第十六話 増える気がかり 避けられないフラグ
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この世界に来て、親方と会ってから早くも五日が経過した。
この五日間、まず午前中はサクラ指導の元でこの世界の言語の勉強。
午後からは親方の工房での職業体験。流石に日本コミュニティのお膝元、ここの従業員は拙くとも皆日本語が話せると言うことで、僕の言語の勉強もついでにとても良くしてもらえた。
仕事の内容は雑用で、専門性のあることは教えてもらえなかったけど、期間がとりあえずの五日なのでこんなものだ。
収穫は、僕が何かと墓守のことを尋ねるのを察してか、親方から“鉄棺種図鑑”を貰えたこと。
中身はこの世界の言語で書かれているため、辞書を片手に読むしかないけど、これも勉強になると思えばついでだ。ただ、図鑑の一言目が『説明しよう!』とどこかで見たノリだから、これは日本人が書いたものなのかもと少し胸が躍った。
テュルケのお願いに関しては、流石に五日ではどうにもなっていない。
原因が原因だから、無理やり笑わせようとしてもダメなんだよな……。
そして、六日目の今はまだ宿処、皆で食卓を囲んで昼食を食べている。
昼食は、フランスパンもどきに目玉焼きとベーコン、他はサラダにスープと、地球でもお目にかかる至って普通なものだ。
「サクラ、他の日本人には会えたりする?」
まだ親方にしか会えていないけど、僕を入れて日本人は九人と聞いているので、この世界には残り七人もいることになる。
「はい、落ち着いてからご紹介しようと思っていましたが、そうですね……お二方は近くで料理屋を営んでいるので、こちらは近い内にご紹介しますね」
「お、ありがとう。その時はお願い」
「後の方は、直ぐには難しいかも知れません。行政府に勤めていてお忙しい方がお二人。探索者として迷宮に入っている方もお二人。最後のお一方は、エスクラディエ騎士皇国に教師として招かれていて、現在ルテリアにはいません」
「そうか……」
驚いたな……地球人の探索者がいるのか。
パーティを組んだ時、迷宮内でどんな役割をするのか参考にしたいけど、とりあえずは後回しかな……まずは、言語と墓守の勉強が優先だ。
「探索者の人には会ってみたい、いつ迷宮から帰って来るかわかる?」
「はい? それはどうでしょうか……探索者の方は、『五十蔵 瑠子』さんと言うお名前ですが、来訪者としてはかなり異質な方なので……。いつもの調子ですと、後一ヶ月は戻られないかと思われます」
……何だ……何か既視感を感じた。
『イオクラ ルコ』……記憶の片隅に引っかかりがある。
何かが喉まで出かかっているのに、最後の一押しが足りない。
「カイト、どうかしたの?」
「あ、ごめん……何でもないよ、リシィ」
眉間に皺が寄っていたか……。
うーん……引っかかるけど、心当たりはないな……。
「うん、何か思い出しそうだったけど、気のせいだったみたいだ」
「そう?」
三人とも首を傾げている、僕も首を傾げたい。
昼食を食べ終わって片づけを済ませた僕たちは、出かける準備をしている。
今日からは職業体験ではなく、それにかこつけた勉強と訓練。僕が墓守に興味があることを知って、親方が探索者教練所の紹介状を書いてくれたんだ。
「へえ、『マコニモイショ』とはこのことを言うのね? サクラに教えてもらって、少し日本語を学んだのよ」
『フフン』と鼻を鳴らしてドヤ顔で笑うリシィ。勿論、僕の妄想の中でだ。
僕は今、この世界で手に入れた、M65フィールドジャケットにしか見えない上着を着ている。間違いなく来訪者が持ち込んだデザインだろう。
丁度昨日は、親方の工房で働いた給料をもらったばかりだったので、帰りがけに見つけて購入したんだ。やはり、馴染んだ形の方が着ていて落ち着く。
「『馬子にも衣装』だね、何でことわざを?」
「語感が気に入ったの。日本語は綺麗な音がするから好きよ」
僕を見上げるリシィは相変わらずの無表情だけど、それでも可憐さは決して失わず、思いもよらない『好きよ』に少しドギマギしてしまった。
これでも、ここ数日でこの美貌にも大分慣れたとは思うんだけど……。
リシィはいつもの黒のワンピースと青の革鎧に、コートは手に持っている。
ノースリーブの肩口から伸びる肌が、光を反射して透き通るほどに白く、その華奢な輪郭についつい僕は目が泳いでしまう。
そうして視線を巡らせると、腰に下げられた黒杖で目が止まった。それは良く良く見ると、柄が日本刀の柄巻きに似た模様になっていて、反りがあったら刀だと思ったかも知れない。
「お待たせしました」
「お待たせしましたです!」
サクラとテュルケは変わらずのメイドさん。メイドさん……良いものです。
「……あれ、リシィたちも来るの?」
「え、ええ、勿論ついて行くわ。言ったでしょう、墓守を相手にするには力不足を感じたと。わ、わわ私たちも、今一度勉強させてもらうんだから」
……ん?
