第百五十七話 考えごとは程々に
「最低限に最大限の支援ですね……」
「言い得て妙だけど、そんなところだ。物資だけでも潤沢なのは助かる」
「然り、保存食だけでも往復分、しかしこの過剰さはギルドの謝罪代わりと見る」
迷宮深層域を進むに当たり、僕たちが第四拠点に消耗品の補充に戻ろうとしたところ、ヌコッラさんが大量の物資を提供してくれた。
彼の話によると、シュティーラさんから始まり、エリッセさんやルニさんが間で追加してくれて今の物資の量となったようだ。
当然その量は僕だけでは持てず、特大サイズの背嚢を僕とベルク師匠が、中サイズをノウェムとテュルケで分けて担いでいる。
「第八深界層の踏破に一ヶ月だっけ。長く足止めされない限りはこれで大丈夫かな」
「はい、第九深界層に入ってしまえば狩りも出来ますから、充分過ぎるほどです」
「第九深界層か……入り組んだ地形じゃないそうだけど、安全第一で進もう」
僕たちは迷宮深奥に向かい、第八深界層の大半を占める岩盤の上を進んでいる。
尾根から見える景色は崩れた神代の都市ばかりで、谷底で停止している陸上母艦も遠くから良く見える高所での旅路だ。
ここを徘徊する墓守は“騎兵”を筆頭に、“重砲兵”、“掃除屋”、“猟犬”が殆どとのこと。時折“戦車”や“巨鷲”も現れるらしく、市街地に下りれば隠れられる場所は多くあるけど、空からの目だけは注意して進まないと強襲されかねない。
「サクラ、テュルケ、本当にもう神経毒は大丈夫か? 体に異常があれば、早めに伝えてもらえると助かる」
「私は大丈夫です。焔獣種は基礎代謝が高いので、毒の浄化も早いんですよ」
「私も大丈夫ですです! 小さくても、姫さまと同じ血が流れていますです!」
「うん、それなら良いんだ」
とは言ったものの、サクラは熱でもあるのかどうも普段より頬が赤い。
発情期の熱に浮かされた感じではなく、単に恥ずかしがっているような素振りで、獣耳と尻尾も落ち着きなく揺れているんだ。
それで上目遣いで僕を見るもんだから、普段は楚々とした彼女の今の様子は何かくるものがあるな……。
「サクラ、どうしたんだ……?」
「いえ、どうしても思い出してしまって……あの、ごめんなさい」
「うん? 何を……?」
「アラウガレアに捕まった時のことを……です」
そうか……確かにあの時は艶のある声を上げていたから、僕も意識を失っていなければ湯から上がれなくなったほどだったかも知れない。
サクラは僕が思い出しているのを察してか、余計に頬を赤く染めて恥ずかしそうに俯いてしまっている。その割に表情は嬉しそうだけど……。
「ま、まあ、思い出させてごめん。僕もこれ以上は気にしないようにするから」
「は、はい、大丈夫です! お気遣いありがとうございます!」
と、サクラが気を取り直したと思ったら、僕の背後ではテュルケまで頬を赤くして視線を彷徨わせていた。
「テュ、テュルケもね。あれは事故だったんだ」
「はっ、はいですっ! 大丈夫ですですっ!」
捕まった時のことを思い出しているのは間違いないんだけど、やはりテュルケもどこか嬉しそうなんだよな……中毒とは違うようなんだけど……。
「主様よ」
「うん?」
そんな二人の様子を心配していると、ノウェムが耳を貸せと手招いてきた。
「主様、アラウガレアの毒はな、ある程度の量が注入されると快楽に通ずる夢を見るそうだが、それに起因する願望を見るとも言われておる」
「うん? どんな夢?」
「勿論、快楽を誘発するからには意中の相手とのむぐぅっ!?」
キャーッ!? それ以上はいけない、僕は咄嗟にノウェムの口を塞いだ!
