第二百四話 いじらしく少女惑う
◇◇◇
「はぁ……」
あれから一日が経過し、昨日は大きな宿に案内された後、私もサクラもベッドに倒れ込んで眠ってしまったの。
今はその宿の上階、展望台にもなっている社交室のような場所にいるわ。
日本は私たちの世界よりも大きな建物が多く、食事で案内されたのは良いけれど、崖の上にいるように思えてとても窓際には近づけない。
室内はとても広い豪奢な広間で、座るソファも赤みを帯びて落ち着いた色合いの風味の良い革で統一されている。けれど、城のように広い宿でも私たちの他には人がいなくて、今のところ案内の女性しか見ていないわ。
これほどの洗練された優雅で気品のある建造物、私たちの世界では貴族の屋敷でもどんな城にもない。
やはり、カイトの世界は私たちの世界よりも遥かに文明が発達しているのね。
「それにしても大きいわ……。体外の神力を使用することであれほどの大樹を神器で形作れるだなんて……【神魔の禍つ器】と言われるわけね……」
私がいるのは部屋の真ん中付近で、外を遠巻きにすることも怖いけれど、一面の窓ガラスの先に見える巨大樹が気になり思わず視線を向けてしまった。
あまりの大きさに距離感がわからないけれど、遠くに霞んで見える“フジサン”を覆い隠し裾野しか見えなくしてしまうほどだわ。
全高は千メートルに迫るのかしら、規模が大き過ぎて測れないわね……。
モリヤマの話によると、巨大樹は幹の直径がニキロ以上もあるそうで、そこから伸びる枝葉はギンザの街にそれ以上の影を落としてしまっている。
最上部からは未だに“青光の柱”が伸びているから、人々が飲み込まれなくなっただけで驚異がなくなったわけではないわ。
「んっ……ううぅ……」
こうして意識を逸らすために巨大樹を見ても、今の私にはそれでもどうしても焼きついて離れない記憶がある。
「んううぅ……」
覚悟はしたのに、相手がカイトだから……む、むしろ率先して自分から望んだくらいなのに……実際に終わってみると、顔が……熱くて仕方がないわ……。
ううぅ……カイトに二度目の口付けをしてしまうだなんて……。
思えば、一度目も二度目も大切な口付けがムードも何もないし、そ、それに本当は彼のほうからして欲しいのに……って! 違うっ! ちーがーうーのーっ!!
そうじゃない、そうじゃないのっ! 朝も一度会っているけれど、また愛想のない態度を取ってしまって、これからどうやってカイトに向き合えば良いのか、その事こそが重要問題よっ! ううぅー、素直になりたい、でもなれない、同じところをぐるぐると回ってしまっていて、私がどうしようもないわ……。
「リシィ、悩みごと? 僕で良いのなら相談に乗るよ?」
「ひゃっんっ!?!!?」
「おわっ!?」
わ、わわわっ、驚いたわっ……! 心臓が引っ繰り返ったようだわっ!
いつの間にかカイトが机の対面に座っていて、私を真正面から見ているんだものっ!
何なの! 何なのっ! 日本に来て“ニンジャ”というものを学んだけれど、カイトもニンジャなのっ!? 気配を消すのが日本人の常なのっ!? ううーっ!!
「リ、リシィ……本当に大丈夫か……?」
「え、ええ、ごめんなさい。昨日のこ……い、いいいいえっ! テュルケが心配で、早く戻りたいと気持ちが急いて考えごとをしていたのよっ!」
「うん、心配だね。ノウェムもベルク師匠もアディーテも無事でいると良いけど」
いつもながら酷い言い訳だわ、カイトは素直に受け取ってくれたけれど、もう少し言いようはなかったのかしら……これでは何も進展しない……。
「リシィ、君たちの世界でも……その、初めての口付けは大切なものだと思うんだ……。僕を支えてくれるために、それを奪うことになって本当にごめん……!」
……
…………
………………
……ん? 突然カイトは何を言い出したのかしら?
彼は頭を机に擦りつけるほどに下げて、謝罪の言葉を口にした。
「だと言うのに、本来は大切な女性に一番を捧げるべきなのに、僕は始めてをサクラに……いや、サクラが悪いわけでもない。僕の不甲斐なさが原因だ」
え……サクラともしたの……?
