第二百三十七話 雨雲に閉ざされた世界で
迷宮探索拠点都市ルテリアを奪還してから六日が経過した。
宇宙に上がる未知と、何より対峙する相手が“神龍”ということもあり、議会決議も志願者の招集も迅速にとはいっていない。
それでも六日はまだ早く、だとしても邪龍がいつ本格的な侵攻を開始するかもわからない状況では遅く、ただただ辛酸を嘗めるような心持ちでいるしかなかったんだ。
そんな時に伝わる情報も、更に暗澹たる影を落とす要因となってしまっている。
「本格的に動き出したか。これ以上に手をこまねいては埒が明かん、議会の老いぼれ共は説得したが……ツルギ、探索者の招集はどうなっている?」
「残念ながら、予測される敵性戦力に対するにはまるで足りません。時間もなく、招集に応じるような探索者の多くは、この一ヶ月の戦闘で負傷した者も少なくないのが現状です。志願者は未だ百二十四名、これ以上はルテリアの防衛戦力を割くしかありません」
「邪龍を何とかしなければ滅びを待つのみだぞ! それがわからんのか!」
「シュティーラ、多くの人々にとっては実感のないことだ。自分たちが神と崇める神龍が敵に回るだなんて、誰だって信じたくはない」
「ぐっ、不甲斐ない……! ルテリアを放棄すればあるいは……!」
「シュティーラ、早まらないで。守るべき民を捨て行くことは出来ないわ」
今朝、巡洋戦艦とセントゥムさんのいる天の宮との間に通信が繋がった。
天の宮からの観測情報によると、地上では少し前から全ての国に墓守が襲来、数日が経過してもなお戦闘状況は継続しているとのこと。
現在、ルテリアの多くの民が避難した隣国エスクラディエ騎士皇国、聖テランディア神教国も同様に防衛戦闘態勢に入り、これ以上の増援も望めない。
そんな報告を聞きながら、僕、リシィ、シュティーラ、ツルギさんの四人で、行政府の廊下を表に向かって足早に進んでいる。
既に表の広場には輸送機が到着しているけど、ツルギさんの言う通り、【天上の揺籃】に乗り込んだ後の白兵戦力が圧倒的に足りないのは事実。
各国の支援を得られず、崩壊したルテリアも戦力が足りない、こんな状況では誰も彼もが怖気づくのは仕方がないことなんだ。
「ハイ、カイト! 辛気クサい顔してるワネ!」
「HAHAHA、辛気クサいとはこんな顔でござるか?」
「ニック、シャラップ! サクラがいないといつもその顔だワ!」
「オゥ、アリーはいつも辛辣でござる!」
「あ、アリーとミラー、久し振り。相変わらずだね」
廊下の途中で待っていたのはアリーと、相変わらずござる口調のミラー。
アリーも相変わらずピンク色だけど、長く迷宮にいたせいかふてぶてしさはそのままに、顔つきからは幼さが薄れどこか精悍な様になっていた。
シュティーラの前でも腕を組みながら仁王立ちで、まだ年若いはずなのに怖気を知らないのは、良いことなのか悪いことなのか将来が少し心配だ。
「カイト、アリーたちも行くワ! ジャパンサブカルチャーでは付き物よネ、“昨日の敵は今日の友”! 頼りになる強敵の再来だワ!」
「えっ、それはありがたいけど、無事に生きて帰れる保証はしないよ?」
「あったりまえヨ! アリーの固有能力抜きで墓守の軍団を突破出来ると考えるなんて、カイトも耄碌したものネ!」
「シュティーラ、あんなことを言っているけど、行政府としては良いのか?」
「構わん、私が呼び寄せたからな。その力はまだまだ我々のために役立ててもらう」
「そうか、本音を言うとアリーには一緒に来て欲しかったんだ。ルテリア防衛の基幹でもあるから最後まで悩んだけど、頼りになるよ」
「素直なのはカイトの良いところネ、それだけは認めてあげるワ!」
「カイト殿、拙者も頼りにして欲しいでござる!」
「だけど、墓守に対して“認識阻害”はあまり有効ではないから……」
「オゥッ、ジーザス! そりゃないでござる!」
アリーの墓守に対する“制御”能力は、使い方次第では戦力差を引っ繰り返す稀有な能力でもある。
それを攻撃に使うか防衛に残すかで考え、迷宮から戻って来ていると聞いていたので、この後で直接会って同行を頼むつもりだったんだ。
どう考えたところで、彼女の能力が足掛かりになることは確かだから。
「アリー、私からもお願いするわ。私たちと共に戦って」
