第百八十話 “青炎の太陽” 覆る世界
僕はこの手で命を奪った男をその場に残し、来た道を引き返した。
もう形振りは構っていられない、今の状況をどう覆せば良いのかもわからない、一度良いように操られ途切れた思考では打開策も思いつかない
だから、ただ僕は走った。
邪魔な配管を薙ぎ払い、ろくな呼吸もままならない右胸を抱えながら、ただ僕は最愛の女性の傍で、彼女とともに歩みたいと願った。
リシィの傍にいることが今の僕に出来る唯一の選択だから。
人を殺した――例え相手が世界の破滅を望むような悪人でも、その事実が重く僕の胸を締つける。
胸の痛みは銃弾の痛みか、それとも罪に苛む心の痛みか、全てを飲み込む覚悟をしながらも、それでも飲み込めなかった嗚咽が一瞬だけ漏れた。
そして僕は、洞の入口から後先も考えずに飛び出し、睥睨する龍の視線を無視してがむしゃらに龍の体の上を駆け跳び移って行く。
「カイトッ!!」
最後の跳躍の先にはリシィが腕を広げて待っていた。
無事だ……。最早、抗うことも出来なかった僕たちは神にとって障害ともならないのか、リシィも、サクラも、ノウェムも、テュルケも、ベルク師匠も、アディーテも、皆が皆無事でそこにいた。
リシィに抱き止められ、だけど僕は直ぐに振り向いて三柱の龍を睨みつける。
「三位一体の偽神! お前えぇっ!!」
『定命の者よ、見事に役を果たした 果たした 果たした』
『我ら縛る禍つ機の束縛を解き、感謝する する する』
『褒美とし、星命尽きるまで時の狭間で彷徨うが良い 良い 良い』
「そんなことは……!!」
エウロヴェが天井を仰ぐと同時に、震動が激しさを増す。
楔となっていた夥しい数の墓守は瓦解し次々と崩れ、揺れる盃の上でリシィと支え合ってもなお耐え切れずに僕たちは膝をついた。
「カイトさん、このままでは!!」
「わかっている! だけど、だけど、この状況からどうすれば……!!」
「カイト! それでもやるの! 私たちがやらなければ他に誰がやるの!!」
「くっ、わかっている……みんな、力を貸してくれ!!」
『容易きは人の子らよ 子らよ 子らよ』
「……っ!?」
突如として僕たちの周囲に青光の粒子が煌めき始めた。
粒子が舞い上がる先を目で追うと、足場となっている盃が発光している。
盃の丁度中心、水中から巨大な針のようなものが迫り出し、やがてそれは支柱を中心に三対六柱の放電する突起物に分割し固定された。
「ぬぅっ!? 何だこれは!?」
「これは……まさか……!?」
盃の今の様はまるで“花”、【天上の揺籃】に存在し、僕の知識と情報の中で正体を推測することが出来るとしたら、これは間違いなく……。
「まずい!! 直ぐにここから飛び下りろ!!」
皆は迅速に、僕の指示に従って盃から身を投げ出した。
龍の背に跳び移ることがどんなに悪手でも、焼かれるよりはマシだ。
僕たちが飛び下りた瞬間、盃から青光が縦坑に向かって放出された。
神代世界を青く染め、大地を岩盤ごと掘り返し、文明を崩壊にまで至らしめた軌道上からの対地攻撃、神器の記録の中で見た“青光の柱”、これがそうだ……!
“青光の柱”は縦坑を抜け、恐らくは大断崖の岩盤を割ろうとしている。
僕たちは龍の背の上に着地し、誰もが眼前で起きた出来事を絶望の表情で見上げていることしか出来なかった。
『定命の者よ、さらばだ さらばだ さらばだ』
そうして僕たちは、身を震わせた龍の背から抗うことも出来ずに振り落とされた。
山にも等しい龍は遠ざかり、手を伸ばそうとどこにも届かず、落下を支えてくれる大地ですらどこにもない。
僕たちの落ちる先には何もない、ただの“虚無”、そして唯一の光源……。
「青炎の太陽……【虚空薬室】……!!」
どうなっているのか……。【天上の揺籃】の真下に支えはなく、何もない空間には青い炎を燃やす巨大な太陽だけが目映く輝いていた。
僕たちは虚空に投げ出され、青炎の太陽に吸い込まれるよう落ちて行く。
虚無の世界で届く場所はなく、救いをもたらす者も当然いない。
何もない空間で、伸ばした手が虚しく宙を掻いた。
「嘘っ……!!」
驚愕の声を上げたリシィの視線を追うと、青炎の太陽とは真逆の今落ちて来たばかりの上方を見ていた。
僕は空中で何とか体を翻し、彼女が驚いたものを見る。
「まさか、テレイーズ……!?」
行方の知れなかった最後の神龍、白銀龍テレイーズ。
今も青光の柱を放出する盃の下には、体が半ばまで白骨化した最後の神龍が磔にされていた。
自然に骨となっているわけではない、体を這う小さな龍のような生物が今も“肉”を毟り取り、それを恨めしそうに見る様は生きながら食われているに等しい。
テレイーズは僕を見てリシィを見て、口を開いて何かを伝えようとするも、それは決して伝わることもなくただ虚空に霧散していった。
「そんな……嘘よ……」
「リシィ、今は構うな……! 手を伸ばして……!!」
絶望に絶望を塗り重ねられ、僕たちはなすがままに勢いを増し落ち続ける。
それでも、こんな状況でも皆は互いを掴んで纏まり、テレイーズの有り様に呆然となってしまったリシィだけが遠ざかって行く。
例え彼女に届いたとしても、僕たちはここで終わりなのかも知れない。
それでも、せめて最後だけは……。
「ノウェム、リシィのところまで飛べるか!?」
