第百五十五話 姫さまのカレー再び
アラウガレアの件から四日、サクラとテュルケは流石に高等種の血脈だけあり、次の日には調子を取り戻してしまった。
大事を取って休ませてはいたけど、少し目を離すと家事を始めてしまうから、僕やリシィが常に付き添っていたんだ。
メイドの矜持というやつだろうか、感嘆の思いではある。
「ふふ、カイトさんの作ってくれたサンドイッチはとても美味しいです」
「乾パンだけどね……食感が最悪だと思うんだ……」
今、僕たちはリシィの提案で川縁の大きな岩の上でピクニック中で、お弁当の体裁を無理矢理整えた料理は、僕とリシィとやけに良妻アピールをするノウェムで作った。とは言え、まともなパンがないのでサンドイッチもどきだ。
これまで、どれほどの生活基盤をサクラとテュルケが担っていてくれたのかと思うと、身に沁みて感謝するしかない。
周囲に意識を向けると、辺りには樹木が立ち並び足元には苔生した岩、充満する濃い新緑の香りは何とも言えない心地良さをもたらしてくれている。傍から聞こえる川の流れも心穏やかになる音色を奏で、幼い頃に両親が連れて行ってくれた奥入瀬渓流を思い出すかのような景観だ。
木漏れ日も丁度良い温もりと明るさ、リシィがピクニックを提案したのもここに来れば心から頷けてしまう。
「おにぃちゃん、見てくださいですっ! 果物の皮を剥いて乾パンで挟むと、良い感じに果汁が染みてふやけますですっ!」
「う、うん……問題は味だと思うけど、多分……」
「もぐぅ……もさもさ……ぐにぐに……むぐむぐ……うええぇ、果物が台なしですぅーっ! 混ざった食感がうーーーーっ!」
「まあそうなるな……」
――バシャーンッ!
「アウーッ! おっさかなーっ!」
テュルケが顔をしかめる傍らで、アディーテが魚と一緒に川から飛び出して来た。
相変わらず水に飛び込む時はパーカー一枚で、健康的な褐色の生脚についつい視線を向けてしま……ごめんなさい! これ以上は見ません!
危ない……左隣に座るリシィが僕を横目でチラチラと見ていた。ジト目回避。
「カカッ! これは見事なイワンナ! 捌いて塩焼きにいたす!」
人の名前みたいになっているけど、アディーテが獲った魚はどう見てもイワナだ。魚が転移するなんてこともあるんだろうか、それとも似ているだけ……?
ベルク師匠が直ぐに下処理を済ませ、串に刺して焚火に立てかけると、しばらくして魚の焼ける香ばしい良い匂いが漂い始めた。
魚はここに来て毎日のように食べているけど、迷宮にいる間の食事は殆どが保存食なぶん、新鮮な料理が食べられるのは本当にありがたく飽きない。
ノウェムなんか、『まだかーまだかー』とベルク師匠の腕を引っ張ってしきりに催促しているくらいだ。
「あの、カイト」
「うん?」
「これ、こっそり作ったのだけれど……どうかしら?」
「どれ? え、こっ、これっ!?」
リシィが取り出した物体の見た目のやばさについ声が裏返ってしまった。
僕の右隣に座るサクラまで動きが止まり、その物体を驚いた表情で凝視している。
匂いからあるのはわかっていたけど、予想した形じゃなかったんだ。
「ええ、前に美味しいと言ってくれたから、あれから練習してまた作ってみたの。今回は白米がなかったから、工夫して“カレェ乾パン”にしたのよ」
リシィは不安そうに、テュルケはドヤ顔で、“カレー乾パン”なるものを僕に差し出してきた。カレーパンならぬカレー乾パンとはこれ如何に。
どう見ても、その様を一言で言い表すなら“ブルーベリーサンド”なんだ。
半分にカットされた乾パンの間に紫色の何かを塗って挟んだもの。
「香辛料なんてどこに……?」
「一回分だけ持ち込んだのっ! 良いから食べてみてっ!」
「はっ、はいっ!」
僕は恐る恐るカレー乾パンを受け取り何となくサクラを見ると、彼女はゴクリと喉を鳴らしながら力強く頷いた。
ま、まあ紫色だけど、以前も甘口なだけで普通に美味しかったから……それにリシィの作る料理なんだ、ご褒美であることは間違いない。
「それじゃ、ありがたく頂きます」
「え、ええ、感謝して大事に食べなさいっ!」
「もぐ……もさもさ……もぐもぐ……うん、カレーだ。しかも辛口になってる」
「そ、そうっ、良かったわ! カレェは辛いと教わってから、レシピ通りの香辛料に気を使ったの。ね、テュルケ」
「はいですです! 前回はどうして甘くなったのかわからなかったので、もう一度レシピを穴が空くまで確認しましたぁ~」
それでどうして紫色になったんだろうか……?
