第二百二十四話 彼女もまた父親を探すのか
こんな事態は予測出来るはずがなかった。
年の頃はリシィとそう変わりない十代後半だろう。男だったら誰もが一度は見惚れてしまう、静けさの漂う美人が表情を綻ばせて胸に飛び込んで来たんだ。
しかも、何故か僕のことを父親だと思っていて訳がわからない。
この場にいる者は皆、親方でさえ驚きのあまり固まってしまっている。
「カッ、カカカカイトッ!? 貴方、娘がいたのっ!?」
「違うよ!? 断じて違う! 清廉潔白、僕はリシィ一筋だ!!」
「んにゅっ!?」
「まっ、まさかっ、我と主様の娘!?」
「絶対に違う!!」
少女に抱き着かれている状況で何とも無様な言い訳か、だけど身に覚えがないのは確かで、これまでの人生で女性と付き合ったこと自体がない。
色恋沙汰と呼べるものと言えば、幼い頃ルコに「カイくんのお嫁さんになる~」と言われたのを唯一覚えているくらい淡いもので、それだって時の隔たりがただの思い出に変えてしまった。
本当にこの娘は誰だ? 僕にとっての何だ? 何でリシィにも似ている?
「ちょ、ちょっとアサギさん、僕に子供はいない。落ち着いて欲しい」
そう伝えると彼女はようやく胸の内から顔を上げ、何かを確かめるように僕の顔をしげしげと眺め始めた。
どこか眠たげな切れ長の目に収まる瞳は暗褐色で、室内をぼんやりと照らす青光の加減によってはほんの少し紫色にも見える。
自分では良くわからないけど僕に似ているらしく、僕自身はリシィに似ていると感じ、更には「お父様」ときたもんだ。ついついリシィとの子供がいる家庭を想像し、妙に生々しい実感が胸に過ぎってしまう。
そうして、アサギさんは飛びついて来た時とは逆に今度はゆっくりと離れた。
既に顔は無表情で、やはり僕には出会った頃のリシィを思い出させる。
「……アサギ」
「え、アサギさん?」
「……アサギ」
「あ、アサギ……」
彼女はこくりと頷いた、呼び捨てで良いと言うことか……。
「うわぁ、カイくんはパパさんだったんだね~」
「驚いたな、あんな顔は初めて見た。どう言うことだ?」
「違うし、僕に聞かれましても……」
「ふえぇ、おにぃちゃんは浮気者ですぅ? 嘘ですよね? 嘘ですよね?」
「テュルケ!? お願いだからその包丁はしまって! 僕はリシィ一筋だよ!!」
「驚きました……。とにかく、今はまだ安静にしてもらわないと困ります。アサギさん、今は大人しく座って傷の治癒に専念してください」
「サクラの言う通りだ。座って、話せる事情を説明してもらえるか?」
アサギは一瞬だけ僕からリシィに視線を移し、再び僕を見て頷いた。
サクラに手を引かれて腰を下ろし、神力による治療が再開する。
「リシィ、テュルケ、とりあえず調理を終わらせよう。話はそれからだ」
「え、ええ、全員分を焼いてしまうわ。テュルケ、次の干し肉をお願いね」
「はっ、はいですです! これで最後です、姫さまお願いしますです!」
―――
リシィによって程良く表面を焼かれ、テュルケが薄く切り分けた干し肉は、サクラが調理したものにも負けじと劣らず、噛み締めるほどに旨味が溢れて美味だった。
他には小振りのパンと水だけだから味気ないとはいえ、今のルテリアでは食料の供給が機能不全を起こしているので、肉が食べられるだけでもありがたい。
「欲を言えばワサビが欲しい……」
「ええ、日本で食べたアレね。肉にも魚にも合う素晴らしいものだったわ」
「ふふ、リシィさんは最初にそのまま食べようとして、カイトさんに慌てて止められましたね」
「むぅ、リシィとサクラばかりずるい……。我も主様の故郷を堪能したかった……」
「うん? まるで日本に戻れたような言い分だが?」
「あっ、はい……。僕とリシィとサクラは、一度日本に飛ばされたんです」
「カイくん、戻れたの? どうやって?」
「神龍グランディータの介入があったから、狙っては無理だと思う。【重積層迷宮都市ラトレイア】の機能のひとつだけど、詳しいことはわからない」
グランディータでさえ、【重積層迷宮都市ラトレイア】については完全に把握しているわけではないとのこと。複雑に絡み合う歯車はいったい誰が組み上げたものか、自分でさえその一部なのかも知れないと言っていた。
