プロローグ
まだ実感は沸かないけれど、私たちは元の世界に戻って来れた。
“元の世界”と言うのも、理解出来る範囲で考えてみたら少し違うわ。
ここが未来の地球……その真実は、カイトの生きた時代が滅び、私たち……確か“亜神種”が取って代わった否応のない出来事を突きつけていた……。
本当ならカイトに嫌われても仕方のない話よね……。だと言うのに、彼は恥ずかしげもなく私の手を取って、た、大切だなんて……嬉しいけれど、どんな感情を返せば良いのか困惑もしてしまうわ……。
ううぅ、変な顔になっていなかったかしら……。今は邪龍をどうにかしようと、少しでも策を練らないといけない一番大事な時期なのに、こ、こんなにカイトのことばかりが頭にあって、私ははしたない女だわ……。
「あ、ご、ごめん! ……え?」
カイトは私を見詰め、しばらくすると慌てて繋いだ手を離そうとした。
だから私は、離れかけた彼の手を思わず自分から握り返し、それどころか腕ごと胸に強く抱いてしまったの。
何故こんな行動を取ってしまったのか、意識するよりも先に体が勝手に動いて、自分でも自身の言動が良くわからなくなっているわ。
「リシィ……えーと、今のは比喩みたいなもので、流石にずっと繋いではいられないよ……?」
「んっ……き、騎士なら、自分が口にしたことは最後まで守り抜きなさいっ!」
「ええっ!?」
「あっ、リシィばかりずるい! 我もっ、我もっ、我も手を繋ぐのっ!」
「ノウェム、両手が塞がると困るから、せめて背に……」
「やだもんっ!」
「ええーっ!? というか、本当に大丈夫か!? 本当にノウェム!?」
「我はいつだって主様の我なのっ、だ?」
「サ、サクラ、流石に僕の腕は三本もないよ……?」
「はい、弁えています。私はお傍にいられるだけで構いません」
「もの凄く近いっ!?」
どうしてこうなったのかしら……。このような互いを押し合う光景は、日本では確か“まいんでんしゃ”と呼ばれる戦士たちが戦場に向かう時の儀式だと聞いたわ。
グランディータもセントゥム猊下も、私たちを優しい眼差しで見守っていて、今だけは危機が訪れていることも忘れてしまいそうな時間ね……。
け、けれど、比喩だとわかっていても、私の心と体がどうしようとカイトの腕を離そうとしてくれない。
うぅ、自分のことなのに、自分自身で思い通りにならないなんて……!
「比喩なのはわかっているれど、それでも嬉しかったんだもの……。わ、私だって従者のことは大切なんだから、貴方の気持ちに少しくらいは報いてあげても良いのよっ。だっ、だからっ、しばらくはこうしていてあげるわっ!」
ど、どうして……どうしてなの……。
それでも不思議と素直に言葉を返せたのに、それも一瞬で、直ぐに遠回しな言い方になってしまった……。
ううぅ……過去の世界で一度は確かな想いを伝えたはずなのに、彼との関係も私自身の内面も殆ど進展がないのは、本当にどうしてなの……おかしいわ。
私の態度が原因なのと、彼も彼で自分の良いようには決して考えないから、それできっと不思議な擦れ違いをしてしまっているのね……。
カイトは私の言葉に一瞬だけ驚き、後は何故だか慌てた様子でいる。
彼には一から十までをはっきりと伝えないとダメなんだわ……。
……
…………
………………
……良いわ、今この場所で覚悟を決めるわ。
この戦いを終わらせ、私は必ず自分の素直な気持ちを彼に伝えるの。
邪龍にも、自分自身の想いにも、もう二度と良いようにはされないんだから!
だから、私の傍で見ていなさい、カイト!
◆◆◆
グランディータとの更に細かい質疑応答の後、僕たちは御所を退出し案内されるままに廊下を歩いていた。
変わらず左手はリシィ、右手はノウェムと繋いだまま。
サクラは一歩引いて僕の背後に付き従い、先を歩くセントゥムさんと再び人化したグランディータに導かれ、“天の宮”をどこかへと向かっているんだ。
神龍グランディータの御所から廊下に出ると、そこはSF染みているだけで至って普通の人用の廊下だった。ひたすら直線で迷うこともなく、床の両隅にある青光の溝が目の前を歩くグランディータの裸身をぼんやりと照らしている。
僕は手を繋いだまま、何ともなしに隣を歩くリシィを見た。
別に女性の裸身が目に入って後ろめたいからとかではなく、先程のあまりにも目映い笑顔が気になり、もう一度だけ見たかったがためだ。
「な、何かしら……?」
「うん、あ、いや……何でもない……」
流石にもう笑ってはいない、非常に残念……。
彼女の笑顔は、思わず抱き締めてしまいそうな陽だまりだった。
リシィの印象である、高潔だとか美しいだとかそういった類のものではなく、ただ可愛らしい少女の笑顔……。傍にいて守り続けたい、そんな風に思えるものだ。
僕は本当に彼女のことが好きなんだと、改める必要もなくそう実感する。
「カイト、様子がおかしいけれど、私と手を繋ぐのは嫌……?」
「そんなことはありません! むしろやる気が満ち溢れて来ますですはい!」
僕の反応にリシィが悩ましげに首を傾げた。
様子がおかしいのは今のこの状態に問題があるからだ。
手を繋がれているのはこれ以上ないほどに願ったり叶ったりだけど、問題は一度手を離そうとした後、手を繋ぐではなく腕を抱き締められたことにあった。
リシィは気が付いていないのか、僕の左腕は彼女の胸に押し抱えられ、体を沿うように下腹部を通って手を握られ固定されているんだ。
とはいえ、リシィは革鎧を装備しているから柔らかいのは胸くらいだけど、歩いていると時折スカートの下のふとももに触れる感触があるから、この状態は正常な男性だったら下手すると拷問にまでなる。
今はそんな煩悩に支配されている状況ではないけど、これは何とも逃れようとも逃れられず、また自分から逃れたくもない紳士レベル限界突破の試練だ。
今の僕には、まだ限界突破に必要な素材が足りない気がする……。
「あ、あの……それで、僕たちはどこに向かっているんですか?」
僕はそんな煩悩塗れの意識を逸らそうと、セントゥムさんに訪ねてみた。
「そうですね、クサカ様はどうなさいます? この“天の宮”は、残念なことに休息を取るにはあまり気持ちの良い場所ではないでしょうね。まずはこの場所を実際にご覧いただいて、どうなされるか決めていただきたく思いますね」
「な、なるほど……?」
“天の宮”、ノウェムが放逐されたセーラム高等光翼種の住まう地……。
セントゥムさんが残念とまで言うのは、恐らくそれらを気にかけてのことだ。
ルテリアのことも気になる、時を超えた疲労もあり休息も必要と直ぐには判断が出来ないけど、様子を見ながら考えられる最善を選択したい。
安らげる時間は、もうあまり残されていないのだろうから……。




