第百三十四話 驚きの連続と心休まる時
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迷宮に入ってわずか一日で、これまで前提としたものが揺らいでしまった。
まず驚かされたのは、迷宮に入ったその日の夜に第一拠点ヴァイロンに到着してしまったこと。
アシュリンが案内した場所に、今まで知られていなかった転移装置があったため、それをいくつか経由して一週間の道程を一日に短縮してしまったんだ。
「転移装置はアシュリンにしか起動出来ないのよ。お前たち人間は無様に迷宮を彷徨うが良いの……痛っ!? 叩かないでなのよ!?」
アシュリンは無駄に人らしい余計な一言を言ったがため、ノウェムとトゥーチャに叩かれている。実際に痛いわけじゃないだろう。
ただ、ようやく合点がいった。厳重に封鎖されていてもどこからか墓守が入り込むのは、この知られていない入口があったからだ。これは人用のため、第一界層には小型の労働者くらいしか進入出来ない。
だけど、おかしいのは……。
「アシュリンは【鉄棺種】じゃないのか?」
「あんなのと一緒にしないで欲しいのよ。アシュリンは選ばれた高貴な血脈なのよ」
アシュリンに血が流れているかはともかく、彼女は普通に墓守に襲われた、むしろ狙われた。一体こいつは何なんだ、“鉄棺種を遣う者”の陣営じゃないのか?
良く良く考えたら、依然として墓守と“肉”が共存している理由を説明出来ないし、忌人の役割もわかっていない。
うーん、まだ肝心の情報が足りないんだよな……。
「皆様、お久しぶりですなあ。ご活躍は常々ここまで聞こえておりますわあ。姉様も、正騎士の一件以来ですなあ」
今、僕たちは第一拠点の探索者ギルドに寄っている。
人数が多いので、テュルケとベルク師匠とアディーテは宿の手配で別行動だ。
何らかの情報が得られないかと窓口で訪ねたところ、しばらくしてルニさんがしゃなりとやって来た。
「ルニさん、お久しぶりです。えーと、姉様?」
「くしし! ルニも元気そうナ、ギルドマスターしっかりやってるかナ!」
「はい、姉様。おかげさまで、第二拠点の復旧も良う進んでおりますわあ」
「え……えっ!?」
「くしし! ルニはあたしの妹ナ。カイっち、驚いたかナ!」
「そんな……バカな……!?」
この世界絶対おかしいよ!
瞳と髪の色や印象が似ているから、ひょっとしたら親子かな程度には思っていたけど、小さいトゥーチャが姉でグラマラスなルニさんが妹!?
リシィやノウェムだけでなく、サクラまで驚いているじゃないか!
「はははっ、カイトくん、彼女たちは種を別とする異母姉妹だからね。外見は当てにならないよ」
「くしし! あたしは瞳鬼種、ルニは精鬼種ナ。わかったかナ?」
「いや、わかったようなわからないような……複雑ですね」
「それにしても……どうやってこんなに早くお着きに? 今朝エリッセから連絡が来たばかりで、頼まれた情報の精査も出来ていない状態でしてなあ……」
「まあ、話には聞いていると思いますが、こいつのせいですね」
僕が視線を向けたのはアシュリンだけど、その様は偽装されてかなり怪しい姿となっていた。
「これはまた奇妙な出で立ちですなあ……」
ルニさんはどん引きしてしまっている。
アシュリンの格好は、出来るだけ目立たないようにと親方の配慮だろう、全身を包む灰色の外套は足までを隠して機械の体は一切見えていない。それでいて、唯一露出する顔部分にはまさかのひょっとこのお面だ。
まあ外身ばかりが目立って、中身には注意が向かないのかも知れない。
「その話は後程として、情報の精査に一日頂けますかあ? いくつか気になる情報も寄せられていますので、明日の同じ時間にでもお伝えしますわあ」
「はい、僕たちも予想外に早く到着したので、急かしてしまってすみません」
「事は急を要するために致し方ありませんわあ。それでは皆様、本日はごゆるりとお休みくださいなあ」
気分的には休まず直ぐにでも出立したい。
だけどここは迷宮で、先はどこまでも長く険しいんだ。
逸る気持ちを抑え、常に万全の態勢でいられるよう落ち着いて行かないと、足元を掬われることになるのは僕たち自身なんだから。
「良し、先に向けて休もう」
―――
……それで、どうしてこんなことに。
「ダメよ! ベッドはサクラとアディーテがひとつ、私とテュルケとノウェムでひとつ、良いわね!? カイトは男性なんだから、一人で良いの!」
「ひとつのベッドに二人ずつで良いではないか! 我は気にせぬ!」
「ダメったらダメなのっ!」
「二人とも、僕は床で寝るから……皆でベッドを使って……」
「ダメよ、しっかり休んで!」
「ダメです、お疲れが取れません!」
「ダメだ、主様を床で寝かす妻が何処におるか!」
「あのあの、それなら私がカイトさんと……」
「テュルケ!? 何を言っているの!?」
「はわああっ!」
間が悪かったようで狭い第一拠点の宿はほぼ満室、僕たちはベッドが三つある部屋をひとつしか借りられなかったんだ。
ベルク師匠は竜種専用の宿、セオリムさんとトゥーチャは仕方なくルニさんのところに、アシュリンは物扱いで厳重に探索者ギルドで保管と、残された僕たちはベッドの振り分けで揉めていた。アディーテはもう寝ている、マイペース凄い。
「ノウェム、僕も一人でベッドを使うのは申しわけないけど、そう言うことならリシィの意見が妥当だと思う」
「ぐ、ぐぬぬ、仕方あるまい……聞き分けを良くするも我の魅力だからな」
それを自分で言うかな……?
