。
「それが二時間ほど前なのよ。それ移行はなめらか~に事が進んで、行政府から最後の輸送機が到着すれば後は物資の繋留を済ませるだけなのよ~」
「鬼軍曹がビシバシと人を急かす様子が目に浮かぶようだ……。えーと、昼過ぎには出航出来そうだね」
「なのよ~。だけどカイトしゃん、これを見て欲しいのよ」
「うん、なにこれ? あ、軌道か……って、【天上の揺籃】の周回軌道!?」
アシュリンが僕に見せたのは地球の三次元レーダーマップで、衛星軌道上にひし形で表示されるリアルタイムの動体と矢印の予測進路は、明らかに【天上の揺籃】がルテリアの直上を通ることを示していた。
リシィまで身を乗り出し、僕の目の前で浮かぶレーダーマップを見ている。
「あれには確か、【ダモクレスの剣】が搭載されていたよな……?」
「ふふり、所詮は一基だけなのよ。こんなこともあろうかと、アシュリンは地上に崩落した【ダモクレスの剣】を発掘、稼働状態まで整備しといたのよ! その数は何と九基も! も! 褒めて欲しいのよ~」
「お、おお……アシュリン凄い! 思わず見直したよ」
「本当に凄いわ……。これで決着がつくなんてことはあるのかしら……」
「それは無理なのよ~、目的はさらわれた人々の奪還なのよ?」
「そ、そうだったわ……。私たちが守るべきは、時の彼方から連れ去られた人々もなのよね……。それならどうするの?」
「最低でも相手の【ダモクレスの剣】の破壊と、出来ることなら【イージスの盾】をオーバーロードさせたいのよ」
【天上の揺籃】は要塞でないことから対艦武装の数は知れている。
とはいえ、要塞級に比類する【イージスの盾】が侵入を阻むと言うから、まずはこれを突破しないことには邪龍の喉元に食らいつくことも出来ない。
「アシュリン、【天上の揺籃】がこちらへの攻撃可能範囲に到達するまでの時間を算出、出航準備状況と比較してどのくらいの猶予がある?」
「ないのよ」
「えっ!? か、完全に迎撃するつもりの算段……?」
「ふっふ~り、アシュリンに不可能はないのよ!」
「だと良いけど……」
「こんなこともあろうかと」と言うのなら、迎撃出来ない状況に追い込まれる場合も想定しておくべきだけど、アシュリンは妙にこういうところが人間くさいな……。
いったい何者が、なくても良い“慢心”なんかプログラムしたんだ……。
何にしても、報告、連絡、相談……まずはシュティーラにも伝えて……。
「到達までの時間は?」
「三分なのよ」
「はあっ!?!!?」
これは流石に任せておけない……!
「全艦に戦闘待機発令! 出航準備!」
「ええ~、大丈夫なのよ~?」
「復唱!」
「全艦に戦闘待機発令! 出航準備なのよ!」
それと同時に艦内にはけたたましい警報が鳴り響き、緊急非常態勢を示す発光が視界を赤く染め、緊急出航を告げる放送がスピーカーから流れ始める。
艦橋には僕たちの他に誰もいない。航法に関してはアシュリンに頼るしかないけど、戦闘まで彼女に頼るのは今の対応からかなり不安だ。
『艦橋、この警報は何だ! 何が起きている!?』
艦内通信で呼びかけるシュティーラがディスプレイに映し出された。
場所は……未だに右舷格納庫、背後では警報に戸惑う人々も確認出来る。
「シュティーラ!」
『カイトか!? 何事だ!?』
「直上を【天上の揺籃】が通過する、時間は……残り二分! 本艦はこれより緊急出航、回避行動を取る! 格納庫は閉鎖、繋留の済んでいない荷には近づかないよう皆を誘導してくれ!」
『なん……だと……! セオリム、ガーモッド卿、貴様らも手伝え!』
ベルク師匠もセオリムさんも格納庫か……。
この時代の人々は、一般市民でもそれなりの運動能力と固有能力を備えているため、今はただ緊急対応に自らの能力を活用してくれることを祈るしかない。
「アシュリン!」
「外部扉、艦内隔壁全閉鎖、艤装固定位置、ジェネレーター出力安定稼働中。後はカイトしゃんの命令ひとつでいつでも行けるのよ~」
「アルテリア、緊急発進!!」
艦が唸りを上げ、ゆっくりとだけど確実に外の景色が流れ始めた。
「リシィ、椅子のベルトを締めて」
「え、ええ、これを繋げれば良いのよね」
「そう……」
「あ~! 大変なのよ~!」
「どうした!?」
「【ダモクレスの剣】の起動に失敗! 迷宮の崩落で損害を受けてたのよ~!」
「ひとつも……?」
「ひとつもなのよ~!」
「言わんこっちゃない!!」
艦は湖を掻き分け重力の縛りから逃れ始める。出航は順調、だけど直上を抑えられた状態でこのまま見逃されるとは到底思えない。
「アルテリアにも【イージスの盾】はあるんだよな!?」
「当然あるのよ! それでも直撃は耐えられないのよ!」
「なら、出力の全てを艦体上部に! 取舵一杯最大戦速! ジェネレーターの損傷覚悟でルテリアから出来るだけ離れろ!!」
「根源霊子炉出力百パーセント超過! 出航間際で本当に壊れるのよ~!?」
「何とかしろ!!」
「アシュリン使いが荒いのよ~!?」
巡洋戦艦アルテリアは舵を左に切って港から離れ、上昇するため艦首を上へと向け後部に傾いていた艦体は、更に左舷側に大きく傾き始めた。
出力の全てを推進力と【イージスの盾】に回した艦内は重力が戻り、急加速が僕とリシィを椅子に押しつけて身動きを取れなくする。
それに比べ、アシュリンは僕の椅子に手を添えるだけで立ったままだ。
「艦の直上に高エネルギー反応! やっぱり撃って来たのよ!」
「ぐぎぎ……まだ、まだだ……!!」
正面メインディスプレイには直上の望遠映像が映し出され、遠く黒い影になった巨大なひし形が通り過ぎて行くのが見えている。
慌てるな……機会は一度だけ……四千人の命を守る責任……一人たりとてこんなところで死なせるものか……!
僕は目を皿のようにしてディスプレイを凝視し、その瞬間を待った。
【天上の揺籃】から青光が迸る、ただその一瞬だけを。
「面舵一杯両舷前進一杯!! 全艦耐衝撃防御!!」
「おもぉかぁぁじっ!! 全艦耐衝撃防御なのよ~!!」
それまで左に傾き続けた艦が、今度は急激に右へと傾き始める。
艦体は軋み悲鳴を上げ、次第に迫る青光は外の光景を青白く染めていく。
急転舵に体は振られ、僕は内蔵を吐き出してしまいそうな感覚に陥った。
そして艦体が右に傾いた瞬間、アルテリアは強い衝撃に襲われる。
――ドオオオオオオオオォォォォオオオオォォォォォォォォォォォォッ!!
「うおああああああああああああっ!!」
「きゃああああああああああああああっ!!」
リシィの悲鳴が聞こえる、警報は被弾を示す単音の連続に変わり、巨艦を揺さぶる衝撃はどれほどのものか、体は固定される椅子の上で揺さぶられ続けた。
【ダモクレスの剣】……大地を岩盤ごと引っ繰り返してしまう“青光の柱”。
その直撃を受けて無事だった艦は、神器の記録の中には一隻たりとてなかった。