第二十四話 龍血の姫 リシィティアレルナ ルン テレイーズ
「ファラウエア執行官! 増援に来てくれたのか、感謝する!」
橋に近づくと、封鎖していた衛士隊の一人が声をかけてきた。
他の衛士と違って、重装と赤い腕章が目を引くことから、隊長格だろう。
フェイスガードを開けた下は虎のような顔立ちで、どこか疲労の色が見える。
それにしても、サクラのことを『執行官』と呼んだ。保護監督官とは違うのか。
「いえ、ごめんなさい。今は子供を探しに来ました。逃げ遅れた、少年と少女の兄妹を保護していませんか?」
「え? いや、保護してない。ここを封鎖するまでに、通り過ぎた馬車は三十台は確認している。その中に子供も見たが……」
「そうですか、ありがとうございます。引き続き、ここの防衛をお願いします」
「はっ!」
サクラは姿勢良くお辞儀してからこちらを向く、衛士隊長は敬礼したまま微動だにしない。
ノウェムと出会った時の戦闘力と、隊長格にも敬われるかのような扱い……ひょっとしてサクラなら、この状況を収拾出来るんじゃないか……。そう思うのは期待のし過ぎか……女の子を戦地に送るのも感心出来たもんじゃない。
「子供は見ているそうですが、その中にヨエルくんとムイタちゃんがいたかどうかまでは、わからないそうです。これより先に進むとなると、私たちも無事では済みません。保護監督官としては、あまり推奨も出来ないのですが……カイトさん、どうしますか?」
そうだ……“子供を探す”と言うことを体の良い理由にしてここまで来たけど……この先に進むのは、僕だけでなく皆まで戦闘に巻き込まれてしまうんだ。
それは、ひとつ間違えれば“死”を招く選択。
僕の判断で、もう二度と会えなくなるかも知れない。
僕は何がしたいのか、偽神の誘いに引っ張られてはいないか……?
「僕は……」
そんな戸惑いの間にも、第一防護壁の向こうで『ドンッ』と大きな砲音が上がった。
――ッヒュウードォオオオオォォオオォォォォォォッッ!!
先ほどの着弾地点から、更にひとつこちらに近づいた防御陣地が爆発する。
衝撃は離れた橋の上まで伝わり、その場にいる者は皆、身を屈めて防御姿勢で凌ぐ。河岸を穿つ砲撃は、その場にあった何もかもを吹き飛ばしてしまった。
弾着観測もなく、別目標に一撃で命中させた……?
視線を巡らせると、河岸に連なる防御陣地では、衛士たちが次は自分の番だと惑い始めていた。抗うことも出来ずただ的にされる恐怖……例え逃げる選択をしても、誰も責められやしない。
それどころか、僕はその判断は賢明だと思う。それが例え敗走だとしても、生きていなければ反撃も出来ないのだから。
体を起こすと、橋の上にも動揺が広がっていた。
及び腰になった衛士たち。今にも逃げ出しそうに弱々と顔を歪め、血走った目は辺りを落ち着きなく彷徨わせている。
ここからではその姿も見えない相手が、確実にどこからか、こちらを見て狙っているんだ。まともな人間なら、それだけで神経が、心が削がれる。
僕だって、今直ぐに逃げ出したい。もう泣きたいほどに、膝も笑っている。
そんな、恐怖が侵蝕を始めた場所に、シャンッと鈴の音が鳴り響いた。
「狼狽えるな勇士たちよ!」
動揺する衛士たちの合間を縫って、いつの間にか防塞の前に歩み出ていた少女が、凛と高らかに声を上げた。
……リシィ?
「私の名はリシィティアレルナ ルン テレイーズ! 龍血の姫にして神龍の名代! 命脈の祖、神龍テレイーズの名において、私はこれより戦場に向かう! 勇敢なる者たちよ! 自らの衛士たる誇りを盾に、ここを如何なる存在からも護り抜きなさい!」
リシィは黒杖を剣に見立てて掲げ、大断崖へ向けて一息に告げた。
彼女の全身を包み込むのは、始めて出会った時に見た金光だ。恐怖から、死相すら見え始めていた衛士たちの顔を、目映い金色に照らす。
その瞳の色もまた、一体どんな感情を現しているのか、金光の中にあって尚も煌めく黄金色だ。
「おお……龍血の姫様だ……」
「何でこんなところに……姫様……」
「神龍が……我らに救いをもたらしてくれた……!」
「勝てる……勝てるぞ……!」
死線に突如として現れた誇り高き龍血の姫に、誰もが驚き、やがて誰もが跪き、目映いその姿を仰ぎ見て、再び奮い立つ。
リシィのわずか一声で、衛士たちは心に活力を取り戻してしまった。
最早、ここは砲弾の降り注ぐ死地なんかじゃない。
民を守る勇士たちの拠点。何者をも決して通さない、極光の砦。
誰もが、今この場で“奇跡”を目の当たりにする。
「行くわ、テュルケ!」
「はいです! 姫さま!」
「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」
――ドンッドンッドンッ!
