第百八十五話 桜咲く 叶わないで欲しい願い
◇◇◇
日が落ち、私たちは夕食を食べてからカイトの家を後にした。
男性が一人暮らしの家に入ったのは始めてだけれど、サクラの言った通りにカイトの匂いがして、館の暮らしよりも余程落ち着ける安心の出来る場所だったわ。
興奮してしまって、ひとつしかないベッドで一緒に寝てあげると言いそうになったけれど、この日本に来てから熱気のようなものに当てられ、今日は出かけから今まで胸の高鳴りが収まらなかったせいでもあるわね。
先程だって、慣れないキモノから購入した白いワンピースに着替えたら、カイトが突然「良く似合っているよ、可愛い」と……もうっ、どうして彼はそういうことを自覚もなく平気で口にするのかしらっ!
思わず照れ隠しに、また「カイトのバカァッ!」と非難してしまったわ……。
ううぅ……そんな時こそ素直にお礼を言うべきなのに……。
サクラはお祖父様から貸して頂いたキモノのままだけれど、カイトはどうもそんな彼女に見惚れているようで、私もそのままでいたほうが……。
「カイトさん、街から離れていますが、どちらへ向かっているのですか?」
「ああ、皆が酒盛りをするような場所だと確実に絡まれそうだから、地元の人くらいしか寄りつかない穴場の公園に向かっているんだ」
「公園? そこには何かあるの?」
「必要かと聞かれたらそうでもないけど、まだ辛うじて見られる時期だから、今のこの季節でしかお目にかかれないものをリシィとサクラに見てもらいたくて」
私もサクラも、二人して首を傾げてしまった。
そうして車を降りた後、カイトに連れられるまま整えられた山道のような場所を歩いて行く。周囲は森と呼べるほどには深くない雑木林だけれど、夜ということもあって視線を木々の合間へ向けると暗闇で怖くもあるわ……。
月が昇っていて街灯も明るい、それでもこんな場所では支えが欲しいの。
「カ、カイト……あの、腕を借りるわね。こんな場所で迷子にはなりたくないもの」
「良いけど、一本道で迷うことはないよ? ああ、暗いから怖かった? 大丈夫、見失ったりはしないから」
「んっ! べっ、べべ別に怖くなんてないんだからっ! ほら、サクラもっ!」
「はっ、はいっ! カイトさん、右腕を失礼しますね」
「え、う、うん……硬くてごめん」
「帰る時は交替するわ」
ううぅ、また……どうして素直に一言「怖い」と言えなかったの……。
私はどこまでも意地っ張りで、頼れる人がカイトしかいないこんな状況なら、なおさらもっと素直になれても良いのに……ノウェムがいたら笑われているわ。
ノウェム……テュルケ……今頃はどうしているかしら……。心配のあまり泣いたり自暴自棄になっていないと良いけれど……今直ぐに会いたいわ……。
そんな思いを抱きながらカイトの左腕を抱いて薄暗い森を進んで行くと、しばらくして石の階段を上りきったところで突然空が高く見えた。
木々が開けた場所にある、ちょっとした広場に辿り着いたんだわ。
「あっ!? カイトさん、この木は……!」
「ああ、桜の木だ。遅咲きのおかげで散る前に間に合った」
「サク……ラ……こんなに……こんなにも大きな木だったのですね……胸に思い描いていたものよりも、ずっと……ずっと……」
私たちの目の前に、満点の星空とピンク色の花を咲かせる大きな木が一本、広間の片隅で明かりに照らされ悠然とそびえ立っていた。
周囲に人の気配はなく、他に何もない寂しい場所だけれど、これがどれだけ素晴らしい光景なのかは一目見るだけでもわかった。
緩やかな凹凸のある太い幹と、そこから我先にと空を目指す枝は雄々しくも広がり、枝の先で芽吹くのは美しくも優しいまるで妖精種のような小振りの花弁。
そして、風が吹くたびに舞い散る花弁は降りしきる雪のようで、咲き誇って散る間際の情緒が物悲しくも力強さを感じさせてくれる。
そんな中に、サクラは空を抱き締めるような仕草をしながら一人歩み出て、愛おしそうに……そう、カイトを見るような眼差しで食い入るように見詰めている。
“サクラ”、彼女と同じ名前の木……。きっと私以上に強い想いを胸に秘め、美しいこの光景を目に焼きつけているんだわ……。
「カイト、この舞い散る花弁……あの花はもう散ってしまうの?」
