第二百五話 自らの意志で
――“巨大樹”外縁部から北西三キロ地点、首都高速五号線路上。
「九坂、見送りはここまで、これ以上は立ち入り制限だ」
「見送りありがとう、守山。何から何まで、感謝してもしきれない」
「カイト、桜の苗木だ。根付くかわからんが、持ってけ」
「その大きな袋は苗木だったのか……爺ちゃん、ありがたく頂くよ」
僕たちは東京に五日間滞在し、松岡統合幕僚長との面会や異世界に関する情報の共有、これから考えられるあらゆる事態を想定した話し合いに時間を割いた。
猶予はあまりないだろう、それでも必要なものは残して行くべきだから。
そして今、僕たちは装甲車から路上に降ろされ、爺ちゃんと守山、自衛隊員たちに見送られている。勿論、首都高速は封鎖され大部分が機能していない。
護衛は16式機動戦闘車二台に一個小隊を乗せた装甲車と攻撃ヘリ、更には糧食を始めとした物資の支援も受け、これから旅立つに至れり尽くせりだ。
「お祖父様、この桜は私が命に代えても根付かせてみせます……!」
「サクラ、本当に命には代えないでね? 何よりもサクラの命が大切なんだ」
「はっ、はいっ! 私にとっては、カイトさんのお傍にいられることが何よりも大切です!」
「相変わらずだな、孫の顔を見られないことだけが心残りだ」
「爺ちゃん!? それは申し訳ないけど!」
「なに、気にするな。あの大樹は孫がこしらえたんだ、なんて自慢が出来るのは歴史上後にも先にも俺だけだろ、お前は最高の孫だ。なあ、カイト」
「信じてもらえる話じゃないとは思うけど……。爺ちゃん、ありがとう」
僕のお礼に祖父は答えるでもなく、ただニッカリと笑った。
別れ際でも何度となく見て来たいつもの笑顔、まだそうと決まったわけではないけど、これで見納めになるかも知れないと思うとやはり心残りだ。
それでも、地球への侵攻を止めるために、あの世界の平穏も望みたいから、僕は名残惜しさを飲み込んで前に進む。
「九坂、兵站の維持や帰還が保証されない問題から、自衛隊の大規模派遣はあまり先行きが良いとは言えない。だが、俺は自分から志願してでも国民の救助と九坂の手助けに行くからな。それまでは死ぬなよ」
「守山……何となくお前からは同じ匂いを感じていたんだけど……本当はケモミミ美少女の彼女が欲しいとか理由もあるよな?」
「ばっ!? なっ、何を言う! 自分はただ一自衛隊員としてだな……ああそうだ、悪いか! ケモミミ美少女が現実に存在する世界があると知り、行かない選択肢があるか!? いや、断じてない!!」
「その気持ち、わかる……」
「それでも、借りは返すからな。九坂にも、その三位何たらとか言う敵にも、必ず。日本国国民を捕らえてただで済むと思うなよ、と伝えてくれ」
「ああ、なら期待して待っているよ。それは自分から伝えて欲しい」
「そうだな、正義の味方は遅れてやって来るもんだ。首を洗って待ってろ、九坂」
「カイトさん、『首を洗って待ってろ』とはどう言う意味ですか?」
「うーん……本当は、首を切られる準備をしろと言うことだから頷きたくはないんだけど、この場合は覚悟をしておけって意味かな……」
「日本語とは奥深いですね……」
サクラはちらりと守山を見て、彼はその視線にニカッと笑って応えた。
守山は僕と趣味が似ている。自衛隊の派遣が決まらずとも、多分一人だろうと“青光の柱”に飛び込みそうだ。
まあ松岡統合幕僚長の話によると、政府が国民を守る姿勢を見せるためにも、何らかの形で小規模でも部隊を派遣することにはなると言っていた。
僕としては来て欲しくないけど、その半面で何より心強いとも思ってしまう。
「それじゃあ、行くよ。リシィも最後に何かないか?」
「え、ええ……。お祖父様、カイトを連れて行くことをお許しください。私は……」
リシィは祖父の傍に歩み出て、頭まで下げて何かを告げた。
祖父はそんな彼女と僕の顔を交互に見て、最後はやはり笑うだけだ。
何を話したのか、振り返ったリシィは俯いて頬を赤くしているから、どうせまた結婚がどうのこうの孫がどうのこうのと言ったに違いない。リシィはまだ先日の口付けを意識しているようだから、今の彼女にとっては爆弾みたいなものだろう。
