第二百四十話 姫さまの甘え
「ふえぇ……大変でしたぁ……」
「テュルケ、ご苦労さま。大活躍だったわね」
「えへへ! 姫さまのメイドとして、お役に立てて良かったですです!」
食堂の奥の席では、ノウェムとガーモッド卿とアディーテが朝食を取っていた。
私とカイトだけシュティーラに呼ばれたから別行動だったけれど、結局は合流することになってしまったわね。
室内には真っ白な長机がいくつも連なり、人々の多くが簡素ながらも洗練された清潔な環境で、和気あいあいと食事をしている。
そうしてしばらく私とカイトも一緒に食事を取っていると、給仕と調理補助をしていたテュルケとサクラが戻って来たの。
「サクラ、テュルケ、お疲れさま」
「はい♪ 利用者が多いので、『鳳翔』の従業員を総動員してようやくですね。他の食堂も同じような状況なのでしょうか?」
「航法と戦闘関連以外の自動化は後回しだったみたいだから、こればかりは人力でどうにかするしかないね。食事時は増員してもらえるよう相談してみるよ」
「仕方あるまい、昼は我も調理を手伝おう」
「え、ノウェムが料理を出来るなんて初耳だよ?」
「言うてないからな。主様の良き妻になるためローウェから習っていたのだ、野菜くらいなら切れるようにはなったぞ」
「ふむ、某の体では調理場に入れん……。物資搬入の手伝いをしよう」
「アウー、なら私はおにくとおさかなを焼くー!」
「そ、それなら私もカレェを……」
「リシィは僕と休息だ。今の状況でリシィが料理なんかしたら、“龍血の姫”の恩恵に与ろうと人々がここに殺到することになるよ」
「う……そ、そうかしら……。カイトと大人しくしているわ……」
「大丈夫ですです! 姫さまの代わりは私が勤め上げますです!」
「テュルケ、ありがとう」
食事は“板”のようなものが挟まっているサンドイッチと、後は目玉焼きと塩漬け肉にサラダとスープも添えられて簡素だけれど、流石は『鳳翔』の料理人が作っているだけあってとても美味しいわ。
「このサンドイッチに挟まっている板は何かしら? 色で味が違うのね」
「レーション……糧食の類だと思う。艦内で人工的に作られているものだよ」
「はい、調理場の機械から出て来ますね。ゼンジさんは味気ないと嫌がっていましたが、結局は手が足りずに使ってしまいました」
「味は美味しいけれど、食感は弾力があって不思議な噛みごたえだわ」
「効率良く栄養を摂取するためのものだから、その辺りは二の次かな」
「アウー! ボタンを押すといくらでも出て来るー!」
「限度はあるだろうから……程々にね……」
―――
食事を終えた後は、私の落ち着かない様子を察してくれたのか、直ぐにカイトが食堂から連れ出してくれた。
テュルケとサクラとノウェムはそのまま残り、ガーモッド卿とアディーテは物資搬入を手伝うと格納庫に向かったようね。
戦力の足りない状況を改善するには、“龍血の姫”の名を前面に押し出すしかなかったから自ら矢面に立って自業自得だけれど、今はカイトと二人きりどこか落ち着ける場所で話がしたいわ。
「こちらでお休みください」
「ここ? 随分と艦橋に近い……ああ、艦長室か」
「はい、ご用名がありましたら、いつでもアシュリンをお呼びください」
私たちを部屋まで案内してくれたのは、アシュリン三号機のヘルムヴィーゲ。
彼女は今のアシュリンとも良く似ていて姉妹のようで、差異があるとしたら腰までの緑色の髪を後頭部でひとつ結びにする髪型くらい。
カイトが壁についている板に触れると扉が自動で開き、ヘルムヴィーゲはそれを確認すると頭を下げどこかへと去って行った。
「あれ、リシィも僕と同じ部屋で良いのか?」
「ええ、今は構わないわ。別に寝るわけではないもの」
「そうか、それならここで時間まで休息を取らせてもらおう」
カイトはそう言って部屋の中に入る。
「あれ、ベッドがあるな……。家具はないと聞いていたけど……」
艦長室ということで室内はそこそこの広さがあるけれど、ベッドがぽつんと置いてあるだけの空間ばかりが目立つ部屋だった。
窓もなく相変わらずの白い壁には汚れもなく、明かりは天上の四辺が光っていて光源そのものは見えない。
どこを見ても本当に不思議。いくつかの【神代遺構】を見て回ったことはあるけれど、年月の経過のせいでただの遺跡にしか見えなかったもの、これが本物なのね。
