第二百十八話 月下震夜に身を寄せて
――目を覚ますと、辺りは宿処に戻って来た時と同じ暗いままだった。
場所は自室のベッドの上に寝かされ、室内は地震でまだ荒れているものの、お風呂に入る前に一夜を明かすくらいは掃除しておいたんだ。
作務衣を着せられているから、意識を失った後で僕はここに……。
「カイト、起きたのね」
「あ……リシィ……」
まだはっきりとしない意識で横を見ると、僕を悲しげに見詰めるリシィがいた。
室内にはストーブが置かれて火が灯り、少しは暖かくなっているものの、彼女は寒いのか毛布を纏って小刻みに震えている。
いや、耐寒の特性を持つ竜種が震えるのは別の理由か……僕のせいで、緊張からの震えに違いない。
「あの、ごめんなさい……。もっと他にやりようはあったと思うけれど、ルテリアがこんな状況では気を休めるのも宿処にいる間しかないと思って……やり過ぎたわ」
「いや、結果的に卒倒してしまったけど、おかげさまで良い感じに血が抜けたというか……変に責任を感じていたのが楽になったよ」
「それでも反省しているわ。カイトを支えたくて、苦難を取り除きたくて、力が足りなくて、勢い任せになってしまったの。皆もごめんなさいと……」
「うん、ありがとう、リシィ。僕は結局みんなを大切に思うあまり、どこかで一線を引いて全部一人で背負えば良いと思っていたんだ。何度となく頼るように言われてもいたのに、わかっていても上手く折り合いをつけることが出来なかった。騎士としては失格だ、反省する」
何度も、何度となく、人は反省しようとまた同じことを繰り返す。
覚悟は脆く幾度も崩れ去り、それでもまた大切な人のために積み重ねる。
ルテリアの惨状は僕が招いたことだ、操られていたとしても、抗う術はあった。
おかしいな……受け入れるつもりで覚悟をしていたのに、実際に瓦礫の山を目の当たりにしたことで、結果は僕を心配した皆の行動だ。
リシィは俯きながらも視線だけは上目遣いに僕を見詰め、その瞳は紫色。
怒っているのだろうか、それとも落胆させたのだろうか、騎士なら主を支え心から頼ることもまた信頼、その器が僕にはなかったんだと思う。
いけない、否応のない現実に直面し思考が後ろ向きになってしまっている。
ここまで来たら、もう握った拳を振り上げるだけではダメだ。
前に進むために、彼女と共に歩むために、頑なな拳とこの心を開きたい。
本当に、今ここで僕に必要なものは……リシィに返せるものは……。
「リシィ、お願いがあるんだ」
「ええ? カイト、何でも言って……」
「そ、その、リシィは震えているし、僕も結構寒くてさ……温めてくれないかな?」
「……っ!?」
僕はそう言って掛け布団をめくり、リシィにその意味を示した。
自分でも何をやっているんだとは思うけど、今彼女に頼ろうとしたらこんなことしか思いつかなかったんだ。
リシィの反応はと言うと、何も言わずにただ瞳の色だけが赤みを失い、やがて緩やかに緑と青に変わる。
そうして彼女は静かに立ち上がり、まずは自分の纏っていた毛布を僕にかけ、次に恐る恐るといった仕草でベッドに潜り込んできた。
僕はこの時点で既に後悔、やっちまったと内心はガクブルだ。
「んっ……これで良いかしら……」
リシィは僕のベッドに入って寝具を丁寧に整え、しばらくすると布団から顔を上半分だけ出してようやく答えた。
……何だこれ、破壊力抜群だ。
月明かりに照らされた金髪は、ただ「美しい」と安直な形容しか出来ないほどに柔らかく煌めき、洗われた髪からは石鹸の花の香りが漂っている。
こんな状態で強い感情が出てしまっているのか、緑から青に変わるグラデーションの瞳は、その輝きも月光に負けないほど強い。
そんなリシィに堪らず身動ぐと、不意に触れた彼女の腕は異常に冷たかった。
「あっ、ご、ごめん」
「べ、別に良いの。カイトのお願いに応えたのは私だから」
「ありがとう……。それよりも凄い冷えているじゃないか、温めないと」
「大丈夫よ、竜種だもの。けれど、そうね……少し背中を向けてくれる?」
「え? あ、うん……」
リシィの申し出に、僕は寝返りを打って彼女に背を向けた。
すると背に確かな存在が触れる、リシィが自ら身を寄せてくれたんだ。
