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第一話 ゲームをしていただけなのに異世界

 僕は走っている。


 いや、正確には追いかけられている(・・・・・・・・・)


 軋む体に鞭を打ち、何から逃げているのかと言えば、“ロボット”だ。


 僕を捕まえようとしているらしく、時折背を撫でる感触とギションギションと石畳を踏む足音から、いくら走ろうとも引き離すことができないでいるんだ。


 何がどうして今の状況なのかはわからない。



「なん……なんだ……」



 困惑しながら肩越しに背後を見ると、僕を追いかけるのは間違いなくロボット(・・・・)


 全高は三メートルほどで、緑色の塗装に赤錆びた円筒形の胴体を持ち、逆関節の脚を忙しなく動かしている。ウォーターサーバーにも似た胴体からは、工業用マニュピレーターのような腕がこちらに伸ばされているから、狙いは確実に僕だ。


 そして、僕はフェイントをかけて左右にステップを踏み、ロボットの腕を避けた。

 風圧とともに鼻を突いた異臭は、獣臭のような腐臭のような、間違いなくロボットの全身を侵蝕する“肉”から漂ってきている。

 現状の把握もできていないのに、機械と生体の融合した謎のロボットに追いかけられているとか、ゲームのやりすぎで白昼夢でも見ているのかもしれない。


 だけど大気は冷たい、苔生した自然の匂いまでする。完全没入型VRゲームなんてまだ未来の話で、そもそもが僕は自分の家にいたはずなんだ。


 本当に、何がどうして自分がこんなところにいるのか、全くわからなかった。





「はぁ……はぁ……とりあえず、隠れられる場所を……」



 状況は、車一台が通れるほどの直線の街路を逃げている。


 街路の脇に建ち並ぶのは、日本ではまず見かけないような、細やかな装飾の施されたバロック様式の建造物ばかり。人の気配がなく古びれた街並みは、打ち捨てられて長い時間が経過した廃墟にしか見えない。

 そんな中を僕は、締め切られた扉に飛び込むこともできず、脇道もこれまで見当たらず、路なりに走り続けることしかできないでいた。


 激しく息を吐きながら空を仰ぐと、建造物の合間に見えるのは、やけに大きな青銀色の月と星もない捻れた闇夜だ。月明かりと青白い炎が灯る街灯があるから暗くはないけど、この街はどこまでも青くただただ不気味でおぞましい。


 僕の家は日本ではどこにでもある普通のマンションで、近所にこんな場所は当然ないから、今の状況はどう考えてもありえない。


 確か、昨晩は自宅でゲームをしていたはず……。


 そうだ、新作アククションRPG『ドラゴンブラッドソウル』をプレイしていたんだ。僕の大好物の“死にゲー”で、困難を腕前ひとつでクリアするのに、一晩中テンションが上がりっぱなしになっていたっけ。

 仕事に忙殺されてようやく取れた有給休暇は、結局はすべての時間をゲームプレイに熱中することで消化してしまった。


 それから……たぶん途中で寝落ちして……目が覚めたらこの世界(・・・・)だ。



「はぁっ、はぁっ、結局は答えがないじゃないか……。なんなんだここは……!」



 最初は夢だと思い、そうこうしているうちに遭遇したのがこのロボット。


 どこからどう見ても“重量逆関節二脚”だったから、もちろんロボゲーも好きな僕は一瞬だけときめいたけど、急に襲いかかってきたから逃げ出したんだ。



「はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ、限……界だ……誰か、助け……」



 心臓は早鐘のごとく、体の内から自分自身を締めつけている。


 逃げ道は前に進むしかない、助けてくれるような人通りもない、逃げ出してからまだ十分と経っていないだろうけど、軋む体はいつ限界を超えてもおかしくない。


 もしも、止まってしまえば……その末路は……。



「横に跳びなさい!!」


「えっ?」



 半ば諦めかけたその時、凍るような闇夜を斬り裂く声音が凛と響いた。


 薄暗い街路の先で金色の光が瞬き、だけど僕はこれまで逃げ回っていた疲労と突然の驚きで、跳ぶどころか脚をもつれさせてしまう。

 転びかけた瞬間、僕の体は何か柔らかいものに触れられ、視界が目で追うこともできないほどの速度で引っ張られる。



 ――ギンッドチュッ!



