第百六十八話 狩り 人が人のまま人であるために
「皆さん、ご無事ですか!?」
「姫さま、お怪我は!?」
カタラを怒らせてしまった後、直ぐにテュルケとサクラが駆けつけて来たわ。
カタラの群れは広く展開した光膜で押し留め、私たちは出来るだけ刺激しないようにその場から遠く離れていた。
一瞬の出来事だったけれど、無機質な墓守と違う自然の猛威にはどうしても感じ入るものがあるわね……。
「僕たちは大丈夫。リシィ、本当にごめん、伝え忘れていた」
「え、ええ、驚いたけれど大丈夫よ。私も地上で見かけるカタラと一緒だと思っていたの、野生動物と思って油断していたわ」
「ご無事で良かったですぅ、蜜集めに夢中になっちゃいましたです」
「しかし、周囲の群れが一同に突撃し、針蜘蛛よりも余程驚異だった。迷宮の深層ともなると、野生動物まで墓守に比類する驚異となるか。侮れん」
「ごめんなさい、私も油断していました。ここには墓守が存在しないだけで、野生動物に危険がないわけでもありませんからね……」
「いや、今回は僕の失敗だな。報告、連絡、相談、を宴で忘れるとは……」
ん……私は今どんな表情で、どんな瞳の色をしているのかしら……。
私はまだカイトに気が付かれないのを良いことに、お姫様抱っこをされたまま身を縮めて彼の体に寄り添っているわ。
すっ、直ぐにでも仕留めたカタラを回収して、弔いと感謝をしたいところだけれど……こっ、こんな機会は当分ないものっ……。
「主様ー! カタラの群れが引いて行くぞー!」
「おー、ノウェムありがとう! もう少し上からの監視を頼む!」
「くふふふふ、任せるが良い!」
ノッ、ノウェムが上空から私を見てニヤニヤと笑っているわっ!
ふ、ふんっ! べ、別に今くらいは笑われたって良いんだからっ!
も、も、もう少しだけこのまま……で……。
「お……」
「あっ……」
「ごごごごめん、リシィ! 咄嗟に抱えたままだった! 下ろすよ!」
「え、ええっ、構わないわっ。主を庇うのは騎士としての義務なんだから、今回ばかりは良くやったわっ! ほっ、誉れを与えるわっ!」
ああああ……カイトに気が付かれてしまったわ……。
しかも私ったら、虚勢を張って何てことを……これでは余計に距離が離れてしまう……。
うーっ! 何度も何度も素直になりたい! 素直になる! と覚悟しているのに!
そんな内心とは裏腹に私は直ぐ下ろされ、折角の嬉しい機会まであまり堪能することもなく終わってしまった。
ううぅ……私の意地っ張り……。
◆◆◆
心臓が止まるかと思った……。
何かリシィが夕陽色の瞳を輝かせ、耳まで赤くしてやけに近くで僕を上目遣いで見ていると思ったら、そうだ咄嗟に抱え上げ逃げて来たんだ。ビックリした。
ノウェムには悪いけど、あまり比較に出来ないくらい柔らかかった……。
もう少し堪能……いやいや、騎士として主を庇い立てすることが出来た、それで良いんだ……! 心で泣いて、表情は冷静にだ……!
ああ、でも柔らか良い匂いだった……はっ、我が意識よ現世に帰還せよ!
