第二百三十話 空撃 切り裂きの刃槍
「カイトォッ!!」
リシィの僕を呼ぶ声が眼下に遠ざかる。
光槍と水槍が直撃する瞬間、竜騎兵は自らの足元に青光を放った。
詳細はわからないけど、竜騎兵の持つ盾は下部に光線を放つ砲口を備え、ベルク師匠に押さえられながらも自ら進路を反らして空へと逃れたんだ。
僕を巻き添えにして……。
「離す……ものか……」
竜騎兵は一瞬で高空まで至り、ルテリアの瓦礫となった街が遠い。
僕はヒートランスを飲み込んだままの蒼衣を必死に掴み、既に神器の恩恵をもってしても落下すればただでは済まない高所で弄ばれている。
大気が異常に冷たい、水気を帯びた肌は凍りつき、竜騎兵の高速機動により実際に剃刀で削がれているかのように切り裂かれてしまう。
冷気はやがて芯にまで達し体の動きを止めるだろう、そうなれば後は手を離して大地に叩きつけられるのを待つばかりだ。
翼を持たない者の限界、【天上の揺籃】に届かない人の限界。
「主様! 我が支える、こちらへ!」
「ノウェ……ム……!」
ノウェムが銀髪に霜を纏わりつけ、竜騎兵に追いついて来た。
吐く息は白く、小さな手は震え、歪む表情はただ一心に僕を救うためだけに力を振り絞っている。
だけど届かない、竜騎兵は圧倒的な速度で引き離し、その度にノウェムは転移で間際まで寄るけどそれも直ぐに離されてしまう。
凍えた体では、手を離したのか落とされてしまったのかはわからない。気が付くと僕は自由落下を始め、遠ざかる竜騎兵を視界の端に収めながら、必死に追いかけて来るノウェムに手を伸ばす。
右手はダメだ……僕自身を冷やすほどに凍りつき、ノウェムの肌に触れればきっと傷つけてしまう。だから左手で、彼女の小さな手を掴むために、体を大きく広げ大気を受け少しでも落下速度を落として腕を伸ばす。
ノウェムは今にも泣きそうだけど、涙を流せばそれこそ睫毛が凍りついてしまう。
「主様ああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
手は掴めなかった。
何が彼女をそうさせたのか、ノウェムの光翼が突然枚数を増やした。
四枚から六枚に、速度を増し僕の手を素通りして胸に飛び込んで来たから、掴めなかったんだ。
そうして建物に激突する間際、僕はノウェムによって重力の束縛から逃された。
屋根の合間を滞空し、彼女に抱えられたまま少しずつまた高度を上げて行く。
小さな体は寒さからか、いや、危うかった僕を慮ってか震えている。
「あっ、主様はっ、いつもいつも無茶をするんだからっ! 我が追いつかなかったらっ、どうなっていたことかっ! いなくなったらっ、嫌なのっ!」
「ご、ごめん……。だけど今のは無茶と言うよりも、手を離す間もなく連れ去られたと言うか……」
「むうぅーっ! 言い訳は聞かないのっ!」
「ご、ごめんなさい……」
ノウェムは僕の胸に額を押しつけ、怒りながらグリグリと頭を振る。
僕は彼女の肌を凍らせ、綺麗な銀髪に纏わりついた霜をそっと払い除けた。
上空の竜騎兵を見ると、蒼衣に飲み込まれた右腕を切り離して高速機動のまま旋回を始めている。失ったヒートランスの変わりに伸びるのは青光の槍、砲盾も既に盾としては構えず砲口を前面に押し出していつでも発砲出来る状態だ。
リシィを殺すまで、奴は何度でも戻って来る。
「ノウェム、あれに追いつけるか?」
僕は視線で竜騎兵を指し示しながらノウェムに聞いた。
それを聞いた彼女は頬を膨らませ、小さな溜息を吐いてから頷く。
「当然なの。我には転移があるから、どこからでもどんな速度でも、主様の望む時と望む場所にきっかりと合わせてみせるの」
「流石はノウェムだ。竜騎兵を相手に空対空は愚策、リシィを狙って降下を始めた機会を僕たちは更に狙う。奴の、奴らの執着の隙に槍を突き入れるんだ」
「あいわかった、我は主様と一体となり、主様の翼となり、主様の願いをどこまでも共に運ぶ鳥となろう」
「ノウェム、ありがとう」
「くふふ、役に立てるのは嬉しいの」
そうしてノウェムは僕の背後に回って抱き止め、高度を上げ始めた。
僕は【銀恢の槍皇】を再顕現し、銀炎が右腕に纏わりついた霜を溶かす。
竜騎兵は僕たちに見向きもせず、旋回した後は高度を落としている。
アシュリンを見る限り、本来ならもっと臨機応変に対応することが出来るはずだけど、恐らくは邪龍によって刷り込まれた“神器破壊”の執着が判断を鈍らせた。
僕の手にも神器があるにも関わらず、どこまでもリシィを、龍血を狙っている。
「良し、高度が逆転した。途中までは大地と平行に、竜騎兵が速度に乗って狙いを定めたら真上に転移、頼む」
「あいわかった! 我とて、家族に手を出すのは許さないの!」
「はは、その意気だ。後でお礼をしないとな」
「約束なの!」