そんな中でカイトは特に気にする様子もなく、ベッドに座り弾力を確かめている。
「うん、柔らかい。掛け布団はないけど、リシィがここで横になると良い」
「……」
私はカイトに動く暇を与えずベッドの隣に腰掛けた。
「もう、カイトを休ませるため皆も気を使ったのに、ベッドを私に譲ってどうするの」
「え、あ、ああ……特に疲れてはいないから、リシィが使うかなと思って。はは」
「ふぅ……カイトらしいわ。良いから座ったままでいて、お願い」
「わ、わかった……」
カイトは落ち着かなさそうに、何もない室内に視線を彷徨わせている。
そ、そうよね……男性が座るベッドに座って……それどころか部屋で二人きり……わ、私ったらどうにかしているわ……。自分で望んだことだけれど、決戦を前に控えて高揚した気分はどうにかなってしまいそう……。
落ち着けないのは、本当は注目の中にいたからではなかったの……。
これで終わりかも知れない……そう思うと泣き出してしまいそうで、ただ私はどこか静かな場所で、か、彼が傍にいてくれたら良かっただけ……。
うぅ……皆に気を使われたのは、私のほうなのかも知れないわね……。
「あの、カイト……前に一度お願いしたけれど……」
「うん?」
「この戦いが終わったら、私の故郷に一緒に来てもらえる?」
「それは……」
「わ、わかっているわ! “ふらぐ”という迷信だと言いたいのよね!」
「いや、違うよ。どんなフラグも持てる力の全てをもって覆し、もうとっくに覚悟も決めているからどこへでも付き従うだけだ。僕はリシィの騎士である以上に、一人の女性に惚れてしまった一人の男だから、元より君の傍を離れるつもりはない」
「んっ……カ、カイトのバカ……」
「ご、ごめん……調子に乗りました……」
顔が熱い……今の私の瞳は何色になっているのかしら……。
カイトを見れず、俯いてスカートを握り締める自分の手ばかりを見ている。
出航の前にもっと話したいことがあったけれど、今ので全てが吹き飛んでしまった。
ど、どうしてカイトは、私が思い悩む時は必ずと言って良いほど、心から欲してやまない言葉をくれるのかしら……。
ほ、本当にカイトのバ……いえ、して欲しいことも素直に伝えられない私こそバカなんだから……。
「カイトは、元の世界に……ううん、元の時代に帰りたいとは思わないの?」
「前も同じことを聞かれたけど、リシィを置いてどこかに行く選択肢はないよ。場所は関係ない、僕にとっての帰りたい場所はリシィの傍だけだ」
「うっ、ううぅ……カイトはいつもいつもずるいんだからっ……」
「ごっ、ごめんなさいっ!? 何か気に触ることでも……?」
「違うのっ! これだけ真っ直ぐに見てくれているのに……素直になれない私も……鈍感すぎるカイトも……こうまでしても、貴方はきっと飄々としているんだわっ!」
「ふぉっ!? リ、リシィ……それはつまり……」
もう何か、支離滅裂でどうしようもないわ。
私には、彼に伝えたい想いがある。
全てが終わってからと思い、けれどそれでは間に合わないかも知れないとも思い直し、それでもやはりどうにも素直になれなくて……。
一度、明確に伝えたはずなのに……あれは、カイトの中ではどうなっているのかしら……だから、今度こそしっかりと伝えたい……けれど……今は……。
「知らないっ! んっ!」
「えっ? リシィ、何? どうしろと……」
「んーーーーーーっ!!」
も、もう何か……どうして良いかわからないあまりに、精神が幼児退行してしまったようだわ……。両腕を広げて抱っこをせがむなんて、完全に子供ね……。
幻滅させてしまったかしら、“龍血の姫”らしくない姿に呆れられないかしら、だって他にどうしようも出来ないんのだもの、仕方がないわ。
それでもカイトは、こんな状態でも察してくれたのか、困ったような表情をしながらも私を抱き締めてくれた。
「リシィ、ありがとう」
カイトにこうしてもらえるのが、私にとっては一番の安心……。
けれど、彼は何故お礼を言ったのかしら……。
これにて第八章の終了となります。
ここまでお付き合いいただき、誠にありがとうございました。
続きまして前後編の後編、第一部最終章を間髪入れずに開始します。
出航から偽神との決戦まで、手に汗握る戦闘をお楽しみいただけたら幸いです。