「無理だ! 先程からやっておるが、あの太陽に神力が吸われる!」
「転移陣も……!?」
「それが出来るのなら、この程度の状況は既に抜け出ておるぞ、主様!」
「それなら……ベルク師匠、体を借ります。僕が飛ぶ!」
「カイトさん、私も一緒に!」
「サクラ……頼む!」
「わっ、私も行きますですっ!」
「大丈夫、テュルケはこのまましがみついていて。ベルク師匠、頼みます」
「心得た! 例え太陽に焼かれようと、ノウェム殿とテュルケ殿とアディーテ殿は、某がこの身に変えてでも……!」
「アウーッ!?」
僕はサクラとともに、ベルク師匠の体を力の限りに蹴った。
「カイトおにぃちゃああああぁぁぁぁぁぁんっ!!」
僕とサクラは虚空で落下速度を増し、テュルケの声が急速に遠ざかる。
リシィは泣いているのだろうか、水滴が彼女の後を追う僕の頬を濡らす。
既に落ちた天上は高く、青炎の太陽は視界に収まらないほど近い。
何もわからないまま、ただ神々に踊らされ、何かの引き金を引いてしまった。
今はもう、これまでどんな夢を思い描いていたのかすら、わからない。
只々、リシィの温もりだけが恋しい。
「リシィ! 手を伸ばしてくれ!!」
「カイ……ト……」
「カイトさん、後少しです! 私を踏み台にしてください!」
「サクラ、ごめん!」
僕はサクラの言葉に甘えて彼女の肩を蹴り、更に落下速度が増したことでようやく届いたリシィを抱き締めた。
瞳は青ざめ、大粒の涙を流し、泣きじゃくる彼女。
「カイトッ……テレイーズが……テレイーズがっ……」
「ああ、辛いよな……ごめん、構うななんて言って……」
「う、うぅ……私たち、何のためにここまで来たの……何も、何も出来なかった……」
「結局、引き金を引いたのは良いようにされた僕だ。リシィは何も悪くない」
「私、私……まだ諦めたくない……カイトと、ずっと一緒にいたいのっ!!」
リシィの嗚咽と共に吐き出された言葉が僕の胸を締めつける。
眼前に迫る太陽から吹き上がる火の粉が僕の頬に触れ、それは熱くもなく火傷をするでもなく、ただ父さんと母さんに優しく撫でられているような、そんな懐かしささえ覚える不思議な感覚がした。
「カイトさん!!」
「サクラ!!」
最早、青炎の太陽に飲み込まれるのは時間の問題、僕は腕を広げ落下速度を調整しようと試みる。
あまり効果はないようだけど、それでも少しずつ縮まるサクラとの距離に、最後はお互いが腕と鉄鎚を伸ばして引き寄せ合った。
リシィとサクラを抱き締め、僕は彼女たちに告げる。
「僕は、リシィとサクラと、それにノウェムやテュルケやベルク師匠にアディーテ、みんなと一緒にいつまでもこの世界で平穏に生きて行きたいんだ」
思い出した、それが最初から最後まで変わることのない僕の夢だから。
「例えこのまま太陽に飲み込まれようとも、僕はその夢を決して諦めない」
そうだ、諦めたくない、諦めるものか。
足掻いて、足掻いて、空間を切断してでもここから逃れる。
だけど、その必要はないのかも知れない……。これだけ近くに寄りながら、青炎の太陽は熱いどころか人肌の温もりしか感じないんだ。
神力の塊【虚空薬室】、これがもしも僕の推測通りのものだとしたら……。
「カイト……私は……私は……」
僕の腕の中で震えていたリシィが顔を上げてこちらを真っ直ぐに見詰め、悲壮なほどに青ざめていた瞳に新たな色が加わっていく。
いったいどんな感情が彼女の中で渦巻いているのか、青炎の太陽に飲み込まれる直前、最後には何もかもを慈しむような黄金色の眼差しに変わる。
「私は、貴方のことが……」
だけど、燃え盛る青炎が、彼女の告げる言葉の最後を掻き消した――。
――――
……
…………
………………
……………………
…………………………
……どうなったのか……周囲から、木々が葉を擦る音が聞こえる。
草木や土の安心する匂い、肌を撫でる風は温く、寒かった【天上の揺籃】の中では決して感じることの出来なかった穏やかさだ。
僕は虫の鳴く音に急かされ、そんな宵闇の中で目を覚ました。
「リシィ……サクラ……良かった、無事だ……」
二人とも僕に覆い被さるよう穏やかに寝息を立てている。
青炎の太陽に飲み込まれる直前までは覚えているけど、その後でどうなってここにいるのかは覚えていない。
だけど、今の状況がこれまでと繋がりのないことだけは直ぐにわかった。
首を振った時に、あるはずのない小さな赤い鳥居が見えたんだ。
「えっ……?」
慌てて視線を巡らせると、今度は馴染んだ景観の神社が目に入った。
周囲は木々に埋もれ、夜空には見覚えのある模様が刻まれた黄金色の月。
「嘘、だろ……神社の境内……?」
リシィとサクラをそっと横に寝かせ、僕は鳥居を越えて高く積み重なった石段の上からその先を確認した。
「まさか……ここは……に、日本……?」
これにて第六章本編の終了となります。
ここまでご覧いただき、誠にありがとうございました!
ブクマ、評価、感想にレビュー、ご覧いただけた全ての皆様に感謝を!
物語はここで大転換期を迎えます。
あまり間を空けたくないため、【天上の揺籃】が浮上する地上の様子を描いたEX小話だけを挟み、継続して第七章の投稿を開始いたします。
ここからどうなって行くのか、最後まで書ききる心意気で創作に励んで参りますので、引き続きご覧いただけたら大変ありがたいです。