「と、とりあえず、しばらく待って落ち着いたらリシィの仕留めたカタラを回収しよう。刺激するとかなり危険なことはわかった、獲物はカタラ以外で」
「蜜集めも帰りにしましょう。私とテュルケさんも同行します」
「ああ、野生動物も油断ならない。墓守に対峙するくらいの緊張感で行こう」
「某も心得よう、最悪は躊躇せず紫電を放つ気構えも持ってな」
「もしまた何かあっても、今度は私のやわらかクッションでえいやーですです!」
「ノウェムー! アディーテに合流するよう伝えてもらえるかー!」
「アディーテも既にこちらに向かっておるぞー! 大漁だー!」
野鳥三羽にカタラ一匹、果物と野菜もそれぞれ背負籠にひとつ分ずつ、野営地に滞在中の探索者たちの分まで引き受けたから、これではまだ足りない。
カタラが大きいのでそれなりに食い出はあるけど、やはり肉類が真っ先になくなるからもう少し狩っておきたい。魚は間違いなくもう大丈夫だろう。
そうして獲物を探し周囲を見回すと、空を向いた時にノウェムと同じくらいの大きさのハトが飛んでいるのが見えた。いや、ハトはあんなに大きくないけど。
「あれは食べられる?」
「“ハポック”ですね。少し大味ですが、栄養価は悪くありません」
「そうか……取ってつけたような名前が気になるけど、あれも狙ってみようか」
「それなら我が行こうではないか」
「わっ!? 驚いた……ノウェム、いつの間に下りて来たんだ」
「くふふ、主様が空を見ていたのでな。我が空戦の極意を見せてやろうぞ」
「おお、じゃあ頼めるか?」
「任せるが良い! 舞いを見せようぞ!」
「気を付けて」
滞空していたノウェムはそのまま上空へと舞い上がって行く。
今日はおパンツ祭なのか……ノウェムはミニドレスなので、下からではライトグリーンの下着が丸見えになってしまっている。
そう言えば空を飛ぶ種族は決まって軽装だけど、自重を抑える理由からほぼ下着のような人もいるため、種族特性故に羞恥の観念が薄いのかも知れない。
空を見上げながらそんなことを考えていると、リシィがいつの間にか僕の顔をジーッと擬音が聞こえそうなほどに見詰めていた。
「あわ……最初に見えてしまっただけだよ!?」
「な、何を言っているの?」
あれ、「何を見ているの!」とかそう言うわけじゃない……!?
落ち着いたのか、瞳色は緑と青のグラデーション、最近はかなり複雑な色の混ざり方をしているから良くわからないんだよな……。
「それよりもノウェムが凄いわ……空なら独壇場ね……」
リシィは特に僕を責めるわけでもなく、空を見上げて言った。
彼女どころか皆が同様に見ている視線の先では、ノウェムがハポックを一方的に追い回している。
ハポックの急降下から翼を開いての急制動転回爪攻撃にも合わせ、くるりと舞い踊るように避けては背後に回り込み何もしない。驚いたハポックは翼を羽ばたかせ逃げようとするも、空力も重力も関係なしに飛翔するノウェムから逃れる術はなく、直ぐに再び回り込まれて悉く行く手を阻まれていた。
何だろうあの動き……ノウェムはゆらりゆらりと弧を描いてただ遊んでいるだけのように見えるけど、そう言えば「舞い」とか言っていたな……見ようによってはバレエを踊っているように見えなくもない。
「まさかこの目で見ることになるとは……何と見事な舞いか……」
「あの動きに何か意味があるんですか? ハポックが可哀想に思えますが」
「うむ、セーラム高等光翼種の舞いは、神龍に捧げる供物を狩る時のものだと聞いたことがある。かつて神代の空を駆けた神龍の在りし日の姿を描いているそうだ」
「見惚れるほどです。ハポックは完全に、ノウェムさんの舞う円陣の中に捕らえられてしまっています」
「確かに凄いな、ただ狩りをするにも意味がある……。墓守相手では思うようにならないことも、自然の中では見違えるほどに生き生きとするんだな」
「それはそうよ、この迷宮どころかルテリアでさえ、私たちがこれまで生きて来た常識を覆されるもの。カイトの存在だって常識外れなんだから、自覚しなさいっ!」
「はっ、はいっ!」
そうだ、【重積層迷宮都市ラトレイア】は神代と現代、そして異世界“地球”の狭間にある、この世界にとっても非常識な迷宮なんだ。
動物相手なら一方的にもなれるノウェムでさえ苦難する墓守の存在、僕たちが進んで来て、更なる異常の中に踏み入ろうとしているのはそんな場所。
深奥に進む前に今一度気を引き締めないとな……最善を尽くし、その先の平穏へと至るために。
「主様ー! 此奴、観念したぞ! 供物となることを受け入れおった!」
「お、おお……お疲れさま。見ていたよ、ノウェムは凄いんだな」
「くふふ! もっと褒めるが良い!」
ノウェムはハポックをぬいぐるみのように抱きかかえ下りて来た。
それも生きたまま大人しくしているから、本当に観念しているのか。
その様子は少し可哀想な気がするし、人が生きるための犠牲に悩みそうだけど、自然の摂理に逆らおうとするのもまた傲慢で冒涜なんだ。
なら僕は同情心を押し殺し、世界を覆すための血肉に変えよう。
「アディーテと合流したら移動しようか。大所帯だとまだ足りなさそうだ」
うん、やはり前時代的でも、こんな平穏の中で生きていたいものだ。
迷宮を進む前にここに来て本当に良かった。