テュルケを見ると、器用に口だけで笑みを作っていて、やはり『ん?』と見慣れないものを前にしたかのように、リシィを見ていた。
そうなんだ……ここしばらく、何故かリシィは時たまどもる。
ツンケンされるよりはマシなんだけど、理由がわからないので何とも判断に困ってしまうんだ。
サクラはサクラで、これまた良くわからない聖母の微笑で僕たちを見ているから、本当に何だかわからない。
し、しばらくは様子を見ることにしよう……。
―――
馬車に揺られ、橋の上を進む。
教練所は運河を渡った先、探索区の入口となる第一防護壁の袂にあると言う。
本来は墓守に関する座学を修めた、“見習い探索者”になって初めて入れるようなので、かなり優遇してもらったようだ。
勿論、座学とは言えないまでも、サクラに手伝ってもらって鉄棺種図鑑には一通り目を通して来ている。
とりあえず気になったのは、以前話にも出ていた“砲狼”についてだ。
砲狼は、何と言い表わせば良いのか困るけど、まず見た目が酷い。
その様は、胴体は四足歩行の獣で、百二十もの節を持つ長い尻尾を持つ。
……ここまでは良い。
頭が重機。解体用アタッチメントと言えば良いのか、何本もの爪が牙のように主張する異様な大顎を持つ。
そして背中には個体差があるらしいけど、最大のものだと“五十二口径百五十五ミリ榴弾砲”を搭載した、旋回式砲塔まで確認されているとのこと。
全長は尻尾抜きで十三メートルで、その異様さを表す『人喰い』と言う二つ名までついている。
どんな運用を想定していたのか……そもそも四足歩行は、背骨をバネのように使うことが出来るから機動性を出せるのであって、その上に重い大口径砲を載せたらその利点を潰してしまう。
未知の技術があって、このデザインでも万全を発揮出来るのか。だとしても、これを設計した奴は、重度のマッドサイエンティストに違いない。
本当に考えただけでも、あまり遭遇したくはない墓守だな……。
「うーむ……」
「カイト?」
考え込む僕を、リシィが馬車の座席の対面から覗き込んだ。
サクラとテュルケまで、心配そうな面持ちでこちらを見ている。
「あ、ごめん、考え込んでいた」
「カイトさん、大丈夫ですか……?」
「うん、大丈夫。鉄棺種図鑑を見てから気になることが多くて、ついつい思索に入ってしまうだけなんだ」
「そう、何か気が付いたことでもあるの?」
「特には何もないかな。砲狼は凄い顎だなあ……くらい」
サクラが一瞬、体を強張らせた。
そうか……こいつは話の印象通り、見かけ通りに厄介なんだな。
何事もなければ良いのだけど……そう思うのはフラグか……。
「カイトさん、見えて来ましたよ」
取り繕うように、サクラが窓の外を指差した。
教練所と言うよりは壁、第一防護壁が目前に迫る。
重苦しい青みを帯びた灰色の威容、高さが三十メートルもある防護壁。
その向こうの大断崖と比較するとまるで赤子のようだけど、それでも僕はその巨壁を見て、若干恐れにも似た武者震いをしてしまった。