第百三十三話 思い遂げるまで離さないでと願う
◇◇◇
私たちは昨日のうちに準備を終わらせ、翌日の正午には探索者ギルドを訪れていた。
今は待合室でアシュリンの到着を待っているところだけれど、昨日……工房にいる頃からカイトの様子がおかしいの。自分の神器の右腕をずっと眺めていて、いつも以上に眉間に皺を寄せているから、調子が良くないのかも知れないわ。
「カイト、右腕が気になるようだけれど、どうかしたの?」
「あ……うん、僕の右腕……と言うよりも“青炎”かな、変じゃないか?」
「青炎……?」
ルコからもらった青光の雫が変質して、カイトの神器に宿った“青炎“。
今は継ぎ目から光が漏れるくらいで、私には何か変わったようにも見えない。
「見た目は今までとあまり変わらないわね。違和感でもあるの?」
「“ヴォイドチャンバー”……あれは、確かに“秘蹟抱く聖忌教会”で見た青い太陽……」
「え? ゔぉい……カイト、何を言っているの? しっかりして!」
「あ、ああ、ごめん。神器の記録……なのかな? 大丈夫」
「神器の記録……?」
「そう言えば、リシィは神器の記録は見ないのか? 神器から流れ込む夢のような感覚なんだけど」
「……わからないわ。私は神器と融合しているわけではないから……カイトは見ているのね」
「なかなか説明し難いもので、上手くは話せないんだけど……」
「良いわ。カイトの中で整理が出来たらで構わないから、迷宮に入る前に少し落ち着いて」
「うん、気になることが出来た時の僕の悪い癖だ……」
神器の記録……そう言えば聞いたことがある、神器は別名を“再生器”とも言うらしいの。
神龍が古い肉体を捨て、新たに生まれ変わることを表していると思っていたけれど、ルテリアに来てから“動く絵”を流すことも“再生”と言うことを学んだわ。
これは来訪者の知識で私たちにはない概念……。つまり“再生器”、神器とは記録を流す機能も持っているのかしら……話に聞いただけで、実際に動く絵を見たことはないからわからないわね……。
カイトは隣に座って相変わらず厳しい表情をしているわ。
ヨエルとムイタのお父様が心配なのはわかるし、不確定要素を気にするのもわかるけれど、しっかりしてもらわないと困るの。ま、また離れ離れは嫌なの!
「ほあっ!?」
そして、私がカイトの拳を作っている左手を握ると、彼は変な声を上げた。
心外ね……そんなに驚かなくても良いじゃない……。
「リ、リシィ……?」
「もう、貴方は仕方がないんだから。一度しか言わないから良く聞きなさい!」
「はいっ!?」
「わっ、私は、前みたいにカイトと離れ離れになるのはもう二度と嫌なの! だっ、だからっ、しっかりしなさいよねっ! 私も、皆だって心配になるんだからっ!」
「あ……ごめん。もう二度と間違えないようにと考えれば考えるほど、かえって思考の袋小路にはまってしまっていた。気を取り直さないとな……」
「人だもの、間違えるのは仕方がないわ。貴方がそこで足を止めるような人でないこともわかっているから、ならせめてこの手はもう二度と離さないで」
「ああ、そのつもりで最善を尽くす。離しはしない」
「ええ、そうしなさ……んっ!?」
んんんんんっ……カイトが左手を返して私の手を握った。
こ、これっ……てててててっ手を繋いでいる状態なんじゃないかしらっ!?
ああああああっ、どうすれば良いの、慌てているなんて知られたら……あっ、瞳の色に出ていないかしら……目を閉じて……余計に怪しいわっ!
「あっ、ごめん! 思わず握り返していた!」
「え、あっ……気にしなくても良いわ。励ましていたのはこっちなんだから」
ううぅ……直ぐに離されてしまった……。
もう少しくらい繋いでいてくれても……ああっ、違うのーっ!
