第十四話 リシィの覚悟 “奪われた竜角”
サクラが言う、親方の運営する墓守の研究開発工房からの帰りに、西日が赤く色づくまで買い物をした僕たちは、足を棒にして帰宅した。
「ふぅ~、昨日今日とこんなに歩いたのは久しぶりだ」
「ふふ、お疲れさまです。後でマッサージしますね」
至れり尽くせりか、ここはやはり異世界風スパリゾートなんじゃ……。
僕は荷物を降ろした後、何となくリビングにあるソファーに身体を沈めた。
……!?
…………!?!!?
ふぁーっ!? なにこれっ!?
身体を包み込む感触はとても柔らかく、それでもしっかりしっとりと支える弾力は全く圧迫感がなく、まるで雲の上を漂っているようだ。毛足の長い真っ白な生地は、一本一本の毛がビロードのような滑らかさで肌を優しく撫で上げ、極上の夢見心地を座る者に与えてくれる。
ダメだ、これは一度でも座ったら立てなくなる! 一種の生物兵器だ!
「なに……これ……」
「ふふっ、お気に召しましたか? それは、“ぽむぽむうさぎ”の毛皮で作られたソファーです」
「おお、それは是非撫で回したい」
名前の印象から、丸くて可愛らしいうさぎを連想する。
きっと、モフリストが生涯をかけて愛し続けるに違いない。
「えっ」
「えっ?」
……何だ。サクラが複雑な表情を浮かべ、真剣に考え始めた。
「……でしたら、衛士隊一個中隊は必要でしょうか……安全を考慮するなら、四方から小隊で囲んで……私が……必要……探索者の……旧式で良いので火砲を……」
怪獣か何かだろうか……。
―――
そうして完全に夜の帳が下りる頃、夢見心地で謎うさぎのソファーに沈んでいると、ほどなくしてリシィとテュルケが帰ってきた。
「ただいま帰ったわ」
「ただいまですです!」
「リシィ、テュルケ、お帰り」
「お二人ともお帰りなさい。直ぐに夕食にしますね」
リシィが白いコートを脱いでテュルケに渡した。
コートの下は黒のワンピースで、その上に鮮やかな青色で装飾の細やかな革鎧を装備している。足元は膝上まである革のロングブーツだ。
そう言えば、今日はまだリシィと顔を合わせていなかった。
昨晩は様子がおかしかったけど、今はどうだろうか。
僕が落ち着かなく様子を伺っていると、彼女はこちらに歩み寄ってきた。
隣に腰を下ろし、視線をしばらく泳がせてから真剣な表情でこちらを見る。
その様子に、僕は若干挙動不審になりながらも、何となく姿勢を正してリシィの言葉を待った。
「カイト、お願いがあるの」
「うん? 僕に出来ることなら」
「私に……戦い方を教えて欲しいの」
えっ……ど、どう言うことだろう……。本人は至って真剣な様子で、瞳の色は黄にほんの少しの赤が混じったグラデーションだ。初めて会った時ほどの鮮烈な色合いではないけど、明らかに強い輝きを放っている。
これは……輝くほどに強い感情が出ている……?
「……僕は、戦いの専門家ではないし、戦闘能力で言えばリシィやテュルケの方が圧倒的に強いよ? 一体何を教えろと?」
「ええ、そうかも知れないわ。それでも、砲兵との戦いで私たちは力不足を感じたの。カイトがいなければ、怪我を……下手をすれば死んでいたかも知れないの」
「だから戦い方を? あれだってたまたま型にはまっただけで、僕の力では……」
リシィの瞳の色が変わる。
太陽が落ちるように黄が沈み、赤と青の相反する色に。
彼女は、折れた角に巻かれた包帯を解いた。
「カイト、私はこの竜角を奪った者を追いかけて、このルテリアに来たの」
角の断面は既に塞がっていて、明らかに昨日今日で折れたものではなかった。
“角”と言えば、実在の動物でも、その種にとって特別なものであることが多い。
やはり、リシィにとっても……。
「私たち竜種にとって、“竜角”とは力の源であり誇りでもあるわ。だからその角を奪うのは、命を奪うに等しい。私は、何者にも負けないように強くなりたい! だから、お願い……助言で構わないから、私たちの戦い方を見て、気が付いたことがあったら教えて欲しいの……! お願い……カイト……!」
リシィのポーカーフェイスが崩れる。
目尻には涙が滲み、表情からは悲壮な覚悟が見て取れる。
昨日今日会ったばかりの僕に、頼らなければならないほどに分が悪い。これは恐らくそう言うことだ。
偶然にも、砲兵は容易く見えるほどに簡単に倒せてしまったけど、他で同じことが出来るかと言ったら、そんなことはないだろう。
どうしたものか……。
「あのあの……カイトさん、私からもお願いしますです!」
いつの間にか、テュルケがリシィの背後に立っていて頭を下げた。
彼女も涙を滲ませていて、心からリシィを思っていることが胸に沁みる。
「カイトさん、私も気になっていました。異世界の戦い方……いえ、知識でしょうか。それを、どうかご教授願えませんか?」
サクラまで……夕食の準備中にカウンターから出て来たせいか、胸元で包丁を握り締めたままだ。
「……うん、わかった。僕に大したことが出来るとは思えないけど、気が付いたことは伝える。それで良いかな?」
「本当に!? ありがとうカイト!!」
リシィはパアァッと擬音つきで、笑……わない!
