第百九十一話 抗する者 西へ
「僕たちはもう行きます、情報をありがとうございました。ご家族の安全のためにも、出来るだけ早くあの“青光の柱”から遠ざかってください」
僕はリシィを抱え、跳躍する態勢を取って男性に告げた。
「え? 君たちはどこに? 何か知ってるのか?」
「僕たちはちょっと世界を救いに行って来ます」
「……は?」
正直に言えば、大言壮語とはこのことだと思う。
世界を超えてまで干渉の出来る偽神は、やはり“神龍”で間違いないんだ。
“偽”でも何でもなく本当に“神”で、それも一度良いようにされ、まだ立ち向かう選択をするのは“英雄”ではなく“愚者”、あまりにも無謀が過ぎる。
「お兄ちゃんの手かっこいいー!」
「お姉ちゃんのほうが綺麗だもんっ!」
車の窓から顔を覗かせてそんなことを言う男の子と女の子に、僕はヨエルとムイタを重ねてしまう。
ヤエロさんとは再開出来ただろうか、今も無事でいるだろうか。
二人には必ず帰ると約束し、僕たちは迷宮に入ったんだ。
だからこそ、なおさら僕はあの世界に戻らなければならない。戻りたい。
「この先、東京は戦場になります。今から常識では測り知れない現実があることをお見せするので、後はご家族を守ることだけ考えてください。お願いします」
「ま、待て、どういう……」
「それでは」
最後に子供たちに向けて手を振り、僕たちは地面を蹴り壁を蹴り外階段を足がかりに、道路脇の高さが十階以上のマンション屋上まで一気に跳び移った。
そうして下を見ると、遠ざかった親子だけではなく、周囲にいた人々まで呆気に取られこちらを見上げている。
本当は「逃げろ」と大声で叫びたかったけど、この渋滞の中で混乱が起きると、我先にと逃げる人々で死傷者すら出る事態になりかねない。
今はただ交通規制が機能することを祈り、少しでも関わった人を逃がす選択をするだけだ。
僕たちは男性が車に戻ったのを確認し、建物の屋根を力強く蹴った。
―――
国道十四号線を西に向かい屋根の上を跳び移って行く。
大きな建物の切れ目も難なく跳び越え、神器に侵蝕され続けた体は人外の動きでも既に軋みさえしなくなっていた。
警察による封鎖箇所も気が付かれる前に頭上を跳び越える。
道路の封鎖箇所や車の流れを見ていると、北側に回して近づかせないようにはしているようだけど、東京の全ての路地を完全に封鎖することは出来ない。
事態の把握が出来ていない状況で、それでも限りある人員を使って“青光の柱”から遠ざけようとはしているんだ。
「カイトさん、警察に協力を仰がないのですか?」
「協力はしたいけど、現場の警察官では取り付く島もなく無駄に時間を費やす可能性がある。僕たちは武器を持っているから、取り上げられ拘束されるだろうね」
「それならどうするの? この世界では私の身分も証明出来ないわ」
「まずは現場の状況を確認し、僕たちの墓守に対する特殊性と有用性を自衛隊に示したい。練馬から第1師団が出ているはずだから、接触するのはそちらだ」
“青光の柱”は首都に対する攻撃と判断されかねないもので、それも皇居からほんのわずかな距離。
そのためか異例とも言える迅速な防衛出動だったけど、それ以降は一切の情報がなく、屋根の上から見渡しても戦闘どころか煙のひとつも上がっていない。
最悪中の最悪、間違いなく三柱の神龍の“精神干渉”により、接近した自衛隊員はその全てを戦うこともなく制圧されてしまっているんだ。
「リシィ、最後の神器は“精神干渉”能力があるよな?」
「え……ええ、あるわ……あれ、どうして私、今まで忘れていたの……」
「やはり、僕も地球に戻ってから始めて思い至った。三柱の神龍、黄龍ヤラウェスの“精神干渉”に対抗する神器、ずっと意識から逸らされていたんだ」
「そう言えば……神龍グランディータは、『ヤラウェスの精神干渉にだけはお気を付けください』と仰られていました。確かに知らされていたのに……まるで意識に霞がかかったように……」