「カイトさん、やはり手紙の送り先は判明しませんでした。どこかで人知れず紛れ込んでいたようですね」
私が心中で慌てていると、サクラが戻って来た。
ヨエルとムイタのお父様の手紙がどこから送られたのか、探索者ギルドの関連部署に確認を取りに行ってもらっていたの。
良かった、カイトの注意がサクラに向いたようね。今のうちに心を落ち着けて……。
「そうか……深層に向かったのは間違いないんだよな?」
「はい、それもカイトさんがこの世界に訪れる少し前に迷宮に入っています。深層探索は長期間に及ぶとは言え、迷宮内拠点でも長いこと所在が確認されていません。あまり望ましい結果になるとはとても……」
「それでも、僕は探索者の逞しさに懸けたい……」
「主様、こちらも手続きを終えたぞ。いつでも迷宮に入れる」
「ですです、深層行きは厳しい項目検査があってビックリしましたぁ」
「ノウェム、テュルケ、ありがとう」
「二人とも、ご苦労さま」
後はアシュリンと、迎えに行ったガーモッド卿とアディーテの合流待ちね。
昨日の今日とはいえ、私たちはいつだって迷宮に入れる準備をしていたから、特に不備はないわ。まずは第一拠点に向かうだけと、まだ気持ちは楽ね。
あら……ギルドの入口から歩いて来るのはセオリムとトゥーチャだわ。見送りに来てくれたのかしら?
「やあ皆、久しぶりだね。私たちも合流して良いかい?」
「くしし! 一緒についてってやるナ、嫌とは言わせないナ!」
「えっ!? セオリムさん、どう言う……?」
「シュティーラの命さ、カイトくんたちに同行しろとね。別行動のレッテたちは帰還途中で折り返したため、途中までは私たち二人だけだが」
「そ、それは頼りになります。いや、前触れもなかったので驚きました」
「ははは、昨日の今日で出立を決めたそうじゃないか。私たちも焦ったよ」
「そうでした……」
「殿下も、付き従うことをお許し願えますか?」
「え、ええ、心強いわ。私からもお願いしたいくらいだもの」
「それは僥倖、このセオリム アーデライン、殿下とカイトくんのために尽力しよう」
「くしし! セオっちは軍師の業前を見たいだけナ!」
「はははっ、それは言わない約束だ!」
彼らの同行は本当に心強いわ。“樹塔の英雄”と言ったら、信仰の地である龍山開闢を目論んだ国ドレスデンの騎兵本隊三万騎を、たった百二十人の精鋭のみで退けた真の英雄だもの。現代の英雄譚そのものが彼らなの。
白金色の鎧に長剣を携え、準備は万端のようね。
「アシュリン殿をお連れいたした。何故か直ぐ道を外れようとするため、僭越ながら某が袋詰めにして担いで参った」
「アウー……こいつ言うこと聞かない……」
「う、うん、二人ともお疲れさま。ベルク師匠、変に目立つのは避けたいので、迷宮に入るまではそのままでお願いします」
「心得た」
大きな袋を抱えたガーモッド卿とアディーテも合流したわ。
袋が忙しなく動いて何か文句を言っているけれど、あれは気にしたらダメね。
これで必要以上に準備は整ったわ。
「あれ、親方は一緒じゃないんですね?」
「うむ、御仁は秘密兵器とやらの完成を急ぐそうだ」
「秘密兵器……そう言えばサトウさんが言っていたけど、同じような考えなら多分アレだろうな……出来るかどうかはともかく、素材は揃っているはず……」
「心当たりがあるの?」
「ま、まあね……はは……」
良かった、カイトは引き攣った笑みを浮かべているけれど、これはいつもの彼だわ。
私の大好……んんっ! だだ……たっ、頼りになるカイトだわっ!
いつだって目に入る全てを良くしようとしていて、どんな苦難に陥ろうとも立ち上がり、自分の信じた正義を貫くために只々正しく在ろうとする人。
高潔で誇り高い、私にとっては誰よりも大切で一番の英雄。
頼りになる……ううん、私の大好きな男性。
「リシィ、この先はきっと更に苦難が待っている。君を脅かそうとする存在がいるのなら、僕が必ず守るから、行こう」
そう言うと、カイトは手を差し伸べてきた。
今だけは……今くらいは素直になっても良いわよね。
そうして私は、彼が差し出している生身のままの左手を取った。
「ええ、頼りにしているわ。私の黒騎士、私の……最愛の人」
最後は口籠ってしまったから聞こえていないと思うけれど、今はこれで良いの。
終わってから、全てが終わってからちゃんと伝えるもの。
今は彼と、皆とともに迷宮を進むわ。