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第二百十七話 快楽 人によっては拷問

 ◆◆◆




 ――サクラの宿処。


 驚いたことに、シュティーラさんの言っていたことは本当だった。


 行政府区画にある建物は、地震に対してある程度は耐えられる造りになっているらしく、宿処は更に仮設防壁の内側だったため墓守による破壊からも免れていた。


 今となってはこの宿処こそが僕にとっての望郷の地、大切な思い出だ。



「サクラのお爺さん様様だな……」


「はい、ルテリアの景観を壊さないように、それでいて古来日本からの木造建築の技術を活用して建てたものだと聞きます。片づけは全てが落ち着いてからですね」


「そうだね。今日は寝床の周りだけで、夜も遅いし明日に備えよう」


「んっ……んっ……カイト、気持ち良い?」

「う、うん、ああありがとう、これ以上ないほどの夢見心地だよ」



 確かに、これは夢だろう。


 宿処が無事なまでは良かったけど……その後、流石に壁が剥がれ落ちていたり家具が倒れていたりと荒れた部屋の片づけをしていたら、サクラが神妙な顔で「お風呂が沸きました」と入浴を勧めてきたんだ。


 うん、素直に入ったけど、素直に入ったけど、何でか皆一緒に……。



「くふふ。主様ぁ、我は気持ち良い?」

「き、気持ち良いよ……だけど、せめて『我のほうは』と言ってな……」



 ど、どうしてこうなってしまったんだ……。


 今の僕の状況はと言うと、背中をリシィが、右腕をサクラが、左腕をノウェムが洗っている。テュルケは脚を洗おうとしたのか、目の前でしゃがもうとしたので「それはダメェッ!?」と懇切丁寧にお願いして止めた。

 それでも彼女は泣きそうになってしまったので、必死になだめて今はリシィと交代で背中を「んしょんしょ」と洗ってもらっている。


 何でこんな事態に陥っているのか……。流石に僕でも、わざわざ風呂場から脱走してまで救援には向かわないよ……。万全を期するなら、無闇矢鱈に動くのはダメだから今は大人しくしているつもりだし……。



「カイトおにぃちゃん、やっぱり私が脚を洗いますです?」

「ふぉおおおおっ!? いいいや、そのお気持ちだけでも充分です!」



 いけません! 特にテュルケは、バスタオル一枚で屈むのは破壊力が高すぎて断じていけません! それを言ったらリシィもサクラもダメなんだけど、特にテュルケはギャップがね! ノ、ノウェムは……まあ、うん。


 これは早めに切り上げてお返しをしたほうが……いや、僕からやると想像しただけでも案件になることは確実。そんな事態になれば、必死に耐えるだけの理性も亜光速でどこかへと吹き飛んでしまうに違いない。


 申し訳ないけど、今はただこのまま耐え続けることしか出来ない。



「えへへ、こうしてると何だか懐かしいですです~」



 何でこの娘、僕の目の前で膝をついちゃったの。


 たわわな実りが否応なく目に飛び込み、失礼と思って咄嗟に目を閉じたけど、それが余計に感覚を奪われて触れられたところが妙に気持ち良い。


 これはダメだろう、今も最前線では墓守の侵入を防ぐために戦う人がいる。

 未だに行方不明の人も、身内を失った人だっている、平穏からは程遠い日常で今も人々は抗い続けているんだ。

 【天上の揺籃(アルスガル)】を落とし、邪龍を討滅するまでは、ほんの少しの隙も見せるつもりはない。


 僕だけ、こんな望まない好い目に遭うわけにはいかないんだ!



「ごめん、みんな。後は自分で洗うから、みんなも自分の体を洗って欲しい。ほら目を閉じているし、まさかタオル一枚で救援に向かうつもりもないから、見張っていなくとも連絡があるまでは大人しくしているよ」



 僕は目を閉じたまま、皆がいるだろう方向へと首を巡らせて告げた。


 皆の僕を洗う手が止まる。これで良いんだ……労いは要らない、心配もしなくて良い、僕は自分の感情と皆の気持ちに折り合いをつけて最善を選択する。


 はっきり言って、この状況でこの判断は理性の化物だ。

 酷く人間らしくないと思う。僕自身がどこまでも論理的にしか物事を考えられない存在なのだとしたら、それはもう墓守と何ら変わりのない化物なんだ。


 だけど、それでも今は……。



「ふひょああああああっ!? ちょっ、リシィッ!?」



 そんなことを考えていたら、リシィが僕の背に抱き着いて来た。不意打ちだ。



「バカッ! カイトは本当にバカなんだからっ!」

「えっ……う、うん、自覚はあるかな……」



 思考が混乱する。


 背中に感じるのは柔らかくも温かく、それでいてルテリアの大気に冷えたひんやりとした肌の感触。それも直ぐに僕と触れている部分から温まり、脈打つ血の流れがお互いを循環して一体となったかのように感じられる。