「ああ、だから最初から、それこそ僕が【重積層迷宮都市ラトレイア】に迷い込んだ時から、既に精神干渉を受けていたんだ。グランディータの水面下での行動も、恐らくは三柱の神龍に利用されていたに違いない」
「何て……こと……」
そして、僕たちはまんまと誘いに乗って【天上の揺籃】に辿り着き、地の底に封じられていた三柱の神龍を解き放ってしまった。
あまりにも都合良く迷宮を進めたのは、要所でそうなるべくそうされたから。
どう足掻いたところで、用意された道はひとつどころに収束したんだ。
時折、僕が天啓のように見た予見……あれも恐らくは……。
「けれど、少なくとも今は私たちに対する精神干渉はない。そうよね、カイト?」
「ああ、そもそも『時の狭間で彷徨うが良い』と告げた奴らは、僕たちを地球に戻すつもりもなかったんじゃないかと思う。だから、この場に僕たちがいることは奴らにとっての“想定外”だ」
可能性は所詮可能性、それに縋ることは道を間違えかねない愚行だ。
だけどこの“想定外”、僕には第三者の救いの手があったからだと考える。
神龍グランディータ、彼女が“青炎の太陽”に落ちた僕たちを地球に逃した。
それすらも……と思ってしまうのは、最悪に慣れ親しんでしまったが故の悪い思考だけど、どんな不条理も今となっては足掛かりとしてみせる。
「カイトさん、人が……!」
“青光の柱”を見上げるほどに近づいたところで、道路の先に覚束ない足取りで出歩く人々が視界に飛び込んできた。
その中には、一般人だけでなく警察官や自衛隊員までいて、皆が皆“青光の柱”に向かって一心不乱に歩いている。
「これ以上に進むと、僕たちも“精神干渉”の影響圏に入るな。ここから神器を使ってヤラウェスの干渉を打ち消せないか?」
「ごめんなさい、無理よ。私たちくらいなら対抗も出来るけれど、他者に影響を及ぼすには見せる必要があるの。既に影響下のあの人たちを止めるには、干渉自体を止めるしかないわ」
「“青光の柱”を、“門”を閉じるしかないのか……!」
その時、サクラが何かに気が付いて屋上から飛び下りた。
彼女の向かう先には、道路上に止まっている自衛隊の軽装甲機動車があり、良く見ると車の陰に人が寄りかかるように倒れている。
付近に墓守は存在しない、ここで戦闘があったわけではないようだ。
僕も後を追い、屋上から飛び下りた後は抱えたままのリシィも下ろし、サクラが様子を見ている人の元に駆け寄った。
「サクラ! その人は……自衛隊員か?」
「はい、そのようです。意識を失っているだけですが、左頬に打撲痕があります」
「こんなところで誰かに殴られた……? リシィ、周囲の警戒を」
「ええ」
自衛隊員は意識がなく、見たところ僕とそう変わりのない年齢だ。
周囲に人影はなく、彼がもたれかかる軽装甲機動車の中にも人はいない。
この日本で、作戦行動中の自衛隊員に襲いかかる人はまずいないと言っても良い以上、状況から考えて“ここにはいない隊員が”と考えるべきか。
精神干渉があっても、意識を失えば行動が制限されるのは当然のことだ。
行動制限……何も人を昏倒させる必要はなく、道が繋がっていないだけで良い……。その最たるものが“門を閉じる”だけど、僕たちが向こうの世界に戻ることが出来なくなる……それなら、必要なのは“壁”か。
青光の柱を取り囲むだけの壁、そんなものを造れるとしたら……。
僕はリシィを見る。黒杖に手をかけ、周囲を見回し警戒している。
光膜で覆う……いや、神力の供給がなければ途絶えてしまうものはダメだ。
事が終わるまで永続するもの……思い当たるものはひとつ……。
「リシィ、聞きたいことがある」
「ええ、何かしら?」
あまりにも細過ぎるこの道程、次々と阻まれるこの状況で、果たして僕は正解を見つけ出すことが出来るのか……。
いや、弱気は要らない。必ず見つけてみせる。