「ああ、それよりも僕がベルク師匠のところに行けば……」
「ダメぇっ!」
「ダメです!」
「ダメだっ!」
「ダメですです!」
「アウー! むにゃむにゃ……」
「何で!?」
結局、僕はサクラの取り纏めで真ん中のベッドを使うことになった。
女性の部屋に男一人は落ち着かない……。
程なくして暗い室内に皆の寝息が聞こえ始めた。
スゥスゥと静かな寝息、時折聞こえる『うぅん……』と喉を鳴らす音に、僕の心臓は高鳴りが止むことなくベッドの中で一人悶々としている。
ベッドがあるだけの広くない室内に充満しているのは、湯浴みを済ませた後の石鹸の香りと、こんな拷問があったら男は誰だって落ちるよな……。
今からでも遅くはない、ベルク師匠のところに……。
「カイト、起きている……?」
「起きているよ、リシィも眠れないのか?」
「ええ、緊張してしまって……」
「僕も落ち着かなくて同じだ」
丁度良い、前々から確認しておきたかったことを訪ねてしまおう。
「リシィは、神器を使っていて負担はないのか?」
「神力を行使した分の疲労はあるけれど……それはどう言う……」
「いや、僕が聞きたいのは、神器の力に当てられないのかってことだ」
そう、“死の虚”を内包する【蒼淵の虚皇】が体内にあるとしたら、免疫があるとかそんな次元の話じゃない気がするんだ。“死の虚”に少しでも触れたからこそ、安全面上の観点からどうも気になってしまっていた。
【銀恢の槍皇】にしても人体を侵蝕する力を持ち、可変とはいえ全長五メートルを越える。リシィの華奢な体の中に物理的に入るはずがない。
“龍血”……ひょっとしてそれは、ノウェムの力と同じく転移能力を持った血なんじゃないだろうか。
そうして、しばらく考え込んでいたリシィが答えた。
「ええ、特にそう言ったことはないわね……気になるの?」
「僕は一度神器の力に当てられているからね。リシィの体が心配になったんだ」
「んっ……だ、大丈夫よ。ありがとう、気にしてくれて……」
神器……【神魔の禍つ器】の由来も気になる。
“神”は神龍としても、この世界で“魔”を現す概念は何だ……?
調べても該当するものは“魔物”くらいで、何をもって“魔”としているのか……。
――ギシッ
「ん? ほあっ!?」
「しっ、静かにして。あんなことを言っておいて抜け駆けだけれど、眠るまでは傍にいてあげるからしっかりと休みなさい。あ、あくまで主としての責務なんだからっ」
何故かリシィが僕のベッドに移動して来て、寄り添うように寝転がった。
「ぎゃ、逆効果なんじゃ……」
「うるさい! 良いから寝るのっ!」
「はいっ!?」
リ、リリリシィは何を考えているんだ!?
絶妙に体が離れているから接触はないんだけど……こっ、これじゃ襲われても文句は言えないよ!? 石鹸と彼女自身の甘い香りが鼻孔をくすぐり、どうにも良からぬ思考が胸の内を駆け巡ってしまう。
そんな限界思考の僕の胸に、リシィは自分の掌を乗せてきた。
「リ、リシィ!?」
「お母様がね、幼い頃の私を寝かしつける時に良くこうしてくれたの。ゆっくりと神力を放出するのがコツなのよ」
すると、胸元がじんわりと暖かくなった。
サクラの火の熱さとは違う、ぽかぽかとした日溜まりの暖かさだ。
それと同時に、リシィは静かな子守唄を口ずさみ始めた。
民謡かな……神唱と似ていて、どこか違う優しい歌……。
まさか、この歳になって寝かしつけられるとは思ってもいなかった……。
不思議な感覚……これじゃもう、強制睡眠スキルだ……目蓋が……重い……。
……
…………
………………
「カイト、おやすみなさい……」