 バスタオル一枚で抱き着かれている状態は、男だったら煩悩が刺激されて押し倒したくもなるけど、今はそれどころではない。


 それもそのはず、思わず目を開けてしまった僕の眼前には、涙ぐんでこちらを責めるように見詰めるテュルケ。

 視線を巡らせてサクラを見ると、やはり彼女も眉根を寄せ怒っているようで、逆隣のノウェムはもっとわかりやすく頬を膨らませ完全に怒っていた。


 最悪を想定し続けても、流石にこの状況を切り抜ける術を僕は知らない。



「そうですね、カイトさんは何度申し上げてもわかってくれません」

「そうだ、主様は少し心を開いたと思うたら、直ぐにまた閉じてしまう頑固者なの」

「おにぃちゃんはいつも私たちを大切にしてくれますけど、私たちがいくらお返ししようとしても、結局は一人で全部背負っちゃいますです! ずるいですです!」


「え、えーと、これでも頼りにしているつもり……うぐぅっ!?」



 リシィが背に抱き着いたまま腕に力を込め、僕は腹が圧迫されて変な声が漏れた。



「それでは少しも足りないわ! 今だって、ルテリアの惨状を見てから、余計にカイトは気に病んでいるわよね!? もうずっと一緒だったんだから、平静を装ったところでわかるんだからっ!」


「……」



 言葉が出なかった。


 今に始まったことではないといえ、だからこそ彼女たちは無理をする僕を何度となく支えようとし、今だって気を紛らわせようと必死に考えてくれたんだ。


 それを僕は拒否してしまい、だからこその「バカ」、本当にその通りだ。



「カイトさんが気を緩めるまではこうしていますから」



 サクラが僕の右腕を抱き締めた。


 彼女の恵まれた肢体の艶めかしさと柔らかさは、かつて揉みしだいた【金光の柔壁(やわらかクッション)】どころではない柔圧で右腕を包み込み、あまつさえ鋭利な箇所もある僕の右腕は、決して肌を傷つけてはならないと微動だにすることも出来ない。



「主様が我らを心から頼るまでは決して離さないの」



 逆隣ではノウェムが全身で僕の左腕を抱き締めた。


 何がまずいって、その小柄な体格を生かして腕をふとももの間にまで挟んでくれたから、密着度合いが犯罪レベルにまで達して僕が逮捕されてしまいます。彼女は幼女じゃない! 幼女じゃないんだ! 信じてくれ、父さん、母さん!!



「カイトおにぃちゃんが、私たちに背負ってるものをちゃんと分けてくれるまで、絶対の絶対に離しませんですですーーーーっ!!」



 テュルケは脚に……じゃない、だと!?


 ぎゃああっ!? 彼女はよりによって腰に抱き着いて来た!!

 背側には当然リシィがいるため、前から!! これ何てエロゲーッ!?


 おああああああああああああああああああっ!?!!?





 ……ルテリアの大気は冷たい。


 熱い湯船との寒暖差は白く煙る蒸気を生み、彼女たちに纏わりつく水蒸気の玉が目に余ることのない色気となり、僕の理性に凝り固まった思考の侵蝕を始めた。

 外気に触れた冷たい肌はそれでも芯を熱く燃やして僕を温め、次第に早くなる鼓動はまるで戦大鼓のように四方から僕を取り囲んで襲い来る。


 流れる血が逆巻き、混乱する思考は濁流のように意識を押し流し、触れる体の柔らかさと温かさに侵された僕は、最早身動ぐことすらも出来なかった。



「カイト……」

「カイトさん……」

「主様……」

「カイトおにぃちゃん……」



 とりあえず何とか現状を打開しようと、僕は目の前のテュルケに視線を落としてみたけど、下ろして濡れた髪が肌に貼りつく様は艶かしく、可愛らしくも色気があるとはこれ如何に。

 しかも、しかもだ、僕の脚の合間の彼女は、知ってか知らずかお胸様の位置が酷くよろしくない。


 ……


 …………


 ………………


 良し、人の精神は耐えるにも限度があるから、仕方がない。


 反省しよう、心配をかけたことも謝る、頼るつもりが何だかんだで結局一人で抱え込んでしまう悪い癖も改善する、だから今はもうこれで許して欲しい。


 顔が異常に熱い、鼻孔から血が流れ出るのを感じる。



 そうして、僕の意識はここで途絶えた。

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