「カ、カイト……貴方、サクラと……?」
「ああ、発情期の時に奪われる形だったけど、あれはそもそも僕が……」
んんんん……? ひょっとして彼は覚えていない……?
わ、私が始めて彼に口付けをした時のことを、一瞬だけ昏倒しても視線は私を見ていたからてっきり意識はあるのかと……。
待って、だとしたらカイトは大きな勘違いを……彼の言い分なら、意識がなくとも正真正銘の初めては私のはずなのに……これは由々しき事態だわ……。
け、けれど、それを自分の口からカイトに伝えるの……!?
◆◆◆
「あれはそもそも僕が……」
誠心誠意の謝罪を口にした直後、リシィがわなわなと震え始めた。
怒っている……確実に怒っているんだ……これは騎士を解任されても仕方がないほどの背信行為だ。主に対しても、大切に想う女性に対しても。
それでも、それでも僕は身勝手な思いだけどリシィの傍にいたいから、許してもらえずとも傍らで傅くことだけは許可をもらわないといけない。
報いは要らない、僕はただ彼女の騎士で、彼女に仕える侍として生きるんだ。
「リシィ、本当にごめん……ぼ……」
「ううーっ! カイトのバカーーーーーーッ!」
――バチーーーーンッ!!
「ぐっ……体の痛みはいくらでも耐える、いくら叩いてもらっても構わない。それでも僕は、僕がリシィの傍にいることを許してもらいたいんだ!」
「違うわっ! 違うのっ! カイトの初めては私なのっ! 私なんだからぁっ!」
……
…………
………………
……………………
……ふへぇっ!? ど、どどどういうこと!?
リシィはかつてないほど顔を林檎のように真っ赤に染め、表情は怒っているというよりは拗ねている膨れっ面。目尻には涙を溜め、瞳は黄金色だ。
始めてがリシィ……記憶には全くないけど……!?
「リ、リシィ、ど、どう言うことなんだ? き、聞いて良いのか悪いのかもわからないけど、リシィに対する背任にならないのなら詳しく聞きたい」
リシィは二度三度と視線を彷徨わせ、最終的に顔を逸らしながらも視線だけは横目に僕を見て、強い感情に震える唇を開いた。
「カ、カイトが、【蒼淵の虚皇】の力に当てられた時よ……体内に龍血を流し込んで、く、口から直接神力を吹き込んだの……。だから、初めては……私なんだから……」
天井に見渡すばかりの黄金の空が広がり、突然天使が舞い降りて来た。福音を告げる鐘の音が聞こえ、恥じらいながらも俯くリシィからは後光が差し込んでいる。
あの時も今回も状況的には致し方のない事態だったことから、本当のところは男女間の好意とは少し違うのだろうけど、それでも僕は彼女に精一杯の感謝をしたい。
女神は本当に存在した、世界はこんなにも目映かったんだ……。
「カイトさん、リシィさん、どうかされましたか?」
「おわっ!? ビ、ビックリした……サクラはもう良いのか?」
「はい、新たな調理法を学ばせて頂きました! ふふ、この世界は和食以外にも目移りしてしまうお料理が多いのですね」
「サクラは研究熱心だな……昨日の今日でもう少し休めば良いのに……」
「そうもしていられません、この世界にはいつまでいられるかわかりませんから」
「それもそうか……」
サクラは出来るだけ地球の料理を学びたいと、昨日の今日だというのにホテルに頼み込んで厨房を見学させてもらっていた。
今の僕たちは立場上一国の王族一同で、なおかつ事の真相を知る存在として国賓扱いとなっている。
本来は直ぐにでも青光の柱に飛び込みたかったけど、情報だけは出来るだけ置いて行くべきなんだ。
「リシィ、その……ありがとう。君が僕の主で良かった」
「ん……ん! 私も、カイトが……ごにょごにょごにょ……」
結局は最後が聞き取れなかったけど、そんなことは構わなかった。
何とか勝ち取れたほんの少しの休息、これまで胸に抱えたもやもやとした気持ちも晴れ、今はただ満ち足りた胸の想いに応えるよう全力で次に備えようかと思う。
情報を渡した後は、直ぐにでも“あの世界”へと戻るのだから……。
恥ずかしそうに頬を赤く染めてそっぽを向くリシィ、そんな僕たちの様子を不思議そうに眺めながらも見守ってくれるサクラ、本当に彼女たちが一緒で良かった……。
それにしても何か忘れて……あっ、爺ちゃん……!