第百六十七話 狩り 今を生きること
「ふわああぁっ! 綺麗ですー! 凄いですー! キラキラですですー!」
「テュルケー! 落ちると危ないから下りておいでー!」
「ふぁっ! はいですです!」
狩場に入り、直ぐに視界を埋めた幻想風景はあまりにも素晴らしかった。
皆が感嘆する中、テュルケが走り出して木に上り「ふわあっ!」と周囲を見渡し始めたから、僕は理由をつけて下りるように言ったんだ。
だって、純白のおパンツが丸見えなのは目のやり場に困る……。
「カイトおにぃちゃぁ~んっ」
「おわあっ!?」
テュルケが枝から僕に直接飛びついて来た。
そうして、僕はその勢いを殺すため自分を軸にクルクルと周り、彼女と一緒に透明な花園の中に倒れ込む。
絶対に今、周囲に点描が飛び交っていたよ……。
「おにぃちゃん! 凄いですです! えへへっ、綺麗ですーっ!」
ああ、可愛い。
僕の上で素直に喜ぶテュルケは、もうこのまま永久保存したいくらいだ。
空間の歪みの先に、彼女をここまで喜ばせる“世界”が広がっている。そんなことに驚いたのも束の間、僕の思考は“可愛い”だけで埋め尽くされてしまった。
倒れたことでテュルケは僕に伸し掛かる姿勢なので、お胸様が押しつけられてやばい、拝みたい、ありがたや~。
今なら心からハムモンたちが拝む理由がわかる……いや、彼らが拝んでいたのはお胸様じゃないけど……。
「ふふふっ、本当に素晴らしい景観ですね。話に聞いたことはありましたが、実際にここまでとは思いもしませんでした」
「ええ、思わず見惚れて我を見失いそう……。テュルケの気持ちも良くわかるわ」
「然り。某は芸術の類に造詣はないが、自然が生み出した美しき光景、見事なり」
無機質な石造りの迷宮から空間の歪みを通り抜けた先、例の透明な植物の原生林がある世界。
そこは透明な花が咲き乱れる花園の中で、見上げた場所にはやはり透明で背の高い樹林が、彩りも様々に華やいで視界を埋め尽くしていたんだ。
木々は内部構造が見えるほどに薄く透け、青い神力の流れが養分の代わりに内部を通っていることがわかる。
そのせいで幹が青く発光し、花や葉も青みを帯びてはいるものの、ピンクや紫、赤や黄まで本当に色取り取りに幻想的な景観を彩っているんだ。
舞い散る綿毛まで淡く光を放っているから、テュルケでなくともこの景観の中では誰もが心踊ってしまうに違いない。
「サクラ、石鹸の代わりに使える花ってこれじゃないか?」
僕は周囲の花園を指し、来る前にラダモが教えてくれたことを思い出した。
入って直ぐと言っていたから、この花が石鹸の代わりになるんだろう。
「はい、確かにラダモさんと同じ香りがします。それもこんなに沢山、この花の蜜を使うそうですね。回収しても構いませんか?」
「うん、じゃあ後は……」
「はいっ! 私もお手伝いしますですですっ!」
テュルケは僕の上に伸し掛かったまま勢い良く手を上げた。
「それじゃあ、サクラとテュルケでお願い。僕たちは狩りに行こう」
「うむ、しかしこの景観の中で紫電の使用は躊躇われる。槍のみで相対いたそう」
「傷つけたくはないものね。私が光矢でガーモッド卿に追い込むわ」
「姫君との連携とは、何たる胸踊る僥倖!」
「アディーテー、美味しそうに見えるけど実際はただの木だよー」
「アウ~、ペッペッ! にがい~」
アディーテはここに来て真っ先に木の幹を齧りに行ったけど、蜜でも出ていない限りはただの樹皮だ。
そしてノウェムは……。
「そんなに感動した?」
「うっうっ、あうじしゃまっ、我はっ天の宮を出て来てっ、良かったのだっ、うぐっ」
景観に感動し過ぎてガン泣きだ……!
