第二百十六話 これまでのこと これからのこと
「アウー!? カトーッ!」
「ぬぅ!? カイト殿、姫君、ご無事であられたか!」
「テュルケ、ベルク師匠、アディーテ! 良かった、無事で……」
テュルケに続きやって来たガーモッド卿とアディーテを見て、カイトは立ち上がり一瞬だけ泣きそうな顔をした。
彼も不安だったんだわ……そうよね、いつも最悪だった時のことを考えているんだもの、きっと私よりも……誰よりも失うことに心を痛めていたんだわ……。
せめて精一杯の感謝をしたい、素直になって彼を支えてあげたい……。
「カイト殿こそ良くぞご無事で! 神龍グランディータより、時の彼方に飛ばされたと聞いた時は肝を冷やしたぞ!」
「そればかりはグランディータに救われました。ベルク師匠、自分の迂闊さがこのような事態を招いて……」
「言うな。某とて彼奴らめに飲まれてしまった。挽回しようぞ」
「は……勿論そのつもりです……!
「アウー? サクラいないー?」
「サクラも一緒に帰ったよ。今は行政府の中で人を探している」
「アウー! それなら良かったー!」
「リシィ、一枚しかないけど良かったらテュルケと使って」
カイトは会話もそこそこに、私とテュルケにハンカチを差し出してきた。
私は泣きじゃくるほどではないけれど、彼の前で恥ずかしいわ……。
「えうぅ、カイトおにぃちゃん……もう会えないかとっ、ぐすっ……思いましたですっ」
んっ……テュルケが腕を伸ばしてカイトを引き寄せたせいで、私も彼に思わず身を寄せる体勢になってしまったわ……。テュルケの腕はしっかりと掴んで離さず、しばらくの間はこのままでいるしかなさそうね……。
そんなカイトは少し戸惑ったようだけれど、器用にも両手を使ってテュルケの頭を撫でながら、涙で濡れる私の頬をハンカチで拭ってくれた。
「カイト、ごめんなさい……ありがとう……」
「い、いや、僕の胸で良かったらこのまま貸すよ」
「んっ……」
この状態はかえって緊張してしまうけれど、こうしていると私までカイトの腕の中で安心してしまう……。
常に不安を抱えたこの一ヶ月、ようやく少しだけ落ち着けたわね……。
―――
――行政府、総議官執務室。
私たちは移動し、目の前には薄く笑うシュティーラが座っている。
「リシィも人前で良くやる」
「ちっ、違うわっ! あれはその、状況的に仕方がなかったの!
「ほう、その割には安心したかのように惚けて見えたが」
「うっ……とにかく違うわ! 今はそんなことよりも、これからのことよ!」
見られてしまった……。戦闘がある程度まで沈静化し、前線から戻って来たシュティーラに、カイトの腕の中で安心しているところを見られてしまった……。
まだ多くの事後処理が残っているみたいだけれど、今はひとまず彼女の執務室に場所を移し、再会の余韻に浸ることもなく面通しと今後の相談ね。
私たちが戻って来たことは報告があったみたいで、所在まで逐一把握して真っ直ぐに向かって来たみたい。流石としか言えないわ……。
「カイト クサカ、どうやらリシィは貴様のこ……黒杖を向けるのはやめないか」
「シュティーラ! 私たちは帰って来たばかりで現状を把握していないの! 茶々は良いからルテリアの今を教えて!」
「だそうだ、カイト クサカ。貴様も同意見か?」
「……そうですね、この事態を招いてしまった責任を行動で返せるだけ返したい。そのためにまずは詳しい情報交換からお願いします」
この執務室は一般的な応接室と変わらないように見えるけれど、建物が倒壊するほどの激震に見舞われたはずなのに、壁にはひび割れのひとつもない。
行政府はルテリアの建造物の中でも、特に堅牢な【神代遺物】だという話だから、戦地のただ中にありながら人々の避難所として持ち堪えていたのね。
革張りのソファには私、カイト、ノウェムの順に座り、テュルケとサクラは背後に立っていて、正面にシュティーラがいる。ノウェムは相変わらずシュティーラのことが苦手のようで、カイトの体の影に隠れてしまっているわ。
白亜の壁には武器類ばかりがかけられ、武骨な様は本当に彼女らしい。
「仕方あるまい……ルテリアの現状は見ての通りだ。激震に見舞われ、しばらくは救助活動も出来ていたのだが、【鉄棺種】が雪崩込んで来てからはそれも出来ずに一進一退を繰り返している。人の消耗が激しく敵わん」
それはルテリアを見れば一目瞭然……。建物の瓦礫と墓守の残骸の山は、相当な大きな揺れと戦闘の後だと……この街は、崩壊してしまったの……。
「迷宮深奥での事のあらましはガーモッド卿から聞いた。【天上の揺籃】……あの遺物の浮上は迷宮の崩壊のみならず、ルテリアの対鉄棺種迎撃都市としての機能まで奪った。誰か一人に押しつけるつもりはないが、貴様が覚悟するように責任はこれからの行動で返してもらう。良いな」