勘弁して……いや、これが最後だ。今は誰よりも感謝する。
「爺ちゃん世話になった、ありがとう。守山も、またな」
「おう、世界を救って来い、カイト」
「九坂、また会おう」
自衛隊員たちが祖父と守山の背後に整列し一斉に敬礼をする。
そして僕たちは彼らに背を向け、再び三人だけで“青光の柱”を目指し始めた。
振り返りはしない。隣を歩くリシィとサクラの存在を思えば揺らぐことはないけど、万が一にも振り返れば後悔を残してしまうかも知れない。
だから振り返りはしない、そう何度も自分自身に言い聞かせてただ進んだ。
―――
――巨大樹の根本。
「やはり、自衛隊の調査報告通り“精神干渉”がなくなっているみたいだな」
「そのようですね、今はもう心の内に違和感のようなものもありません。事態が進行していると考えればよろしいでしょうか……」
「それが改善か悪化か、最悪は既に邪龍が目的を達成してしまった可能性があることだ。向こうの世界に戻れたとしても、ひょっとしたら……」
「そんな……それなら私たちの世界は、国はもう……」
「そんなことは考えたくもありませんが、私は信じています」
「ああ、そうだな……。ルテリアにはセオリムさんやトゥーチャ、エリッセさんにシュティーラさん、グランディータまでいるんだ。ベンガードやティチリカ、多くの探索者や騎士に衛士たちだってそう簡単に屈するわけがない」
「そ、そうよね……」
「はい、あの方々は本物の英雄です」
僕たちは巨大樹の根本まで【黄倫の鏡皇】を構えて来たけど、どうも作戦中に感じていた空気抵抗のようなものがなく、神器を解除したところで影響はなかった。
「リシィ、サクラ、僕たちの帰る場所を取り戻しに行こう」
「ええ、あの宿処での生活は気に入っていたの。帰りたいわ」
「はい、また皆さんと机を囲んでお茶にしたいところですね」
「けれど、どうするの? 根が邪魔で近づくことも出来ないわよ」
僕たちの目の前には、数千年もの間ここに根付いていたかのような、分厚く苔生した巨大樹の表皮が壁となり行く手を遮っている。当然、これは僕の心象によって神器が起こした奇跡なんだけど、これでは僕たちまで通れない。
見上げる幹は高く遠く、先端が硬いアスファルトにまで潜り込む根は建物を大きく越えて迫り上がり、根だけでも樹海の様相となってしまっているんだ。
人々も確実に通れないけど、かなりやり過ぎたとも思う。
「心象だけでは正確性に欠けるけど、一応は入口も思い描いて造形したつもりなんだ。ついて来て、こっちだ」
そうして、僕たちは黒焦げの残骸となった砲狼を横目に、まだ原型を留めつつも巨大樹に半ばまで飲み込まれたビルに入って行く。
上手く出来ているかは確認するまでわからないけど、僕はこの建物を避けて植物が伸びるように思い浮かべたんだ。
当然この事は自衛隊にも伝え、後の管理は彼らに任せることとなる。
「えと、壁よ……?」
「この向こうですか……?」
建物の構造を考え、“青光の柱”に出ると思われる場所に行き着くと、そこは屋内駐車場で穴を開けるには十分な壁面が確保されていた。
「上手く出来ていればだけど、サクラ頼めるか?」
「はい、穴を開ければよろしいのですね」
「柱は避けるように、気をつけて」
「はい!」
そしてサクラが鉄鎚を振るうと、壁に人一人が通り抜けられるほどの入口が開けられ、当然その向こうには目映い輝きが見えた。
上にも下にも流れるように見える、今も銀座を飲み込んだままの“青光の柱”。
「サクラ、ありがとう。綺麗に穴が空いたな」
「はい、カイトさんのお役に立てましたら何よりです♪」
「むぅ……私がやっても良かったのよ?」
「リシィは“青光の柱”突入の際に光膜を張ってもらう。頼めるか?」
「ええ、任せなさい。いきなり【天上の揺籃】の中に出ても凌いでみせるわ!」
「それは嫌だけど、このまま邪龍と対面するくらいの覚悟はしないとな」
この青光に入れば戻れるのだろうか、不安が尽きることはない。
だけど躊躇はしない、今度こそ自分の意志で世界を超えて辿り着く。
“あの世界”へと――。