この世界の香辛料の特性か何かはわからないけど、サクラは本来のカレーの色を認識しているようなので、異世界だからというわけではないらしい。
「はい、まだあるから皆も食べて」
「はっ、はい! 頂きますね」
「ぐぬ……我は辛いのは苦手なのだ……」
「苦手なのは仕方がないわ。無理しないで」
ノウェムは元から辛いものがダメだけど、サクラはカレー乾パンを口に運んだ。
最初は恐る恐る、乾パンが食べ難そうではあるけど、咀嚼するうちに少しずつ緊張が解けていくのがわかる。
「驚きました……! この見た目でしっかりとカレーの味なんですね!」
「うん、逆にどうしてこの色になるのか知りたいくらいだよ」
「え……ま、まだ違うところがあるの……?」
「カレーは紫色じゃなくて茶色なんだ。この世界の香辛料には、一般には知られていない特性があるのかも知れない」
言いながらサクラを見たけど、彼女も首を傾げてしまった。
やはり、リシィとテュルケ固有の料理法が何かあるのか……龍血の姫の特殊な神力に反応して色を変える香辛料も充分にあり得るな……。
「レシピ通りに作ったつもりだけれど……」
「うん、色には驚かされるけど味は美味しいよ。満足だ」
「それなら良かったわ……テュルケ、私たちも食べましょう」
「はいです、頂きますですっ!」
だけど、二人は一口を食べて途端に微妙な表情を浮かべる。
「はは……まあ、折角のカレーも乾パンとじゃ勿体ない、せめてナンじゃないと。地上に帰ったらちゃんと形にしたいね。サクラ、カレーパンは作れる?」
「何度かゼンジさんに作りたてを頂いたことがあります。カレーのお墨付きを頂いたのが最近なので作ったことはありませんが、挑戦はしてみたいですね」
「そうか、今度地上に戻った時に作ってみよう」
「はい♪」
「そ、それっ、私も手伝うんだからっ! 良いわねっ!」
「私もお手伝いしますです! メイドとして、おにぃちゃんの世界の食べ物はそのまま形にしたいですですっ!」
リシィとテュルケが妙な覚悟をしたところで、魚を焼いているベルク師匠とアディーテにも分け、カレーだけは美味しい“カレー乾パン”を皆でもそもそと食べた。
乾パンじゃなく、やはり白米が欲しいところだ。
―――
「カ~イトッ♪ ふぅ~」
「ギャーーーーーーーーーーッ!?!!?」
「うわっ!? ビックリした、そんなに驚くことないだろ?」
「え、あ、ああ、レッテか……こっちがビックリしたよ……」
皆がイワンナの塩焼きを食べ終わる頃、唐突に背後から耳に息を吹きかけられ、僕は驚きのあまり叫んでゴロンゴロンと転がってしまった。
背後から悪戯を仕掛けて来たのはレッテ、砂利や枝を踏む音すらしなかったのは熟練の探索者のなせる技か……凄いな……。
「あのあの、おにぃちゃん……動かないでくださいですぅ……んっ」
「ひえっ!?」
あわわ……転がったせいで、対面に座っていたテュルケの本物のやわらかクッションに後頭部を押しつけていた。どうりで柔らかいと……。
「カ、イ、ト……?」
「わざとじゃない! わざとじゃないよ!?」
リシィの瞳の色が青ざめ始めたのを見た瞬間、僕は飛び退いて再び元の位置に舞い戻った。
こういうハプニングは望んでいないんだけど……まさかこれも“三位一体の偽神”による仲間を分断しようとする策略……いや、何でもかんでも偽神が絡んでいると思うのは病気だ。流石に違うだろう。
「そ、それで、レッテは何か用か? サンドイッチなら少し残っているけど……」
「あー、それそれ、呼びに来たんだ。そっちの魚なら貰う」
「うん? 何かあった?」
「前哨地にギルドからの使いが来た。探索者の護衛つきでこんなところまで来るなんて余程のことだぜ」
「ギルドの使い……わかった。みんな、陽も落ちて来たし片づけて戻ろうか」
“三位一体の偽神”の誘い、いずれ来るとは思っていたけどようやくだ。
間違いなく、【重積層迷宮都市ラトレイア】の深奥へと進むことになる事案がある。
休暇は終わり、覚悟を決めよう。