第二百六話 辿り着くは銀砂の海辺
「はっ……えっ……!?」
どう……なった……?
僕はリシィとサクラを抱え、三人で青光の柱に飛び込んだ。
明確にそうだとわかる感覚はなかったと思う。青い光が視界を染め上げ、その後は地球に戻った時と同じ、気が付いたら別の場所にいた。ただ、それだけ。
時間の経過もわからず、体感的にはほんの数秒だったようにも、数日、いや数年が過ぎてしまったようにも思え、とにかく出鱈目だ。
「いったい何がどうなって……」
「うっ……どうなったの……酷い気分だわ……」
「カイトさん、リシィさん……ご無事……ですか……?」
良かった、僕はリシィとサクラを抱き締めたままだ。
そして、ないことにも気が付かなかった上下感覚を取り戻すと、どうやら僕たちは互いを抱えながらどこか広い場所で寝転がった状態らしいことはわかった。
まだ上手く焦点の合わない目を擦りながら、同様に茫洋としているリシィとサクラを支えてゆっくりと体を起こす。
ここはどこだろう……彼女たちと、銀色の空しか見えない……。
「僕も大丈夫だよ。何がどうなったのか、全くわからなかった」
「ええ、一瞬にも永遠のようにも思えたわ……。私は光膜を張れていたわよね……神力が粘りつくようで、呼吸が止まってしまうほど苦しくもあったわ……」
「まだ焦点が定まりません……。私たちは戻れたのでしょうか……」
三人とも意見は同じようだ。
過ぎてみれば、重い神力の膜を通り抜けたような感覚はあったかも知れない。
頭を振り、吐き気を感じながらも、互いに上体を支えて周囲を確認する。
「ここは……砂浜……?」
「うん? 良く見えないな……」
霞んだ視界に目を擦ると、視力が回復すると共に音まで聞こえ始めた。
「何だ……ここ……?」
「初めて見る光景です。何もありませんね……」
僕たちが倒れていたのは、銀色の空に地面もまた銀砂に埋もれた砂浜だ。
足元まで押し寄せるのは海水か。海中にまで銀砂が混じっているようで、やはり銀色に煌めく水面が異様と思えるほど美しく水平線の彼方まで続いている。
ザァ……ザァ……と、ただ波打つ音だけが聞こえる静かな場所。
他には何もない。浜辺の生物も、空を飛ぶ鳥も雲も、それだけでなく月や太陽さえもない、ただ銀空と銀砂と銀海だけが視界の全てを埋める銀色の世界。
「僕たちは、帰れなかった……?」
「はい、少なくともルテリアには……」
『そんなことはありません、皆様が狭間に揺蕩うのを探し続けておりました』
背後から、優しさと物悲しさを同時に秘めたかのような声音が聞こえた。
視線を向けると、そこには決して忘れることの出来ない白い肌と銀眼銀髪、銀灰を纏う美しい人の似姿……。そう、彼女が慈しむ眼差しで佇んでいたんだ。
そうか、世界の全てを染め上げる銀色と、それ以上の目映い銀色に燃える美貌、ここは彼女の住まう世界だったのか……。
「グランディータ……」
『カイト クサカ様、お戻りになられることをお待ちしておりました』
確証があったわけではない。だけどもし、本当にグランディータが僕たちの味方だったのなら、必ずどこかで介入があるだろうとは想定していた。
他力本願は好まない、それでも彼女なら……と思ってしまっていたんだ。
「は、はは、何が何だか……僕たちは、戻って来れたんですか……?」
『ご心配には及びません。ここは“天の宮”にある私が住まう“御所”と呼ばれる場所、セーラム高等光翼種が住まうスペースエレベーターの最上となります』
「“天の宮”……ノウェムの……?」
『はい』
周辺を見渡しても、それとわかる構造物も出入口すらない。
リシィとサクラもグランディータを見て辺りを見回し、結局は銀色の海辺以外に何もないこの場所で、状況の把握も出来ずにただ目を白黒させている。
ひとつの閉鎖世界、【重積層迷宮都市ラトレイア】と同じ技術か……。
「貴女は……今度ばかりは本当に目の前に……?」
『はい、私が六龍の一体、白銀龍グランディータの中枢人化形態となります。間違いなく貴方様の目の前に実体として存在します。触れてみますか?』