「はい。【天上の揺籃】を落とし、そして邪龍はこの手で、必ず」
「あっはっはっ! 豪胆は相変わらずか、良いぞカイト クサカ。ならば私も、この剛剣をもって力を尽くそうではないか!」
カイトは真剣な表情で神器の右腕を握り、シュティーラに面と向かって返した。
彼だけでなく、彼の主である私も、彼の傍にあった皆も当然同じ気持ちよ。
「だがどうする? あれは月に迫るほどの高空に至り、このルテリアで最長射程を持つエリッセの固有能力でさえ届かん」
「それについては、行政府と探索者ギルドの協力を仰げたらと」
「ふむ、策があると言うのか。静観が出来ない以上は選択肢も限られてくる、空の彼方にまで届くのであれば協力しよう」
「ありがとうございます。策と言うよりは可能性ですが、【天上の揺籃】の制御中枢となる“アシュリーン”と呼ばれる存在が、今もこの地のどこかで秘匿されています」
「報告には聞いている。忌人の姿だと聞いたが、其奴は味方なのか?」
「味方でなければ宇宙には届かず、人類は邪龍に抗うことも出来ず滅ぶだけです。選択肢がないのなら後は己を懸けて挑むだけ、違いますか?」
カイトはシュティーラを前にしてそう言い放ち、鬼気迫るほどの彼の気圧に珍しく彼女のほうが押されてしまっているようだわ。
「違わない。その剛毅豪胆さ、私も見習うべくほどに見事。サークロウスたる我が名の元、ルテリア行政府と探索者ギルドは全面的に協力することを確約しよう」
「ありがとうございます!」
本来は私がシュティーラと話さなければならないことだけれど、この場で最も全容を把握しているのは“神器の記録”を引き出せるカイトだけ。
けれど、頼りない主のままではとても支えるなんてことは出来ないから、本当に彼が聞きたいはずのことは私からシュティーラに問うわ。
「シュティーラ、私的なことだけれど、良いかしら?」
「構わん、話すことも聞けることも今のうちだ」
「それなら……日本コミュニティの皆は無事? ルコや親方は無事なの?」
私の問いに、カイトは口を引き結んで歯を噛み締めた。誰よりも自分以外のことばかり案じるのが彼だもの、まず何よりも最初に聞きたかったはずなの。
混乱の中で、テュルケもガーモッド卿も彼らのことは見ていないそう……。
「無事だと言いたいが……現在、彼らは孤立状態にある」
「何だって!? どこに!?」
カイトが堰を切ったように声を荒げた。
「慌てるな。彼ら……ルコとヒョウドウ、それにサトウもだな、現状のルテリア最高戦力の一人を護衛につけ、ヒョウドウの工房に立て籠もっている」
「何でそんなところに……?」
「此度の戦の“鍵”となる何かを守るため、彼らは自らの意志で向かったのだ。本来は戻るはずだったが、折り悪く【鉄棺種】の侵攻が激化し連絡も途絶えた。直ぐ様セオリムのパーティを向かわせたが、彼らもまた牛女神に遭遇、討滅はしたもののレッテが深手を負い今は行政府に戻って来ている」
「えっ!? レッテは無事なんですか!?」
「命に別状はないが、しばらく戦闘は無理だろう」
「そんな……」
今まで真っ直ぐにシュティーラを見ていたカイトの視線が下に落ちた。
こんな時の彼はありとあらゆる想定をして、ありとあらゆる苦しみを自分一人で背負おうと苦悩している時……。
それではダメ、いつか自分自身に潰されてしまうから。
「今直ぐ救援に……」
「それは無理だ。現状は東方仮設防壁を襲撃する残敵の掃討中、こちらの被害も多く今直ぐに出せる部隊はない」
「そんな……なら僕たちが……!」
「慌てるな、言ったであろう。最高戦力の一人が護衛についている、と」
「それは誰ですか?」
「現状で最後の来訪者、アサギ」
「……!?」
「奴はエク……エクショ……エクショシ……? まあとにかく、特殊な武装を保有し戦闘力だけなら一軍に匹敵する。カイト クサカ、貴様はまず休め。事後処理を進め、必ずや救援を送る算段を整える。良いな?」
「わかりました……」
カイトの強張った肩から力が抜けた。
逆隣では、ノウェムが心配そうに彼を支えている。
「リシィ、サクラ、それとエルトゥナンの姫、この男が間違っても単独で救援に向かおうと行動を起こさないよう、心して支えよ」
「シュティーラ、それは言われるまでもないわ」
「はい、強く抱き締めてでも一人では行かせません」
「“ノウェム”だ。主様を支えるのが妻である我の役目、当然だ」
「わっ、私もいますですですっ!」
「みんな……僕は大丈夫だよ。報があるまでは休もう」
「それが良い。サクラの宿処は無事だ」
「えっ!?」