第百八十九話 彼女の心 彼の心
「リシィ、落ち着いた?」
「ええ、ごめんなさい。取り乱してしまったわ」
うぅ……カイトのためならと思って自分から切り出して、彼の答えも想像が出来ていたのに実際に聞くまでは安心出来なくて、私も私でずるい女よね……。
この世界に残って平穏の中で生きて欲しいのも本当、ずっと一緒に片時も離れず傍にいて欲しいのも本当、自分自身の心が時々わからなくなるわ……。
だからせめて、この胸の気持ちだけは今はっきりと伝えておかないと。
“青炎の太陽”に飲み込まれる直前に伝えた言葉は聞こえていなかったようだし、平穏の中にいては余計に怖じ気づくばかりで、こんな時だからこそなのよ。
伝えるわ、カイトが私を想ってくれる以上に強いこの気持ちを。
「カ、カイト……私は貴方のことが……」
「カイトさん、リシィさん、大変です!」
ううぅーーーーっ! 何故いつも私は間が悪いのっ!!
「どうしたんだ!?」
「青光の柱より墓守が現出しました! カイトさんが推測した通りです!」
「動きが早い……僕たちも急がないと……!」
「カイト、サクラ、行きましょう。私たちに何が出来るのかはわからないけれど、墓守を退けて“門”を閉じる方策を考えるべきだわ」
「ああ、その通りだ。行こう」
「ええ!」
「はい!」
口では勇ましいことを告げ、心の内は臆病で、本当にどうしようもないわ。
こんな表とは裏腹な私を知ったらカイトは幻滅するかしら……ううん、それでもきっと彼は、情けない私でも今までと変わらずに好意を寄せてくれる。
そう信じられる……だって、私がそうだから……。
カイトはサクラを追って廊下に出て、私の荷物まで拾いながら階段を下りて行く。
人一倍重い荷物を背負っているのに、自分の負担は気にも留めないで他人のことばかりを気遣う。休んで欲しい時だって「休む」と言うのは口ばかりで、実際はいつも誰かのために心を砕いているのも知っている。
いつだって私を支えてくれて、私だってそれ以上にカイトを支えてあげたいのに、返せない想いばかりが溜まってしまう。
本当に……本当に仕方がないわ……私も、彼も……。
そして、先に階段を下りるカイトが背嚢に邪魔されながらも振り向いた。
「リシィ、今何を言おうとしたんだ?」
「何でもない……ううん、いつもありがとうカイト」
「ああ、そんなことか、当然だ……」
「大好きよ」
◆◆◆
……
…………
………………
……………………
「……えっ!?」
「時間がないわ、立ち止まらないで」
リシィはそう言うと、狭い階段で僕に密着しながらも通り抜け下りて行った。
か、彼女の言う通りだ、立ち止まっている場合じゃない。
二人の後に続いて居間に戻ると、テレビには遠く望遠カメラに映し出される見慣れた姿形の墓守が、サクラの言う通り青光の柱から続々と現出していた。
思っていた以上には多くない。砲兵と従騎士を中心とした中型の編成で、映された範囲で一体だけ正騎士が存在するものの、都市部の道幅のせいで広くは展開出来ていないようだ。
現地リポーターがまくし立てるようにその様子を伝えている。
『おわかりいただけますでしょうか! ロボットです! ロボットが現れました! 大きいものから少し小さなものまでいくつかの種類があり、見える範囲だけでも三十体は確認出来ます! 今のところ接触はないようですが、突如として現れたロボットに現場は混乱しています! 私たちは出来るだけここに留まり、何か動きがあり次第引き続きお伝えします!』
『はい、現地リポーターの白石さん、ありがとうございました。現在スタジオにも情報は伝わっておらず、突如として光の柱より現れたあのロボットが何なのか、判明していることはありません。それについては専門家を交え……』
「カイトの言った通りになったな。『奴ら』ってのはあれのことか」
「ああ、【鉄棺種】と分類される神代文明の遺物、地球の科学力を上回る技術で作られた生体機甲だ。自衛隊といえども正面から撃ち合って勝てるとは思えない」
だからと言って、僕たちが行ったところで状況が良くなるわけでもないだろう。
僕達は三人しかいない。自衛隊戦力を総動員してでも正騎士の防護フィールドを抜けなければ、わずか一体の墓守に壊滅させられることもあり得る状況だ。
