第百八十六話 平穏の中で揺蕩う
地球に戻って来てから一ヶ月。
そう、早くも一ヶ月が経過してしまった……。
現状に改善の余地はなく、空間異常に関するネットの情報や古くからある伝承を漁っては、日本国内に限り実際に現場を訪れ確認していた。
尋ねた場所は一ヶ月で九箇所に及び、あまり表立って出歩くことはないものの、日本の各地に車で移動出来ることから、リシィとサクラは最近どうも観光気分になってしまっているようだ。
結果はと言うと、今PCの前で釘付けになっている事からも明白。
「カイトさん、お隣のお婆さんから新茶を頂きました。休憩に如何ですか?」
「ああ、ありがとう。そうか、そんな時期なんだ……ズズッ、何これ美味しい」
今、僕たちがいるのは祖父宅の二階の部屋。
情緒溢れる和風古民家の二階は誰も使っていなかったので、僕の部屋と隣をリシィとサクラの寝室として使わせてもらっている。
客間から移動し、一ヶ月ですっかり自室として馴染んでしまった。
「ふふ、美味しいですよね。カイトさんは新茶をあまり飲まれないのですか?」
「時期が限られているからね。僕は大体適当な緑茶を買って終わりだから、サクラが淹れてくれるようになってから激変したよ」
「ありがとうございます♪」
明らかにここでの暮らしに慣れ親しんでいるな……。
恐らくは祖父が何かしているんだろうけど、いつの間にか近所ではリシィとサクラが当たり前にいる住人として受け入れられていた。
隣のお婆さんはその最たるもので、サクラの犬耳や尻尾を見ても気に留めず、実の娘と可愛がって毎日のように色々とお裾分けをくれるんだ。
良いのだろうか……良いんだろうけど、どうも腑に落ちない。
「あ、あの、カイトさん……そんなに見詰められると……」
「あっ、ごごめん、意外と耳や尻尾は気にされないんだなと思って」
「はい、皆さん“コスプゥレ”だと思われているようで、気にされていませんね」
「それはそれで、二人を連れて来た僕の趣味だとも思われていないだろうか……」
非常事態だ、主に僕の世間体的に評価が失墜するレベルじゃないか。
そんな戦々恐々とする僕の隣に腰を下ろすサクラは、桃色の生地に様々な色で華やかな花柄が描かれた着物姿で、自分の頬を手で包み込んでいる。
何だろう……グッとくる仕草ですね……。
まあ、隠しようもなく実際に僕の趣味でもあるけど……笑いながら近所中に言い触らす祖父の姿が思い浮かぶな……。
「その色も似合うね。この家、着物だけは豊富にあるからさ」
「ありがとうございます。こちらの世界の和服は柄も豊富で、見ているだけでも楽しいのですよ。ふふ」
後で知ったことだけど、サクラは安い着物ばかりを数着購入していたので、そうと知っていたらもう少し良いものを僕は選んだ。
とはいえ、祖父がどこからか出す祖母の着物と合わせ、最近の彼女は柄の変化も千差万別で妙に楽しげだ。
まあ、異世界に来て気が滅入るよりは楽しんでもらったほうが良い。
「まだ漢字は読めないわね……。日本語、難しいわ……」
「おわっ!? リシィ、いつの間に……!?」
「今来たばかりよ、そんなに驚かないで」
リシィがいつの間にか、サクラとは逆隣からディスプレイを覗き込んでいた。
彼女は僕が言うまでもなく日本語の勉強を始めたけど、流石に一ヶ月では漢字まで読めるようにならない。それでも目を見張るほどに早く習熟していて、祖父とも片言で話せるようになっているんだ。
基本的に天才肌、それがリシィの彼女たる所以なのは素直に感心する。
「リシィさんもお茶をどうぞ、新茶ですよ」
「ありがとうサクラ、頂くわ」
リシィの格好はと言うと、今は何の変哲もない灰色のパーカーワンピース。
姫さまの割にはカジュアル過ぎないかと思うけど、咄嗟にフードで竜角を隠せるのを優先してとのこと。尻尾はアクセサリーに見えないこともない。
そう言えば良く良く見ると、断たれた側の竜角も少しずつ伸びているのが最近になってわかった。
相変わらず僕はリシィの折れた竜角を肌身離さずに持っていて、先日寝室で眺めているところを当の本人に見つかり、やたらと恥ずかしがられたっけ。
それにしても、何を隠そう僕は脚フェチなので、畳の上で生活するようになってから、常に素足でいるリシィのお御足が視界に入って非常にまずかったりする。
「カイト、どこを見ているの……?」
「ほわっ!? どどどどどこも? 脚が綺麗だなって」
「んっ!? ななっ、突然何を言っているの!? うー……カイトのバカァッ!」
おわああああっ!? 思わず本音がダダ漏れ!?