竜騎兵は屋根の高さまで高度を下げて湖に向かい、僕たちはその上空を出来る限りの速度で追従し始めた。
正面からのルテリアを照らす朝日は眩しく、目を細めると湖岸に盾を構えるベルク師匠と鉄鎚を構えるサクラ、その背後にはテュルケとリシィも見える。向こうも僕たちに気が付いているのだろう、あくまでも迎撃する構えだ。
竜騎兵の加速で大気が弾け、わずかに残った廃墟の屋根瓦が吹き飛んだ。
工房の密集を抜け通りに出ると後は直線、リシィたちまで遮るものは何もなく、砲撃だろうと突撃だろうと湖まで一気に貫徹するだけ。
そうして飛翔する竜騎兵は路面に擦れるほどまで高度を下げ、今度こそ確実に始末をつけるつもりか砲盾に鮮やかな青光が収束し始めた。
「ノウェム!!」
「あいっ!!」
ノウェムの放つ翠光が僕たちの真下で円状となり、空間の断裂を形作る。
転移陣の向こう、眼前には竜騎兵の背、槍を伸ばせば届く外しようのない間隙に僕たちは躊躇せず飛び込んだ。
「落ちろぉっ!!」
今度こそ、この距離ではどう足掻いても避けようがない。
僕はニ翼の背面スラスターの合間に銀槍を突き入れ、穂先は竜騎兵の胴体を貫通し路面にまで達した。
急激な減速は衝撃となって銀槍を伝わり、僕はそのまま投げ出されそうになるもノウェムの“飛翔”によって慣性が相殺される。
「止まれええええええええっ!!」
伝わる震動は腕が千切れそうなほどで、それでも僕は力を振り絞って銀炎を燃やし竜騎兵の内を焼く
だけど止まらない、生体機甲が故に機能する限り、こいつらはどこまでも執拗に目的を遂行しようとする。
頼りにするノウェムの飛翔能力も直接干渉は出来ない、このまま槍で縫い止めるしか今は方法がないんだ。
「ああああああああああああああっ!!」
僕は未だ衰えずスラスターを噴かす竜騎兵の背に下り立ち、両手で銀槍を握って一気に腰を落とした。
銀槍は更に深く路面に突き刺さり、竜騎兵も更に高度を落として胴体で石畳を削るも、それでもまだ止まらない。
「カイトッ!!」
耳に聞こえた最愛の人の声、それだけ接近してしまっている。
ベルク師匠に、サクラに頼るか……否、それは最終手段、やれるならここでやる、こいつが到達し不測の事態を招く前に持てる力の全てを振り絞る!!
「刃槍展開!! 斬り裂けええええええええっ!!」
その瞬間、竜騎兵の装甲の隙間から銀光が瞬いた。
消耗が激しく、世界そのものに干渉するかのような力に恐れ、これまで封印していた奥の手“刃槍”……僕はここぞとばかりにそれを解き放ったんだ。
銀光は収束し、竜騎兵の内部で一筋の閃光となって空間を斬り裂く。
そうして竜騎兵は頭頂から股下までを真っ二つにされ、左右に分かたれた残骸となって路上を転がり、当然その上にいた僕は勢いのままに投げ出された。
ノウェムが慌てて腕を伸ばすも、その手は届かない。
――ポイィィィィンッ
「おわっ!?」
そんな僕を受け止めてくれたのはテュルケの“金光の柔壁”だったけど、落下角が悪かったのか更に湖側へと跳ね飛ばされてしまった。
空中で二転三転と大車輪状態の体は自分ではもうどうしようもない、それでもこれなら最悪は湖に落ちるくらいで済むはず……。
「むぎゅっ!?」
激動の追撃から衝撃へ、そして柔らかさから再び柔らかさへ。
僕は最終的にリシィとサクラによって空中で抱き止められ、湖に落ちることもなく何とか五体満足で地上に戻ることが出来た。
リシィの胸に顔を埋め、サクラの胸を揉みしだく状態なのは本当に偶然だ。
「ご、ごめん……。ありがとう二人とも、助かったよ……」
そうして、リシィとサクラと共に石畳の上で転がり、体を起こそうとしたところで涙目の二人に抱き締められた。
「うぅ……カイト、良かった。連れ去られた時はどうしようかと……ぐすっ」
「カイトさん、お怪我はありませんか? どこか痛いところはありませんか?」
正直、怒られることまで覚悟していたけど、それよりも心配された。
二人の暖かく柔らかい感触が、つい今まで凍えていた身にはとても沁みる。
「僕は大丈夫だよ、ノウェムが助けてくれたから……」
そう言いながらも、僕は湖に視線を向けて三体目を警戒する。
僕が敵対する存在なら、今でこそ追撃するのに相応しい状況だから。
それでなくとも、この世界は最悪に更なる最悪を……。
――ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴッ
「くっ、やっぱりか……! みんな体勢を立て直す!!」
如何な不条理にも立ち向かう覚悟をして来たつもりだ。
それでも今度ばかりは、どうにか出来る相手ではなかった。
最悪をいくら覆そうと、最悪は何度だろうと僕たちを襲い続ける。
湖を割って現出したのは、勝ち目のない超特大墓守“弩級戦艦”だった。