異例の速さで自衛隊に防衛出動命令が下されたようだけど、幸いなことにまだ戦闘が起きていないのでまだ展開中、情報収集中か。
「カイト、この谷間のような地形を活かせないかしら、【銀恢の槍皇】で一網打尽に出来るわ」
「道路はここだけじゃないから、一箇所を殲滅したら次はやらせてくれそうにない。それに、僕たちが辿り着くまでに広く展開してしまうかも知れない。こうなる前に政府と接触しておくべきだったか……」
「仕方がありません。地球にまで神龍の支配が及ぶなんて、いったい誰に想像が出来たでしょうか。カイトさん、今は被害が拡大する前に出来ることをしましょう」
「ああ、爺ちゃん、車の運転を頼む。僕たちは優先討滅目標を正騎士とし、最低でも防護フィールドを剥がす。出来れば途中で自衛隊の協力を仰ぎたい」
そうして、僕たちは荷物を背負って祖父宅から表に出た。
日本に戻って以来、見ていなかったリシィとサクラの格好はどこか懐かしい。
リシィは色鮮やかな青い革鎧と白いコートに腰から下げた黒杖、サクラはあまり変わらないとはいえ、馴染んだ桜色の上衣と紫紺の袴に【烙く深焔の鉄鎚】だ。
見慣れた日常からやはり見慣れた非日常へ、僕たちはまた足を踏み入れる。
わずか一ヶ月の平穏は長いようで短く、手放すことを惜しいとも思ってしまう。
出発する前に一応……いや、しっかりと聞いておかなければならない。
「リシィ、さっきのあれは……僕に……」
「うっ、あまり自惚れないでっ! 嘘偽りのない本心だけれどっ、更なる親愛を得たいのなら、どんな窮地でも乗り越えて私と共に在りなさいっ! 良いわねっ!」
リシィはそう言うと背を向けてしまった。
僕は色恋沙汰……というよりも、人から向けられる感情に無頓着だ。
ルコを一度失い、両親も失ってから、多くのものを得ないように日々を過ごした。
そのツケだろうか、そうしていつしか感情が平坦なものになり、人から向けられる好意にも悪意にも酷く鈍感になってしまっていたんだ。
「カイトさん、リシィさんは意地っ張りですから、本当は……」
「あっ、サクラ、余計なことを言わないでっ! これ以上はないわっ!」
「ふふっ、リシィさんはいつもとても可愛らしいですね」
「ううぅ……私だって、もっとごにょごにょ……」
にも関わらず、あの世界に迷い込み、彼女たちと出会ってからの僕はどうだ。
偽神に翻弄され怒り、彼女たちに振り回され笑い、迷宮に何かを奪われる人々の悲しみを自分のことのように感じた。
そうだ、転移する前は空虚でどうしようもなく、ゲームの中の世界にだけ夢を望んだ僕が、彼女たちと一緒だとこんなにも満たされている。
既に心は枯れたと思っていた、だけどそんなことは全くなかった。
「カ、カイト!? 右腕が……脚も……!?」
サクラに釣られて振り返っていたリシィが、僕を驚いた表情で見た。
右腕、右脚……リシィの龍血が混ざり合って形成された神器の体。
始めは鈍い灰色だった甲冑はいつしか青銀色に変わり、ルコから青光を受け継いだことで内に青炎を宿すまでになった。
「これは……?」
それが今や、青炎ではない“銀色の炎”を纏うものになっている。
いつの間に色が変わったのか、リシィの神器の影響を受ける瞳色の中で、何を表しているのかわからないものが二つある、それは“金色”と“銀色”。
間違いない、そのうちのひとつ【銀恢の槍皇】が何らかの影響を及ぼし、“青炎”を“銀炎”に変えてしまったんだ。
「うーん……どうせ変わるなら、リシィの色である金色が良かったんだけど……」
「な、何を呑気なことを言っているの!? 体は何ともないの!?」
「カイトさん、少し動かないでください」
「あ、ああ……」
サクラが慌てて僕の胸に手を当て、神力の流れに干渉する。
「……やはり神力の脈動が変です。いつもよりも濃く、力強い……どうして……」
僕にわかることがあるとすれば、ただひとつだけ。
「これは別に、神器に侵蝕されたとかではないと思う」
「けれど、突然の変化があるのは何か……」
「心配は要らない。これは多分、心境……心象の変化だよ。心の中心に芯が、それこそ【銀恢の槍皇】が突き通ったんだ」
“銀色”、それはきっとリシィの心の強さを表していた色。
ならば僕も貫き通し覆そう、次元の壁さえも超えて。