そそ、そう言うことか……僕は媚薬程度の効果だったから見なかったけど……な、なるほど、実際に相手が出て来て何やらをするような夢を見るのか……。
ああ……いくら僕が色恋沙汰に愚鈍でも、ここまで親愛の情を向けられては気が付かないものはない。
テュルケは良くわからないけど、サクラはな……。勿論、彼女の気持ちをおざなりにするつもりはなく、時が来たらしっかりと答えを出すつもりだ……。
そして、傍では何故かリシィが落ち着かなさそうにしていた。
◇◇◇
「テュルケ、やわらかクッション!」
「えいやーっ! ですですっ!」
「今だ、アディーテ!」
「アウーッ!」
カイトが指示を出し、テュルケが“金光の柔壁”で爆炎を返し、たった今アディーテが掃除屋に止めを刺した。
今私たちは、どうしても横切らなくてはならない神代の市街地に下りて来ていて、実戦でのテュルケの能力の活用法を色々と試しているの。
これまでにわかったことは、形を柔軟に変えるものの硬質化は出来ず、触覚はあるものの痛覚がなく、テュルケが痛むようなことはないということ。
折角発現した固有能力で傷つくようなことがなくて良かった、安心したわ。
それにしても、『やわらかクッション』は戦闘中だと気が抜ける名よね……。
「テュルケ、ご苦労さま。能力の使い方には慣れてきたかしら?」
「はいですです! カイトおにぃちゃんがいっぱい教えてくれますです!」
「良かったわ。今は直ぐに休めないから、神力が枯渇しないよう程々にね」
「わかりましたです!」
あんなに意気揚々と喜ぶテュルケを見るのは久しぶりだわ、役に立てることが余程嬉しいのね。
それにしても、カイトに一度だけでもテュルケと一緒に寝てもらえるよう伝えたほうが良いのかしら……はっ!? わわっ、私は何を考えているのっ!
ノウェムはカイトに耳打ちするような素振りで、しっかりと私にも聞こえるよう話すんだもの、思わず夢の内容を聞いてしまったわっ!
テュルケが見た夢は後で話してくれたけれど……カイトと一緒に寝るだけの他愛のないものだった……。些細な、それでも願望が込められたもの……。
野営地で……機会なんてあまり……けれど、私からお願いするのも……。
「リシィまで顔が赤いけど、大丈夫か?」
「きゃあっ!?」
「おわっ!?」
「ごめん、驚かせた!」
「え、いえ、良いの。少し考えごとをしていて……これではカイトのことを言えないわ」
「気持ちは良くわかる。何か困ったことがあったら相談に乗るから」
「だっ、大丈夫よっ! 気にしないでっ!」
ううぅ、相談なんて出来ないわ……。せめてテュルケに、自分からお願いするよう後押しをするだけで……不甲斐のない主でごめんなさい……。
「姫さま、荷物持ってくれてありがとうございましたです!」
「ええ、構わないわ。もう良いの?」
「はいです。野営地が近いそうなので、えへへ!」
「そ、そう、聞いていなかったわ……」
これでは本当にカイトのことを言えないわね、考えごとは程々にしないと。
テュルケが指し示した先は市街地を望める岩盤の中腹辺りで、ここからでは何かあるようには見えないけれど、それは墓守からも死角になっていて、地図通りなら水浴びも出来る小川も流れているみたいね。
まだ先は長いのだから、一日の疲れを残さないようしっかりと休んで進むようにしないと、本当に宿処や館での生活がとても懐かしく思えるわ。
「リシィ、右前方一時の方角およそ百二十メートル先に猟犬が二体。瓦礫から出て来た瞬間を二体同時にやれるか? 隠密重視、一撃で」
「ええ、そのくらいは私に任せて」
「流石は姫さまだ。頼む」
「ええ!」
頼られるのが嬉しいのは私自身も良くわかるわ、それが好意を寄せる相手から向けられたものなら尚更ね。
け、けれど、それを言動で上手く返せないのは情けなく思う……そうだわ、自分のお願いではないのだから、素直になるための予行練習にするのはどうかしら!
テュルケには悪いけれど、きっと嬉しいことだもの許してくれるわよね!
そうと決まったらこうしてはいられないわっ!
「金光よ爆光の矢となり穿ち爆ぜよ!! 消し炭になりなさい!!」
「ちょっ!? リシィッ!?」
市街地全域に高らかに鳴り響く爆音を上げてしまったわ……。