第二十三話 内なる衝動 “三位一体の偽神”
【鉄棺種】が出て来た……!?
ほどなくして、警報に混じって砲音が聞こえ始める。
外からは、慌ただしく行き交う人々の足音や怒声、子供の泣く声。
実際のところ、宿処の中にいては何も状況がわからない。
異世界に来たにも関わらず、異常を感じたのは最初だけで、後の一週間は信じられないほど穏やかに過ごしていた。それは漠然と、確信もないのに、いつまでも続いていくものだと思ってしまっていた。
つい先日、死が隣り合わせにある世界だと、認識したばかりだと言うのに。
何で、僕は……はっ!?
「カイト!? ダメ!!」
外に向かおうとした僕は、部屋の半ばでリシィに抱き止められた。
「離してくれ! こんなことをしている場合では!」
「ダメ! こんな時にどこへ行くの!? 外は危険なのよ!!」
「もし、ヨエルとムイタがもう探索区に行っていたら!!」
「カイトさん、落ち着いてください。あの子たちはまだ子供です。昼食を食べてから直ぐ動くとは思えません。大丈夫です」
「そうよ、落ち着いて! カイト!」
……そ、そうだ、何も一日中探索区を探し回っているわけではない。
だと言うのに、得体の知れない焦燥が僕を駆り立て、思考する間もなく身体が動いてしまった。
何なんだ……今までも何度か感じた、この出どころのわからない衝動は。
胸の内で、今も『進め 進め 進め』と痛いほどに突き続け、僕に何をしろと言うのか、今はそれがはっきりとした声になって聞こえる。
――進め 進め 進め
――奴らを倒し 倒し 倒し 迷宮へ進め 進め 進め
――お前の望みはここに在る 在る 在る
――果ての世界はここに在る 在る 在る
――来たれ 来たれ 来たれ
――力を欲するのならば ならば ならば
――因果を捻り 捻り 捻り
――与えてやろう やろう やろう
得体の知れない衝動、冥い深淵からの呼び声……僕は――。
「――イト、カイト。大丈夫よ、大丈夫だから」
飲み込まれる寸前で、気高くも穏やかな声音が僕の意識を引き戻した。
鼻孔をくすぐる清純な香りと、優しくも柔らかく体を支えてくれる華奢な感覚。
思い起こしてしまったのは、つい先日の裸身……。
「え……あ? リシィ?」
目の前では、リシィが僕を抱き止めたままでいてくれた。
現実の世界に戻され、今の自分の状態をようやく理解する。
「ご、ごめん、もう大丈夫。どうにかしてた……」
「カイト、しっかりして。私たちがいるから、本当に大丈夫よ」
リシィは少し慌てるように体を離すも、僕の腕を支えたままでいてくれる。
それはサクラとテュルケも同様で、皆に心配をかけてしまったようだ。情けない。
だけど、何とか落ち着けた。女性に寄り添われる状況は美味しいとも思うけど、今はそれどころじゃない。
先ほどのアレ。明確に何らかの意思を感じられる言葉。
気味が悪かった。その衝動は……言うなれば“三位一体の賛歌”。
自らを神に見立て、聖三祝文を謳わせようとする偽神……。
アレは、ダメだ。『因果を捻る』なんて力があるのなら、今まさに、外で起きている事態を収拾するために使うべきなんだ。
人に寄り添わない何者かの言葉、あの衝動に、耳を傾けてはならない。
「皆さん、座って待ちましょう。お茶をお出ししますね」
「あ、でしたら、私が入れますです!」
「それが良いわ。お願いね」
「みんな、ありがとう……」
―――
……時間の経過が長く感じられる。
お茶が出されてからまだ三十分と経っていないのに、得体の知れない焦燥からくる疲労は、もう一日分を超過してしまっていた。
誰一人、身動ぎのひとつもしない。お茶にも口をつけず、冷めてしまうのをただ無言で見詰めているだけ。室内で唯一聞こえる時計の秒針の音が、自分の心音よりも遅く、酷く焦れったい。
警報も砲音も止まず、未だ外では誰かが墓守と戦い続けているんだ。
僕に何か出来るとは思えない、だけど何かせずにはいられない。
焦れったい、こんな時にどうしたら……。
――ガチャ
唐突に扉が開く音に心臓が跳ねた。
宿処の扉から入って来たのは、ヨエルとムイタの母親のケイナさんだ。
彼女の慌てた面持ちは、この状況でここに来たひとつの理由を指し示し、僕のただでさえ早かった心臓が早鐘のように鳴り始める。
「ケイナさん、どうかしましたか?」
問いかけたサクラに、ケイナさんは焦燥の色を濃くして答える。
「あの、ヨエルとムイタは……来ていませんか?」
「先ほどまではいましたが、昼食の前に家に帰ると出られましたよ」
「そん……な……」
それを聞いたケイナさんは、崩れるようにその場にへたり込んだ。
まさか……昼食も食べずに、そのまま探索区に向かったなんてことは……。
「お二人がここを出てから、大分時間が過ぎていますが……家には……」
「か、帰っていないんです。朝、出て行ったきり……うっ、うううう……」
そんなバカな……ヨエルは、口で言ったことを違えるような子ではない。
確かに『帰る』と言った。警報が鳴る前に、家に辿り着いているはずなんだ。
一体、今何が起きている――。
……
…………
………………
『まだ間に合うぞ』――と、僕の内に囁く声が告げた。
クッ、こいつらの仕業か……神を気取る何者か! 何故僕を誘う!?
