第二百九話 時の彼方に消えた想い
『“アシュリーン”とは、【天上の揺籃】と呼称されたオービタルリングのメインフレームに配置された、マザーオペレーティングシステムの総称です。それが崩壊した今、構成する全てのハードウェアは大地に落下し、その所在は存じ上げません』
「なるほど……未だに存在することは確かですね……」
『邪龍が封牢の中で目覚め、アシュリーンも再起動したことは確かですが、コアシステムは邪龍の手の届かないところに存在すると思われます』
「味方とは思っても良いんですね?」
『地球人類の貴方様なら、間違いなく』
僕の予測は粗方当たっていた。
コアの位置が邪龍の知るところとなれば当然破壊されるから、だからこそアシュリンを差し向けるなんて遠回りなことをしたのか。
ただそれすらも利用され、僕が彼女から“鍵”を託されたことが、【天上の揺籃】を邪龍の支配下に置かれる結果とまでなってしまった。
アリーやミラー、それにブレイフマン、候補は他にもいたかも知れない。この世界に召喚し力を与え、後は誰が運び屋となっても良いよう、臨機応変に掌の上で役者として使った……。
そう、【天上の揺籃】を再起動し管理者として認証されるには、“地球人類の遺伝情報を持つ来訪者”が必要だったんだ。
「【鉄棺種】が敵となっているのは?」
『セレニウスの力を受け継いだテレイーズを利用したがためです』
「確か“創物”の力……無機物に影響を与えることが出来る……?」
『はい、邪龍は“創物”の力を利用し、本来は亜神種に敵対するはずの【鉄棺種】に干渉しました。正式名称は【対亜神種用装甲機兵ヴァンガード】、現在は地球人類の捕縛と対亜神種の二重のプログラムが走り混乱を来たしております』
「なるほど、どうりで兵器の割には運用が出鱈目なわけだ……」
それにしても【対亜神種用装甲機兵】か、僕が変異墓守につけた名と同じだ。
“前衛”という意味で好んでつけられるものだから、一致したとしても特におかしくはないけど、偽神の“精神干渉”で影響を受けていたとなると恐ろしくもある……。
今はグランディータの庇護下、“精神干渉”はないはずだ……。
僕は疑念を振り払い、リシィを再び見る。【虚空薬室】に落とされた時に見たテレイーズの有様を思い出し、あの時のリシィの様子も思い出したから。
「リシィ、その……」
「奪還するものがもうひとつ増えたわ。命脈の祖たる神龍テレイーズ、彼女をあの苦しみから解放してあげないと……。カイトお願い、力を貸して」
「ああ、勿論そのつもりだ。僕はリシィの騎士だから、主の願いは必ず叶える」
「私も力の限りを尽くします。お二人だけでは行かせませんよ」
「わっ、我もっ! 我も今度は一緒に行くのっ!」
後は“棺”か……人が墓守の燃料にされていると思っていたけど……。
「【鉄棺種】の棺とは、邪龍によってそのもの自体が神力を集めるための吸引器にされていた……と解釈すれば良いですか?」
『はい、ご明察です。【対亜神種用装甲機兵】には霊子力を動力とする“根源霊子炉”が搭載され、【虚空薬室】と繋がる限りは稼働し続けます。それを逆流させ、今は“神力”と呼ばれる人の“霊子力”を集めるのが“棺”の機能となっております』
「霊子力……星の命脈……。なるほど、現在の地球で神力が薄くなっている理由も把握しました。人は星の命さえも吸い上げようとした……」
グランディータの悲しい表情がより一層の深みを増す。
かつて彼女が憧れた地球は、それこそ人の業が作り出したものだ。
星命を歪ませ、やがて多くの人命までも失われ、その全てを見届けて来ただろうグランディータの悲しみは、きっと僕では想像も出来ないほどに深く重い。
だからか、彼女の感情に呼応するよう右腕と右脚が冷たく痛む。
「最後にひとつ」
『はい、何なりと』
「僕は何ですか? 何故、貴女は僕をこの時代に召喚したんですか?」
『ひとつは、貴方様が私の良く知る御方に似ていたこと。もうひとつは、貴方様が“龍血”を継承するからです』