「ああ、桜の花が咲いている期間は一週間から二週間なんだ。今を逃せば来年になってしまうから、ギリギリだったけど間に合って良かったよ」
「そう……サクラには思い入れのある木でもあるのね。名前を聞いてわかったわ」
「日本人であるサクラの祖父が、故郷を思い起こして名付けたものだから……サクラが満足するまではここにいよう」
「ええ、貴方という人は、本当に変なところでマメなんだから……」
「う、うん……周りが嬉しいなら、僕も嬉しいからさ……」
「カイトのそういうところ……好きだわ……」
私はカイトにそっと寄り添い、声に出さないよう告白した。
この美しい光景は、必ず思い出と共にいつまでも私の胸にも残る。
来年も、カイトとサクラと一緒に再びここを訪れたいと願ってしまうけれど、三人だけでなんて今以上に寂しさを感じてしまうわ。
サクラは何を思っているのかしら。
ううん、きっと私と同じことを思っているはずね。
もう一度ここに……けれどそれは、叶って欲しくはない願い……。
◆◆◆
「朝帰りとはカイトもやるようになったもんだな」
「爺ちゃん!? まだ日も変わってないけど!?」
「お祖父様、ただいま戻りました」
「えと……『オジサマ、タタイマモドリマシタ』、で良いのかしら?」
「うん、そんな感じ。サクラに倣うなら『オジイサマ』で、少し意味が変わるから」
「おう、お帰り。何かカイトに嫁が出来たようで、今夜は酒が美味いな」
「爺ちゃん!? それじゃ二人とも落ち着かないから、せめて“娘”にして!?」
「ああ? 別に良いじゃないか、二人とも満更じゃないみたい……」
「爺ちゃーーーーんっ!?」
この祖父やばい、直ぐそっち方面に話を持って行こうとする。
リシィは会話の内容を理解していないから良いとしても、サクラは本当に満更じゃない様子だから余計に僕が困ってしまう。
祖父孝行になるならとも思うけど、僕たちは平穏をただ享受するわけにもいかない状況なのが問題なんだ。
今が平穏であればあるだけ、向こうの世界の、ルテリアの状況を考えてしまう。
「カイトさん、荷物は寝室に運び込めば良いですか?」
「あ、ああ、日用品はとりあえず台所に、それ以外は寝室に頼む」
「カイト、その荷物は何だ? 随分とでかいもんを買い込んだんだな」
「いや、買ったんじゃなくて家から持って来たPCだよ。爺ちゃんのPCは埃を被っているだろう?」
「ああ、使えるっちゃ使えるぞ? カイトが置いてった時のままだからな」
「だとしたら、何世代前のOSを未だに使っているのか……」
とりあえず、僕は自宅からPCを持ち帰って来た。
異世界への入口を探す手段なんて、やはり足がかりとなる場所や現象をまずはネットで探すしかない。
国に頼ることまで考えているけど、最悪を想定してどうにも決めかねている。
祖父の家を拠点にしたのは、単純に広いことと田舎で人目を避けられるから。何よりも戻ることになったら、祖父と過ごせる時間が限られてくるからだ。
申し訳なくは思う……それでもだ……。
「おう、来たばかりで知らない世界を出歩いて疲れただろう。風呂は沸かしてあるから、嬢ちゃんたちとカイトは一緒に入って来な」
「爺ちゃん、僕が異世界に行っている間に耄碌したのか? 入らないよ!?」
「別に曾孫の一人や二人……お、丁度二人……」
「爺ちゃーーーーーーんっ!?」
今はサクラが荷物を置きにいなくて良かったよ……!
「カ、カイト……何か言い争っているようだけれど……?」
「あ、ああ、ごめん、喧嘩ではないよ。爺ちゃんの冗談が激しくてさ……」
「そう、それなら良いの……身内は大切にしないといけないわ……」
……何だろう、リシィの表情に陰りが出ている。
身内……リシィの家族のことは何も知らないけど、僕について来て欲しいと言う彼女の故郷か……。
もう長いこと会っていないだろうし、現状では再び会えるかどうかもわからない、きっと複雑な感情が胸の内にはあるんだ。
気を取り直し、リシィのために何が何でも道を切り開かないと。
地球にも神力があり、僕の右腕の青炎の力も有用なら、習熟次第では“青炎の太陽”と同じ現象をもたらすことも出来るのではないだろうか。
必ず帰るんだ、今度は自分の意思であの世界に。
「リシィ、今日は疲れただろう。お風呂にゆっくり浸かっておいでよ」
「ええ、そうさせてもらうわ。ありがとう、カイト」