――ガシャッガシャッガシャッ!!
そんな、まさか……これはもう勝ちどきを上げる声だ。
石畳を踏み、武器を打ち鳴らし、高らかに凱歌を口ずさむ衛士たち。
『既に勝利は見えた』――そう言わんばかりに、誰も彼も黄金を映す瞳で、剣を掲げ盾を持ち、勇敢を胸に橋に立ち塞がる。
彼らに宿ったのは、守護者としての何者にも脅かされない誇り――。
「リシィ!」
持ち場を護る衛士たちに見送られ、橋を渡るリシィに駆け寄った。
「ふぅ、これであそこは大丈夫そうね……。私の名前が、それなりに人々の覚えが良くて助かったわ。見たところ、あそこは新兵ばかりだったもの」
「ああ、驚かされたよ。だけど良かったのか……? この先に進むと、防御陣地を砲撃している墓守と、戦うことになるのかも知れないんだ……!」
「ええ、覚悟は出来ているもの。それにね、神龍テレイーズはいかなる時も人を愛し、人を守り、人と共に在り続けたと聞くわ。ならば私も民を愛し、民を守り、民と共に在りたいの。龍血の姫たる矜持、今ここでルテリアの民のために使うわ」
僕まで射抜いた黄金色の瞳、誇り高きその少女を止められる者はいない。
なら僕も、覚悟を決めないと……彼女とともに戦地に赴く……。
「わかった、なら僕も出来る限りの力を尽くすよ」
「カイト……」
「サクラ、ごめん。そう言うわけだから、力を貸して欲しい」
「はい、私はいつでもカイトさんとともに在りますから。カイトさんを守るためなら、どのような墓守とて、街ごと焦熱の中に沈めることを厭いません」
「そ、それは少し遠慮して欲しいかな……」
「はいはい! 私も全力を尽くしますです!」
「ああ、テュルケはリシィの傍で、君の主を全力で護ってやってくれ」
「はいですです!」
―――
第一防護壁、大門。そこは、想定していたものとは違っていた。
途絶えることなく聞こえてくる砲音とは裏腹に、門は閉じられて人もいない。
通用門から探索区に入っても、衛士が二人いるだけで喧騒の後だ。
探索区は他の区画と比べて遥かに狭く、大通りも第一壁を抜けると片側一車線と幅員を減らす。四、五キロで辿り着く直線の先は、初めてルテリアに踏み入った噴水広場で、砲兵が砲撃陣地にするには充分な広さがある。
その通りの先を見ていると、噴水広場を大きな何かが横切るのが目に入った。
やはり、あそこで戦闘が行われ、墓守が砲撃を繰り返しているんだ。
「カイト、サクラと一緒に監視塔に登って。ヨエルとムイタを探すのと、戦域の全容を把握して欲しいの。私たちはこのまま進むわ」
「え、待って、僕も……」
リシィは首を振る。
「この一週間で学んだこと、カイトに教わったこと、決して無駄ではないと証明して見せるわ。だから、カイトにはそれ以上を期待しているの。私に見せて、お願い。私のく、くろ……く、く、黒騎……なっ何でもないわ! 今晩は祝賀会にしましょう!」
「え、何? もう一回……」
「気にしないでっ!」
「はいっ!?」
「では、帰りに食材を買い足さなければいけませんね。お店が開いていると良いのですが……」
「そう言うことでしたら、私が狩りをして来ますです!」
「緊張感はどこに……」
……これは約束だ。
誰もそうだとは言わないけど、無事に帰ろうと言う約束。
なら今は、それを違えずに、最善を尽くす方法を考えるしかない。
「わかった、今晩は美味しいものでも食べよう」
「ええ、私はオミソシィルがまた飲みたいわ」
「はい、精一杯に腕を振るいますね!」
「私はテンプゥラが良いですです!」
僕とサクラは監視塔へ、リシィとテュルケは大通りの先へと進む。
リシィが別れ際、何かに手を伸ばそうとし、だけど何も掴まずに空を切った。
お互いの覚悟が揺らいでしまうような気がして、気が付いていながら、その手を取ることはしなかった。
僕は、あの手を取るべきだったのだろうか……。