「いっ、いえっ! それは大丈夫です!」
相変わらず、引き摺るほどの長い髪が覆い隠しているとはいえ、グランディータは服を着ているようには見えない裸身のままだ。
一見すると裸の女性に、それもリシィ以上の美貌を持つ相手に触れるなんて、例え相手の許しがあったとしても実際にやるつもりはない。
銀色の長い睫毛は瞬きをする度に光を放ち、銀色の双眸が収まる目は優しくも涼し気に、それでいて悲しげに僕を見詰めている。
整った顔立ちは二十代の若く美しい大人の女性で、彼女を前にした男性は誰もが沸き立つ感情に支配されそれでも手を伸ばすことも出来ず、そんな高嶺の花どころかただ遠くに眺め決して届きはしない月花、それが彼女だ。
そして、グランディータはより悲しげに表情を歪めて儚げに口を開いた。
『世界を超える感覚とは現実感の乏しいものでしょう。ですが、紛れもなくここはカイト クサカ様と皆様が元いた世界、紛うことなき現実でございます。……丁度いらしたようです、まずはお確かめください』
グランディータが言い終えると同時に、彼女の背後、銀砂の砂浜がどこまでも続いて砂漠のようにも見える光景が割れた。
いや、そこに初めからあって景色に紛れていた扉が開いたんだ。
「あっ……あうっ……あるじっ、主様っ……!!」
開いた扉の向こうには、二人のノウェム……。二人……!?
「あうっ、あうじしゃまーーーーーーっ!!」
いつもの黒灰色のミニドレスを纏ったほうのノウェムが、僕を呼びながら飛ぶことも忘れて銀砂の上を駆け出した。
彼女は砂に足を取られて何度も転び、未だに現実感が伴わず腰を下ろしたままになっている僕の胸に飛び込んで来たんだ。
ノウェムの体温を感じる、沁みるほどに馴染んでしまった、この温もり。
「あぐっ、うぐっ、あうっあうっ、あうっじっしゃまっ……! もうっ、会えないっかとっ! うっ、えぐっ、ううぅー! わああああああああああああっ!!」
「ノ、ノウェム……良かった、無事だったんだね。こんな砂だらけになって……ごめん、不安だったよな……」
僕は力の限りに、精一杯の大切な感情を込めて彼女を抱き締めた。
別れてしまう前と変わらず誰よりも小柄な体は、それでも僕の腕の中で大きく震え泣きじゃくっている。
リシィとサクラもそれを見てようやく落ち着いたのか、リシィに至っては少し困った表情でノウェムの髪を漉くように撫でていた。
本当に良かった……無事でいてくれて、本当に……。
―――
ノウェムが泣き止むまではかなりの時間がかかった。
誰も彼もその場で辛抱強く待ち、彼女が泣き止む頃には僕の服は水でも被ったかのように濡れ、責められる代わりに現実的な冷たさを残されてしまった。
立ち上がった後もノウェムは僕の腕を掴んで離さないけど、目の周りを酷く腫らしたことが恥ずかしいらしく、僕の体の影に隠れて出て来ない。
『皆様、こちらでおくつろぎくださいませ。カイト クサカ様、お約束した通りに今ここで全てをお話いたします』
「ありがとうございます。では、遠慮なく……」
そうして、僕たちはグランディータに案内されて扉の向こうに進み、前室に用意されたどう見てもぽむぽむうさぎのソファーに四人一緒に座ることとなった。
ノウェムは当然のように僕の膝の上、今は仕方がない。
前室は本来ソファーがあるような空間ではなく、SF染みた灰色の光沢を放つ鋼鉄の壁に囲まれた場所だ。内部の広さは一般的な体育館を一回り大きくした程度で、ここに入ればスペースエレベーターの最上だということも理解が出来た。
そして、その広い空間の中央に唯一の家具となるソファーがあるだけだから、これは恐らく僕たちのために急遽用意されたものなんだろう。
他に気になるものはひとつ……いや六つか。
“迷宮廃塔アルスナル”の最下層にあったものと同じ“鏡面の柱”が六本。
それが、僕たちの周囲を同じ間隔で取り囲んで立ち並んでいるんだ。
つまり、恐らくはこれこそが本来の機能を持つもの……核心だ。
ようやくここまで辿り着いた……。
知ろう。揺るぎなく抜かりなく、“この世界”を形作る秘密を……。
既に想定は済ませたのだから……。