それにしても、日本に戻った件についてはまだ黙っているつもりだった。リシィもしまったと言う表情だけど、とりあえずは異世界の体で話せば問題ない。
何にしても、ツルギさんに伝える時は親方にも同席してもらうつもりだ。
「つまり、一度帰れたにも関わらず戻って来たのか。全くお前は大した奴だ」
「あはっ、カイくんはやっぱり私の憧れた“正義の味方”だね」
「そんな大それたものではないけど、僕が封印を解いてしまった邪龍をそのままにはしておけないから……」
何もしなければ邪龍によって人は滅びへと向かう、何かしなくとも他の誰かが邪龍を討滅し、僕が命を懸ける必要もないのかも知れない。
本当に不器用だなと思う、もっと人らしく逃げ惑う術だってあっただろうに。
「親方、アサギ、それで“奴”について教えてもらっても?」
「そうだな……詳しくはわからんが、高機動型の墓守と言ったところか。大きさは人大、武装は高温を発する槍と何らかのエネルギー砲、小型に分類されるが装甲も異常な強度のようだな。背面にスラスターまで装備し飛行まで可能だ」
「うーん……やはり竜騎兵か……」
「私もそう思います。それも本来の外部兵装を纏っているようですね」
「クサカ、何か知っているのか?」
「対龍種殲滅用人造人間、通称“ドラグーン”。対邪龍用に神代で作られた決戦兵器です。アシュリンが言うには、竜騎兵が敵に回ったことで人側は壊滅的被害を受けたとか……。確実に墓守よりも後に生み出された遺物ですね」
「なんてこった……そんな奴がいるとはな……」
実際に戦ったのはアサギだけど、彼女は輪になって座る僕たちの端で黙々と干し肉をかじるだけで、視線を上げてこちらを見ることもなかった。
もう少し情報が欲しい、問いに答えてくれれば良いのだけど……。
「アサギ、僕は君の父親に似ているのか?」
唐突に話を振った僕に、アサギは視線だけをこちらに向けて頷いた。
別に拒絶されているわけでも聞いていないわけでもないらしい。ぼんやりして受動的なだけで、こちらから働きかければしっかりと返してくれるのか。
個人的にも、変な意味ではなく彼女のことが気になる。僕の次に訪れた来訪者が僕とリシィに似ているその理由が、信奉者でなければ誰によって何の目的でここにいるのか、いったい何者なのか。
「君の名前は? 名字も教えて欲しい」
「……アサギ エル」
「うん? それならアサギ、君は何者だ?」
「……アサギ、それ以上でもそれ以下でもない」
「何故この世界にいる?」
「……私は……自分からここに来た」
「そうか……なら君の目的は?」
「……私はお父様を救う。……それだけ」
アサギは表情も変えず、ただ淡々と僕の問いに答えた。
つまり彼女は、自分から“青光の柱”に飛び込んだということになる。
僕に良く似た“お父様”を救うために。
「アサギ、答えてくれてありがとう。父親のことを聞いても?」
だけど、どう言う訳か今度の彼女は首を横に振るだけだった。
「話したくはない?」
「……知る必要はない。……私が覚悟すれば良いだけ」
「そう……か……」
父親については他人が立ち入って良い話ではないんだろう。
アサギの表情は相変わらず無表情だけど、どこか悲しそうにも見える。
本人が話さないのなら、これ以上の追求は気分を害するだけだ。
質問を変えよう。
「それなら、アサギが戦った墓守について聞いても?」
アサギはそれまで僕を見ていた視線を反らし、表情は変わらないものの、俯いて体育座りする足元を見て小さく頷いた。
父親を救うために自らの意志でこの世界に来たんだ。
だというのに傷を負わされた、思うことのひとつもあるに違いない。
グランディータの龍血を受け継ぐ者は、何も僕一人だけではないだろう。
どんなに血が薄くなろうとも確実に人々の繋がりの中で残り続け、連綿と続いた時の彼方で僕以外にも同じような存在が確かにいたはずだ。
恐らくは、それがアサギなのではないかと思う。
“青光の柱”に飲まれた父親を助けに来たといったところか。
偶然にしては出来過ぎている気もするけど、今はこれで納得しよう。
目的が同じなら、僕も親身になって彼女に協力を惜しまない。
まずは“奴”、対龍種殲滅用人造人間を討滅する。