ここは、是非とも満面の笑顔を見せて欲しかったけど、彼女は至って無表情に、それでも器用に喜色を現してくれた。
うーん……リシィが笑わないのは、やはり奪われた角が原因かな……。
―――
テンプゥーラ! スシゲイシャフジヤマハラショーッ!
ごめんなさい、天ぷらが出て来たので取り乱しました。
今、四人で囲んだ円卓の上には、サックサクに揚がった天ぷらが並んでいた。
天つゆに各種薬味完備で、それを食べたリシィは無表情でも一口ごとに『美味しいわ』を連呼、テュルケに至っては目を輝かせて無言で食べ続けている。
僕も一人暮らしの時は、油物の少ないコンビニ弁当を選びがちだったので、本当に久しぶりだ。
「美味しい。何だか、ここが異世界だとは思えないほどに美味しい」
「ふふ、ありがとうございます。その内、この世界の料理もお出ししますね」
心の中でサクラに手を合わせた。マジサクラ神。
「カイト、先ほどの話だけど……」
円卓の対面に座っていたリシィが、スプーンでマナー良く口に運んでいた味噌汁を置いて、話を切り出した。
「砲兵と戦った時のことを教えて欲しいわ」
横ではサクラが興味深げに僕を見て、まだ口に食べ物が残って頬を膨らませたテュルケがコクコクと頷いている。
まだ彼女たちの能力がわからないから、あまり具体的なことは言えないけど、ひとつだけあの時に思ったことはあった。
「そうだね、気になることは、二人の戦い方は“消耗が激しい”と言うことかな」
「ええ、全く光矢を当てられなくて焦っていたの。それで余計に……」
「勿論、それが悪いわけではないよ。こちらの手段を潰される前に、一気に畳みかけるのはひとつの戦術だ。通用する相手だったのなら、労働者のように苦労もしないで倒していただろうし」
「では、砲兵に関しては、それが通用しなかったと言うことですか?」
サクラが身を乗り出して聞いてきた。何か近い。
「うん、砲兵は恐らく、そもそも遠距離で戦う相手じゃないよね」
「はい、砲兵単独の場合は、脚を封じてしまえばそれほど強敵ではありませんから。近接武器で脚の付け根を狙うのが正攻法でしょうか」
「過信していたわ……」
「相性が悪かったのもある。リシィは“避弾経始”を知らなかっただけで、それさえ何とかすれば普通に倒せただろう?」
「ひだんけいし?」
この世界にも火砲があるし、相手は装甲を持つ墓守だ。既にあってもおかしくはない概念なんだけど、浸透していないのか何なのか、サクラも知らないようだ。
「簡単に説明すると、“傾斜装甲”と言う奴だね」
僕は棚から厚めの本を取り出し、定規も借りて説明を始める。
「装甲の特徴だけではないけど、物体の厚みと言うのは、その物体に垂直に当たった時に最も薄くなるんだ。それで、こんな風に少し角度がつくと厚みが増してしまう」
本の背に定規を当て、角度によって変わる厚みの比較を見せる。
でも、これは意味があるだろうか。見ていた限り、リシィの光矢の貫徹力は容易く防げるようなものでもなかったから。
砲兵の八本の脚が巧み過ぎて、装甲厚を気にしないで良いレベルで角度を微調整していて、後で見たら弾いたところでさえも抉れていたんだ。
「そんな話は聞いたこともなかったわ……」
「ですです、私も初めて知りましたです」
「私もです」
「まあリシィの場合は、貫徹力が足りなかったんじゃなくて、やはりあの脚が曲者過ぎたんだ」
「砲兵の脚……?」
「うん、こんな風に角度を更につけると、今度は表面を滑るようになってしまう。砲兵はその八本の脚を使って、巧みに胴体の角度を変えていた。だから、リシィの攻撃は殆どが弾かれていたんだ」
定規を本の表面に水平に近くなるまで倒し、大袈裟に滑らせた。
「そうだったのね……何にしても、脚をどうにかする手段もなかったわ。カイト、改めて、あの時は本当にありがとう」
「え……い、いや、こちらこそありがとう」
リシィの瞳の色は、いつの間にか緑と黄のグラデーションに変わっていた。
どこかすっきりしたような表情で、課題でも見つかったのか、何か頷いている。
それにしても、僕にはもうひとつ気がかりなことがあった。
リシィの光矢は明らかに物質ではなく、何らかのエネルギー体だ。
それは果たして物体の表面を滑るか?
良くあるゲームの中だと、実体弾とエネルギー弾では、防御するのに必要な性質も変わってくる。この世界でどうなのかはわからない。
憶測の域は出ないけど、墓守側にバリアのようなものがあることも、念頭に入れておかなければいけないのかも知れない。
……うん、僕自身がこの世界のことを、もっと良く知らないと駄目だな。今度サクラか親方に、墓守について学べるかを訪ねてみよう。
話は続く、いつの間にか夜は更けていった――。