「みんな……ヨエルとムイタを探しに行こう」
「カイト、大丈夫……?」
「ああ、冷静だよ。冷静だから、今やるべきことの判断は出来ているつもりだ」
「そう、それなら行きましょう。ヨエルとムイタは、私にとっても大切な友人だもの」
「ですです! 今日は、ムイタちゃんとお風呂に入る約束しましたです!」
「わかりました……。皆さん、無理はなさらないでくださいね」
冷静だとするなら、頭が冷めているからではない、偽物の神への怒りからだ。
この内なる声が、僕以外に聞こえている様子はない。
何故僕なのか……思えば、もっと前から聞こえていた気もする。
誰かに背を押されていた感覚……小さな選択から、ノウェムと出会った夜も、そうだ……始まりから、この世界に迷い込んだ一番最初から。
この世界へ迷い込んだのは偶然なんかじゃない……まさか、僕は何らかの理由があって、呼び寄せられた……?
「ケイナさんは家でお待ち下さい。私たちが探しに行きますから、入れ違いになってしまうといけません」
「うう……お願いします。お願いします」
「皆さんは先に通りへ、私は馬車を回して来ます」
「サクラ、頼む! リシィ、テュルケ、行こう!」
今は、この内なる衝動のことは後回しだ。
まずはヨエルとムイタを探して、安全な場所まで連れていく。
どうか、無事で……。
―――
馬車に乗り込んだ僕たちは、今まさに砲火が交わる探索区へ向かっている。
ヨエルとムイタがそこにいる確信はない、既に家に帰って母親と再開しているかも知れない、そうであって欲しい。
いつも人と馬車で溢れていた大通りは、今はもう人通りもなくあらゆるものが散乱し、建物は窓も扉も固く閉じられて人の気配すらない。
「見当たらないわ。探索区まで往復するなら、この通りのはずなのに」
「どこかに隠れているのかも知れない、戦火を避けて脇道に逸れる可能性もある。どちらにしても、今の僕たちは運に頼るしかないんだ」
「サクラ」
「はい!」
「さっきは警報が鳴る前に反応していただろう? それで、ヨエルとムイタの居場所を察知することは出来ないか?」
「ごめんなさい、流石に個人を特定することは出来ません。近づけばあるいは」
「わかった、出来るだけ急いで欲しい」
「はい!」
今も、内なる声は『進め 進め 進め』と焦燥を駆り立てる。
言われずとも進んでいる、進むことしか出来ない。
「橋が見えましたです!」
サクラとともに御者台に座るテュルケが指差した先に、運河に架かる橋が見えてきた。
橋は衛士隊によって封鎖され、厳重な防塞が築き上げられている。
街から探索区へ向かうには橋を通るしかない、ここなら子供が通っていれば保護されているはず、少なくとも情報があるはずだ。
「伏せてください!!」
――ドォオオオオォォォォォォォォォォンッ!!
「きゃあっ!?」
「ぐっ、何だ……!?」
淡い期待を胸に抱いた瞬間、サクラの叫びと同時に爆発音が轟いた。
耳をつんざく爆音と衝撃が馬車の側面を叩き、繋がれた馬は暴れ、サクラが必死に手綱を引く。
車内ではリシィが座席から飛び出し、僕が抱き止める形になってしまったけど、本日二度目なんて喜んでいられる場合じゃない。
そうして、馬車は何とか橋の手前で停止し横転だけは免れた。
「リシィ、大丈夫か?」
「え、ええ……大丈夫よ。少し擦り剥いたくらい」
体を起こして衝撃が来たほうを見ると、河岸の防御陣地の一つが黒煙を上げ、クレーターに様変わりしてしまっていた。元々そこにあったはずのものは、火砲も土嚢も何ひとつ残されてはいなかい。当然、人も。
砲撃、か……? 一体どこから……?
「皆さん、降りてください。この先は馬車では無理です」
サクラに促され、馬車を降りた僕は探索区を対岸から望む。
第一防護壁の向こうは、全域の至ることころから黒煙が上がり、『ドンッドンッドンッ』と断続的な砲音が数えられないほどに響いている。
その様子から、墓守が一体や二体でないことは容易に想像も出来た。
これはもう戦争だ……。押し返せなければ、街が墓守によって侵奪される。
何十万もの人々の穏やかだった日常が、たった数時間で失われてしまう。
僕は、この中にいて……何も出来ないのか……。