“天の宮”と呼ばれるノウェムの故郷はどれほどに荒んでいたのか……彼女にもこんな純粋な一面があったんだな……。
「ほら、ハンカチだよ。涙を拭いて」
「ふぇ……あうじしゃま、やさしい……チーンッ!!」
僕たちはサクラとテュルケを花園に残して森に踏み入った。
―――
「今、気が付いたんですが……」
「うむカイト殿、お聞きいたそう」
「僕たちはあまり必要ないですね」
「言うな……!」
茂み、といっても透けているけど、茂みに隠れながら森の中を進み、今のところは順調に野鳥を三匹狩っている。動物は色鮮やかなだけで透けていない。
問題は、リシィが血の一滴も垂らさずに全て一人で仕留めてしまい、僕たちは完全に荷物持ちとなってしまっていること。
「それにしても凄いな……光矢で急所を射抜くと同時に傷口も焼いているのか……」
「感嘆するよりない。某の紫電では、焼くことは出来ても周囲にまで被害が及んでしまう。この森の中で、寸分違わず急所ばかり必中させるのもお見事」
「アディーテはいつものように大漁で帰って来ると思いますし、僕たちは大人しく果物でも採っておくべきですね……」
ベルク師匠と顔を見合わせそのまま二人で上を向くと、光翼を展開したノウェムが高所の果物を採って下りて来るところだった。
果物はスカートで包んで持ち、持ちきれないぶんは能力で浮かしている。
「うむ、必要ないようだ」
「荷物持ちを頑張りましょうか」
「うむ、それしかあるまい」
僕とベルク師匠は、静々と借りた籠に獲物を入れ、ただ黙々とリシィとノウェムの後をついて歩く。
ああ、母さんの買い物につき従う父さんがこんな感じだったな……。
まあ危険がないぶんは、このままこうして無駄に奮起する必要もないだろう。
「屈んで……!」
先頭を行くリシィが声を抑えて言った。
数十メートル離れた木々の合間、彼女の視線の先には一体の“カタラ”がいる。
地上にも生息する鹿のような生き物で体毛は金色、鹿と違うのは脚が六本、異常に発達した全身の筋肉が特徴だ。
僕は先日の祝宴で始めてカタラの肉を口にしたけど、これがほんの少しの塩と胡椒で焼いただけなのに、滴る肉汁と脂の甘味がまるで果物のようで手が止められなくなるほどに美味しかった。
アディーテと一緒になって「美味しい、美味しい」と、皆に微笑ましく見られていたっけ……。
「仕留めるわ」
「ああ、頼む」
ん……? だけど、この狩場にいるのは確か“カタラ亜種”で……はっ!?
「リシィ、待って! そいつは!」
止めようとしたけど時既に遅く、光矢は射出されてしまった。
狙いは首を下げて何やら地面を食んでいるカタラの胴体。リシィのことだから急所に必中させるのは間違いないけど、この“カタラ亜種”は攻撃を察知した瞬間に他の個体に“リンク”するんだ。
そのためカタラ亜種を狩るには、初撃で角を落とす熟練の猟師でも至難とする技が必要。
僕はこのことを祝宴の最中に聞き、リシィはその時にいなかった。
「え? カイト、今何か……」
森がざわめき、木々の合間から野鳥の群れが飛び立って行く。
光矢は見事カタラの心臓付近に命中して地面に倒れるも、鹿のような大きく枝分かれした角は無傷だ。
“リンク”、つまりカタラ亜種の群れが一斉に敵対アクティブ化……。
まずい、地響きが近づいて来る……僕はベルク師匠と顔を見合わせ頷いた。
「リシィ、ごめん!」
「きゃっ!?」
◇◇◇
んっ!? カカッカイトに突然抱き上げられたわっ!
これは、物語の中の黒騎士が、助け出した姫を抱き上げた“お姫様抱っこ”……!
ノウェムを羨ましいと思いながらも、絶対に私からはお願い出来ない夢にまで見た体勢……!
「カッ、カイトッ、きゅっ、急にどうしたの!?」
嬉しいけれど! 嬉しいけれど! カイトもガーモッド卿も、踵を返して全力で走り出してどうしたの!? 何か森の奥から振動も……!?
「ノウェムは上空へ退避! ごめん、伝えるのを忘れていた! カタラの群れは連携する! この地響きは、敵対行動を取った僕たちに群れが襲いかかって来る音だ!」
「えっ!?」
カイトの肩越しに後ろを見ると、何十頭ものカタラが木々の合間をこちらに向かって迫って来ていた。
その視線は睨んでいるようで、鬼気迫る勢い……わ、私が怒らせた……!?
「カイト! お、怒っているわ! 私、なんてことを……!」
「悔やむのも弔いも後だ! 出来るだけ傷つけずに群れを止める! 広範囲に出来るだけ分厚い光膜を展開して欲しい!」
「わ、わかったわ!」
私はカイトの首に片腕を回し、体を固定して黒杖を振るった。
せめて、テュルケの“金光の柔壁”のように柔らかく包み込めるような、そんな光膜で受け止めたい。
「金光よ柔らかく優しく受け止めて!」
金光が満ち、光の中で私は思う。
生きるということは、他者の命を奪うことでもあるんだわ。
自然の摂理、生きることの意味、命を奪うことの意味、今まで思いもしなかった生きている、ううん、生かされていることの大切さ。
今まで余裕がなかった私はそんなことに気が付きもしなかったけれど……カイトの腕の中で安心して、ようやくとても大切なことに気が付かされた……。
それでも私は、そんな自然の摂理に感謝してこの人とともに生きて行きたいの。
ごめんなさい……。そして、ありがとう……。