「ぅんっ……カイトさん、昼間から大胆ですね。ふふ……」
「ひえっ!? ごごっ、ごめんサクラ!」
「バカァッ!」とリシィに両手で押されてよろけた先で、今度は後頭部が極上の天国かと思えるほどの柔らかい何かに触れた。
咄嗟に姿勢を正すと、怪しくも艶のある微笑で僕を見詰めるサクラがいる。
はっ、発情期……!? 違うと言ってよ、父さん! 母さん!
「いえ、大丈夫ですよ。カイトさんがお望みなら、私はどんなことも厭いません!」
「はは……何だかサクラは素直になったよね……。何かの時は頼むけど、今でも充分過ぎるほどに助けられているよ」
「はい! 我慢しないようにと心がけていますから。うふふ」
「むうぅー、私だって素直にぶつぶつぶつ……」
「リ、リシィ、どうしたんだ……?」
「何でもないわっ! ふんっ!」
ぐぬぬ……日本に来た直後のリシィはどこかしおらしかったけど、最近は調子を取り戻していて、何だか余計にツンツンが増しているような気がする……。
祖父と片言で話した後なんか、良く古いアルバムのようなものを抱えてご機嫌で自室に戻って行くこともあるし、あれはいったい何だろうか……?
「カイト、これは私たちのこと?」
「ああ、これか……そうだよ。少し前から、日本各地で見かける謎のコスプレ三人組と話題になっていて、こうして記事になってしまっているんだ」
「見せて」
僕はマウスを操作し、リシィが目聡く見つけた記事をクリックする。
出て来たのはまとめサイトのようなもので、目隠しだけは入っているけど、本人が見れば自分たちだとわかる写真まで載せられていた。
「これはショピングモォルに行った時のものよね」
「このお店には見覚えがあります。あの時はたくさん撮られていましたから」
「何と書いてあるの? 自分の預かり知らないところで誰かに騒ぎ立てられるのは、あまり良い気分とは言えないわ。この機械もそうだけど、不思議な文化よね」
「内容は主に僕たちの格好に対して、良く出来ていると言う褒め言葉が多いよ。本物だから良く出来ているも何もないんだけど」
「あ、これは私が女の子に抱き着かれた時のものですね」
「ああ、しかもきっちりと動画で撮られていたらしく、サクラの尻尾を掴まれて身動ぐ反応が、女優さんの迫真の演技とか言われている」
「は、恥ずかしいです……」
ショッピングモール以降は出来るだけ人目を避けるようにしていたんだけど、それでも完全に遮断することは出来ず、移動する先々でどこからか姿を撮られているようなんだ。
今のところ特定されるようなことはないけど、最近ではネット上の他者の力を借りるのもひとつの手段として考えるようになっていて、そのための“布石”とするなら姿が広まっているのは悪いことでもない。
まあ、現実以上に限られた空間内で清濁が入り混じるのがネットだから、リシィとサクラに対する影響を考えたら判断は慎重にしなければとも思う。
「うー、自分の姿がいつまでも残されているのはむず痒く思うわ……」
「今のところは何らかの広報の一環と捉えられていて、女優さんや登場作品の詳細を求める声が多いから、好意的には受け入れられているね」
「目隠しが入っているのはどうしてなの? 私そんなに醜い……」
「ああ、違う違う、プライバシー……個人の権利を守るための配慮だよ。住所を特定され押しかけられても困るだろう? リシィもサクラも美人さんだから、これほどの注目が集まってしまっているんだ」
「んっ!? カカカッ、カイトもそう思ってくれているの……?」
「え、うん、始めた会った時も神々が作り上げた彫刻かなくらいには思ったよ」
「んんっ!? うぅ、うー……カイトのバカバカバカッ! 女たらしっ!!」
「ええーーーーーーっ!?」
「ふふふ、包み隠さずに素直なのは美徳ですが、カイトさんはもう少し逆に言葉を選んだほうが良いですね」
「サクラ!? その辺りについて詳しく!?」
そんなこんなで長閑にも麗らかな春の日の午後、僕たちは日本にいるからこそあり得る平穏を、無益にも流れる時の中で只々享受していた。
焦り……どうにも出来ない感情をひた隠しにしながら……。