「プリンセスリシィ、今更ヨ。アリーのハートを弄んだ邪龍は当然ぶっ飛ばすワ! ステイツからの来訪者も、多くがあの戦艦に乗り込んだノ! 同盟国としてジャパンにだけ良い顔はさせない、フレンドシップヨ! わかる? “フレンドシップ”!」
「ふ……ふれ……なに……?」
そう、頼りになるのは何も戦士たちばかりでもない。
巡洋戦艦には既に科学者を中心とした来訪者や、探索者や衛士でもないルテリアの住人も幾人か乗り込んでおり、既に艦内は多国籍軍の様相を示していた。
数はそう多くないけど、アシュリン指導の元で、どうしてもAIだけでは行き届かない瑣末事をこなしてくれているんだ。
親方とサトウさんは技術者を引き連れ、ここしばらくは中央格納庫に引き篭もって何かを組み立てていて、一昨日くらいから全く姿を見ていない。
ヤエロさんのように、ヨエルやムイタを守るために残ることを決意した人もいる。
戦力が足りないからと不満を抱いては、守れるものも守れなくなってしまう。
だから、僕たちは現状で出来ることを考え、ただ最善を尽くして進むんだ。
―――
行政府正門広場、ここを彩り一面を飾っていた花壇はもうない。
その上には多くの人々が立ち、今は数機の垂直離着陸機も鎮座している。
僕たちは行政府を出て、左右に分かれた階段の上からその様子を見下ろした。
人々も、皇女でありルテリア総議官でもあるシュティーラの登場に気が付き、一斉に階段上を見上げたものの、その表情は誰も彼もが暗く沈んだままだ。
武器を手に持つ者も多い。それも百や二百ではなく、この全てが白兵戦力として志願してくれさえすれば、間違いなく桁がひとつ増えるほどに。
「思っていた以上に多いけれど、皆が共に行くわけではないのよね……?」
「追加志願者はありません、現状では見送りが関の山でしょう。サークロウス卿、残る探索者の数を含めるのなら衛士隊の一割は割くことが可能ですが」
リシィが広場の人々の様子を見て問うように呟き、それにツルギさんが答えた。
「探索者はルテリアに縛られていない。ギルドが機能していない今、いつこの街を去ってもおかしくない輩に防衛を任せることは出来ない。不許可だ」
探索者に要請が出来るのは、あくまでもルテリアの防衛協力と墓守討滅。
満足に探索者ギルドが機能していない今となっては強制力もなく、どこにも所属していない彼らに対して出来ることは、ただ願い募ることだけ。
それも今回は相手が“神龍”、有望な探索者は怪我で多くが動けず、突然降って湧いた人類存亡の危機なんて多くが他人事でしかないのかも知れない。
神龍を目の当たりにし、グランディータと実際に会話した僕でさえ、未だ現実感に乏しい空想の中にいるような気分なんだ。
いきなり神龍と戦えだなんて言われても、納得は出来ないよな……。
「カイト、今ここにいる人々が協力してくれるのなら、私たちはこの世界の行く末を、死する運命をも変えることが出来るのかしら?」
「うん? 正直に答えるとそれでも足りないと思う。今は本当なら、世界中の全ての国、全ての人々がお互いに手を取り合う事態ではあるけど、それを伝える手段も時間もなく、誰もが目の前の見える脅威に抗うだけでも精一杯なんだ」
ぽつりと、誰かが終わる世界を儚んで涙を流すかのように、空を覆い隠した灰色の雲が雨を降らせ始めた。
リシィは階段上の手摺りに寄り、僕に背を向け広場を見下ろしている。
何を考えているのか、瞳色の見えない背からは何の感情も窺えず、僕はただ彼女の続く言葉を待つことしか出来なかった。
「カイト、それでも……貴方だけは、最後の時まで私と一緒にいてくれる?」
「ああ、勿論だ。僕は最後の一片になるまでリシィのために尽くすよ」
「ふふっ、嬉しい」
「えっ……」
小雨が降る朝焼けの中、リシィは肩越しに振り返って笑った……ように思えた。
実際には陽の光で目が眩み、影になった彼女の表情は見えていない。
だけど確かに、僕たちの前で、リシィはほんの少しだけ笑ったんだ。
「それならやれるわ。私は“龍血の姫”として、人々の導き手であることを私の騎士の前で誓う。カイト、共に前に出なさい」
「え、あ、ああ……?」
僕がリシィの隣に並ぶと同時に、淀む空に高らかな鈴の音が鳴り響いた。