 そして、何かが硬いものに当たり、続いて耳障りな水音が辺りに響いた。


 咄嗟に音がした方を見ると、今まで散々追いかけ回されたロボットは倒れ、目の前で石畳を割りながら走る勢いのままに転がっていく。



「倒……した……?」


「■■■■■? ■■■■■■■■■■」


「え……?」



 呆然としていると、不意に頭の上から声が聞こえた。


 聞き慣れない言葉は何を言ったのかわからず、ただその可愛らしい声音に釣られて視線を上げると、そこには一人のやはり可愛らしい少女がいた。


 薄い紫色の髪をツインテールに結んで、クリクリと丸く大きな瞳は赤紫色、まだあどけなさの残る顔立ちは十代前半くらいだろうか。

 少女の真近に見る顔に熱を感じ、照れくささから思わず頭を引いてしまうと、僕の後頭部は異常な柔らかさに深く沈んでしまう。


 な、なにこれ……まさか、さっきからの柔らかい正体は……。



「ほわっ!? ごっ、ごめんなさいっ!!」



 僕は咄嗟に少女から体を離し、彼女を正面から見える位置まで移動する。

 だけど、そうすることで見えた少女の姿に、僕は再び驚かされることになった。


 ちょこんと座る姿は小柄で、服装は白と黒のエプロンドレス。明らかにメイドさんに見えるけど、少女の頭の上には、カチューシャの代わりに猫のものによく似た獣耳と、ツインテールの根本を巻くような角が生えていた。


 そして、僕の後頭部を柔らかく支えてくれた正体……何とは言わないけど、大きい……。



「え、えーと……コスプレですか……?」



 冷静を心がけていたつもりだけど、ロボットに追いかけられていた時よりも、僕はさらにに混乱しているようだ。

 見知らぬ街、異貌のロボット、猫耳と角を生やしたメイドさんと、そのミスマッチな光景はさすがに現実とは思えず、許容できる限度というものがある。



「■■■、■■■■■■■■■■■■!」



 やはり聞き慣れない言語で、またメイドさんが何か言った。同時にピコピコと忙しなく動く猫耳は、彼女が生まれながらに持ったものとしか見えない。


 これは、ようやく実感と想像が及んできたけど、噂に聞く“異世界転移”か……?



「ええ、そうね。格好も見慣れないもの、“来訪者”で間違いないわ」


「……日本語!?」



 突然聞こえた日本語に振り向くと、メイドさんの他にもう一人いた。



「ニホン語? ごめんなさい、違うわ。こんな時のために、迷宮を進む探索者にはギルドから“翻訳器”が支給されているのよ」



 もう一人はそう言いながら、自分の耳の辺りをトントンと指で叩いた。


 その人物は、真っ白なロングコートを着てフードを目深に被っているのと、光源の月を背負っているせいもあり、陰になった顔はよく見えない。たおやかな声音と体つきから、女性であることがわかるくらい。

 腰に下げた黒塗りの長剣に手をかけているので、警戒はされているようだ。


 とりあえず、異世界の人に運よく遭遇できたと今は納得して、どうにか安全な場所まで案内してもらう以外に選択肢はないだろう。



「えーと、あなた方は……? 僕はここに迷い込んで……その、どうすればいいのかもわからなくて……べ、別に怪しいものではないので、助けていただけたら……」



 僕がしどろもどろに言ったところで、白いコートの人物はフードを脱いだ。

 流れ出た金髪が風もないのにふわりと舞い、呼吸ができなくなる。


 彼女が、あまりにも綺麗だったから――。



 その姿は、月光の下で煌めく金糸の髪と露わになった透き通る白い肌が、光をそのまま留めているようで美しく、まるで決して触れることの叶わないガラス細工のようだ。


 人……ではない。彼女にも、尖った耳の後ろから生える白金色の角がある。


 それでいて、驚いて無遠慮に見惚れる僕を見る彼女の瞳は、どこか儚い印象とは真逆の赤と、黄と、橙、鮮烈な夕陽色。


 これは美術品だ……神だけが創り出せる、精緻な美の極致。


 だというのに、神は己の存在以外の“完璧”を許さないのか、何故か彼女の左の角だけが、痛ましげに半ばから断ち折れていた――。



「安心していいわ」



 彼女の言葉に、僕は若干我を失っていた意識を取り戻す。


 青いばかりの月光を背負い、座ったままの僕を見下ろす美しい少女は、夢幻でもなく確かにこの場所に実在しているんだ。


 気持ちを改め、僕はゆるゆるとできるだけ刺激しないように立ち上がった。



「怖がらないで、まずは私の自己紹介からするわね」



 少女はそう穏やかに告げると、姿勢を正してうやうやしいお辞儀をした。


 由緒正しき姫か、深窓の令嬢かという見目とは裏腹に、その作法は剣を抱き礼を尊ぶ騎士のそれだ。

 主君に対するわけでもないのに、そうして彼女は深い礼から頭を上げ、決して揺るぐことはないと感じさせる眼差しで僕を見る。



「私の名は、“リシィティアレルナ ルン テレイーズ”。テレイーズの当主にして、神龍の名代。ようこそ、彼方より訪れし大迷宮の迷い人よ」



 僕を射抜いた視線はどこまでも真摯に、崩すことのない表情はあくまでも可憐に、青銀の月が昇る異世界で、僕は“龍血の姫”に出会った。

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