……
…………
………………
「えっ? リシィの、テレイーズの龍血ですか?」
『いいえ……。かつての大戦末期、一人の勇敢な青年がいらっしゃいました……。彼は大戦を生き延び、自らの責を果たすために私の龍血を受けたのです……』
「僕と同じく龍血を……」
『はい、彼は人々を率い、【重積層迷宮都市ラトレイア】の最奥から時の彼方へと消え行きました。全てをやり直すために遥かな過去へ……けれど、語り継ぐ者は誰もなく、その試みは少しの血脈を残すだけになってしまったようです』
「そ、それが僕……?」
『……はい。私は、あの御方の子孫であるカイト クサカ様の内に流れる私の龍血を頼りに、召喚も時の狭間からの救出も行ったのです。今となっては、私とテレイーズの龍血が交わるのも貴方様だけですから』
正直な気持ち、もうどんな反応を返せば良いのかわからなかった。
グランディータの話だけでは飽き足らず、時間遡行でタイムパラドックスは起きないのかと考え始めたら、どうしようもなく混乱し始めたためだ。
この場合、世界にとっては未来から人が来ることまで確定した事象となっているのだろうか……。わからない……。
リシィとサクラとノウェムも同様に、僕以上に混乱した表情を浮かべている。
今はただ、僕が実はリシィと同じような存在だったことだけを理解すれば良い。
「えーと、少し違うかも知れないけど、僕もリシィと同じく神龍の血脈だって」
「え、ええ……どう反応すれば良いのか困るけれど、そ、そうね……素直な気持ちを表すなら、少し嬉しいわ……。カイトを騎士に選んで良かった……」
リシィの反応は僕の想定外の意外なものだった。
困惑はしているようだけど、僕を見る瞳は未だに感情の良くわからない黄金色で、今の話を聞いても取り乱さずにただ慈しむような視線を向けてくる。
なん……だろう……?
サクラにしてもノウェムにしても、むしろ熱が篭もったような眼差しなんだ。
「驚くばかりですね。直ぐには気持ちの整理も出来なさそうです」
『無理もありません。悠久の時を生きる私たち星龍でさえ、その連綿と続く時の流れの中で自らの小ささに戸惑うのですから』
「より小さき人なら尚更、ですね……」
『それでも、貴方様はあの御方と同じ、大きな器を持っていらっしゃいますよ』
「ありがとうございます……」
悲しきは時の隔たりか……グランディータは恐らく、僕を通してその“僕に良く似た彼”を時の彼方に見ているのだろう。
人と龍、その間にどんな感情があったのかは想像も出来ないけど、グランディータの眼差しは悲しげながらも常に慈しむようなものだ。
そして、僕が何かを確かめようとリシィを見ると、彼女もまた視線に気が付いてこちらに顔を向ける。
その眼差しは不思議とグランディータと被り、何を思っているのかはわからないけど、少なくともそう悪い感情でないことだけは感じ取れた。
時の彼方へと消え行った“彼”、僕のご先祖様なら不器用なのは間違いない。
人と龍のロマンス……別にあったとしても良いじゃないか……。
「皆さんお疲れでしょう、お茶を用意しました。少し喉を潤すのは如何がかしらね」
いつの間にか姿を消していたセントゥムさんが、そう言いながら豪奢なティーワゴンを押して戻って来た。
ワゴンの上には色彩の豊かなお菓子や、独特な甘い香りが漂うティーポット、やはり豪奢な模様の入ったカップやソーサーが並んでいる。
気が付けば時間はもうお昼を回ったところで、今日は朝ご飯を食べた切りでここに至るまで何も飲み食いをしていなかった。
落ち着いて整理するためにも、そろそろ休憩を入れたほうが良いだろう。
「みんな、お言葉に甘えようか。考えすぎて疲れたから休憩だ」
「ええ、そういえばお腹も空いたわね。ありがたく頂戴しましょう」
「セントゥム様、それでしたら私が代わりにお茶を淹れますね」
「わ、我は……まだ主様の膝の上にいたいの……」
「う、うん、今は好きなだけいて良いよ……」
可愛らしいノウェムとか、本当に誰だこれ……。