「これなら温かいわ、どうかしら? そ、それとも前からが……」
「ほわっ!? ダ、ダイジョブ! アタタタタカイデス!」
「ふふっ、何で片言なの? 変なカイト……」
あれ、一瞬だけ声が弾んだような……。背後だから当然見えない。
「リシィ、何度も支えてもらっているのに、意固地になって本当にごめん。許してもらえるのなら、僕は不器用だけど、これからも共に歩みたい」
「ふぅ……カイトは本当に意固地だけれど、変なところだけ素直よね……」
「そ、そうかな……そうだな……。まあ、リシィには嫌われたくない、失いたくないと、かなり利己的な理由からだとは思うけど……ふへっ!?」
それまで少し触れているだけだった感触が、僕の体に腕を回し完全に密着している状態に変わった。
蘇るのは先程の風呂場での感触。あれよりマシだとはいえ、好意を寄せる彼女からのスキンシップは変なところに熱が集まってしまう。
「本当にカイトはバカなんだから……。私が、貴方を嫌うことも、見捨てることもあるわけがにゃいじゃないっ」
「い、今噛まなかった……?」
「もうっ! そんなことは知らないっ、カイトのバカッ!」
今リシィはどんな表情でいるのだろうか、振り向いて是が非でも確かめたいけど、密着された状態ではそれも出来ない。
「けれど、私はカイトを騎士にして良かったと思っているわ。取り返しのつかない事態を引き起こしたかも知れない、それだって人智の及ばない存在に干渉されていたのだから、必ずしも貴方一人が責を負うことでもないの」
「いや、それは流石に……」
「私が良いって言ったら良いのっ!」
「はいっ!?」
「前に言ったわよね、私が半分を受け止めて支えると。だから、カイトはこれまでもこれからも、私の騎士としてなすべきことを精一杯になしなさい! 貴方は、私の大好きな物語に出て来る“黒騎士”そのものなんだから。悲しんでも良いの、苦しんでも良いの、心ある騎士のままで私に仕えなさい! そ、そうでないとっ、全てが終わった後でごにょごにょごにょ……」
「黒騎士? 最後は何て……?」
「何でもないっ! 何でもないんだからっ!」
リシィのまくし立てるような言葉は、肝心な最後が聞こえなかった。
少し前の冷たさが嘘のように、今の彼女から伝わる体温はとても熱い。
何か「うーうー」と唸りぶつぶつと呟いているけど、僕の背に顔を擦りつけながらなので、何と言っているのかは全くわからない。
何にしても、ルテリアどころか世界や全ての人々を危機に陥れた責任は、いつの間にか悶々と抱え込むものでもなくなっていた。
人はただ強い心のまま、いつまでも前向きにだけでは生きられない。
人知れず後ろ向きになっても、それに気が付いて支えてくれる皆がいる。
奇跡のような今に、僕はただ感謝することしか出来なかった。
「リシィ、そんなに擦ると額が赤くなってしまうよ……?」
リシィは何故か、自分で自分を傷つけてしまうと心配になるほど、僕の背にグリグリと額を擦りつけている。
だから僕は、リシィのそんな様子に今の状態を確認したい好奇心に負けた。
体の前に回された腕をそっと取り、思い切って彼女の方を向く。
「ふぇ……ふにゃっ!?」
窓から差し込む月明かりを背後に良くわからないけど、やはりリシィの額は赤くなっているようだ。
僕が振り向いたことで彼女は驚いて目を見開き、眉は八の字に口はあわわの形、頬は耳まで真っ赤に染まって慌てた様はどうにもいじらしく堪らない。
鮮烈さでは夕陽色に引けを取らない黄金色の瞳には戸惑いが滲む。
「ううーっ! 今は見ないでーっ、見ないでーっ!」
僕の主はいったいどうしてしまったんだろう……。だけどそうか、僕はただ、彼女のことを真っ直ぐに見詰めているだけで良かったんだ。
彼女を見ているだけでここまで心が安らぐのなら、深く考える必要もなかった。
世界を覆す理由なんて最初から……。
「何だ、そうだったのか……」
「え……カイト、どうしたの……?」
リシィは涙目になりながら、布団の中から心配そうに僕を見上げた。
「んぅっ!? もーもーもーっ! カイトのバカァーーーーーーッ!!」
だから、僕は堪らなくなって愛おしい彼女を抱き締めてしまったんだ。