第百三十話 イベント神の大盤振る舞い
ところで、この配置はどうにかならないのだろうか……。
今浸かっている湯船は大風呂で広いんだけど、その一角で僕を中心にリシィが右、サクラが左、テュルケが目の前とすっかり囲まれてしまっている。ノウェムなんか、こともあろうに僕の懐で寄りかかっているんだ。
「みんな……湯船は広いんだから、こんなに密集している必要はないと思うよ?」
「我はここが良いのであって、湯船の広さは関係ないぞ。それでなくとも主様は我と風呂に入ってくれぬ! 今ばかりは体を委ねてくれても良いではないか!」
「ノウェム、誤解を招きそうな言い方は……」
「カイトさんは、『これからは我慢しなくて良い』と仰ってくれました。ですから、私もお傍にいます! 離れません!」
「サクラ!? そう言う意味では……ぐ、そう言う意味か……」
「私がお嬢さまのお傍にいるのは当然ですですぷふゅーっ!」
「テュルケさんっ!? 今最後に吹き出したよね!?」
まあテュルケが楽しんでいる分には、僕も体を張るから良いんだけど……。
そんな吹き出している彼女を横目に、隣のリシィに視線を向けてみた。
隣というか……僕の背と浴槽の間に入り込みたいかのように身を縮こませ、口まで湯に沈んでしまっている。
「リシィ、恥ずかしいならせめてワンピースとかに着替えて……」
「なかったの! 何故かこの水着一着しかなかったの!」
「ええ……?」
テュルケを改めて見ると、あっ、目を逸らした。
ノウェムは下手な口笛を吹いて目を合わせようともせず、サクラは『何ですか?』と小首を傾げるので関係ないようだ。
犯人はテュルケとノウェム、珍しい共同作戦は何が目的なのか……。
とはいえ、水着の女性に囲まれるある意味天国ある意味地獄のこの状況で、何とか気を紛らわすことが出来た。
後は密着した状況を打開出来れば……。
「みんな、折角だから露天風呂にも行ってみないか?」
ここには寒いルテリアの外気を考慮してか、内部から湯の中を通って行ける露天風呂があり、これなら自然と皆も離れるだろう。我ながら名案だ。
「リシィ、そんな絶望的な表情をしなくても……。その、似合っていたし……」
「な、ななっ、貴方は直ぐそうやってっ、私の……私の……ううぅーっ、わかったわっ! 案内しなさいっ!」
何だろうか、リシィは一瞬この世の終わりのような表情を浮かべたと思ったら、一転して勝ち気な表情に変わり胸まで張って言いつけた。瞳は青から紫、紫から夕陽色にまで急激に変わる。
それにしても、まだ湯から出ていないとはいえ、薄布一枚で胸を張るのはあまりにも刺激が強い。僕が湯から出られなくなってしまうじゃないか……。
「それでは移動しましょうか」
「はいですです! うふふ~♪ 露天風呂は大好きですです~♪」
ガクガクガクガク……ダメだ、気が紛れたなんて嘘だ。
湯から立ち上がる爆弾娘二人が文字通りの爆裂ボディ過ぎて、僕の精神が爆殺されかけた。
「その点、ノウェムは安心するな……家族って感じがする……」
「ふぬっ!? その通りだ、我と主様は紛うことなく家族なのだから!」
何かニュアンスが違うけど、まあいいや……。
「リシィも、とりあえず行こう。無理なら上がっても良いから、僕も付き合うよ」
「え、ええ、大丈夫よ。私のことは気にしないで、カイトもくつろいで」
わかってはいたけど、連れ立って歩くと周囲の視線が痛いな……。
龍血の姫さまと爆弾娘が二人、パッと見の種族がわからない美少女が一人だ。
そして、彼女たちを侍らす来訪者とかどう考えても外聞がよろしくない。ベルク師匠にも声をかけたけど、鋼鉄の鎧を纏っているのと同じだから専用の洗い場までしか入れないらしい。
まあこのルテリアでは、もう右腕と右脚が甲冑の来訪者に絡む人はいなくなっている。その様相は、久坂 灰人=軍師=龍血の姫の騎士という認識がいつの間にか広まっていたからだ。
功績……か、嬉しい半面怖くもあるな……。
――むに
「ひぃっ!? リ、リシィ、その、当たって……」
「何? 黙って歩きなさい」
リシィは恐らく、自分の体を隠そうとしているのかも知れない。
僕の背を視線避けにして周囲を警戒している様子なので、不可抗力に色々と当たっていることにも気が付いていないんだ。
ここにも爆弾娘がいるなんて、主に僕をピンポイントで狙う誘導爆弾。むしろ、自分から射線上に立って行くに決まっているじゃないか……!
それにしても、気を付けないと足を取られるかも知れないな。
この温泉館の床は、天然感と高級感を出そうとしているのか、不揃いでザラザラした黒石だ。余所見をして歩くと微妙な段差に足を取られそうなんだ。
視界も見通せないほどじゃないけど、どこからか流れ込む外気が白い湯気を生み、若干視界を遮ってしまっている。
うーん……予想以上にここは危険な戦闘域なのかも知れないな、銭湯行きなだけに……僕の思考がもう危ない。
蒸気に満ちた館内は歩くだけでも体に水滴が纏わりつき、前を歩くサクラとノウェムとテュルケの肌を艶かしく照りつかせる。それでいて背後の柔らかい感触だから、僕の理性が今まさに風前の灯だ。
「きゃっ!?」
「おわっ!?」
……ほぎゃーっ!?
あばばばば……助けてくれイベント神ーっ!?
もう少し精神的に優しいイベントを選択してくれーっ!!
何ということだ……恐らくは背後でリシィがつまずいたんだ。
そして、押されてつんのめった僕まで床の段差に足を取られた。
結果、倒れた僕の背にリシィの肌が密着する形になってしまっている。
べ、別に文句が言いたいわけじゃない、ご褒美には違いないんだ!
だけどこの状況で男が立ち上がれると思うか!? 否、立ち上がれない!!
ああ、柔らかくて……吸い付くようで……まさかこれもテュルケの策謀じゃないだろうな……。
「お嬢さま、カイトさん、大丈夫ですです!?」
「え、ええ、カイト、ごめんなさいつまずいてしまったわ……」
「僕は大丈夫。リシィこそ怪我はないか?」
「大丈夫よ。その、カイトが下になってくれたから……」
「お嬢さま、起こしますですっ!」
「ありがとう」
……おや、テュルケさん、心配して駆け寄った割にはニヤけていませんか?
確信犯……!? 狙って出来る類じゃないけど、恐らくこの状況は彼女の思惑通りなんだ……テュルケ、恐ろしい娘!!
「カイトさん、お怪我はありませんか?」
「うん、僕は頑丈だから……あわっ!? 少しお腹を打ったくらいかな~? 直ぐ治るよ? 本当だよ?」
本当に心臓に悪い。
しゃがんで僕を助け起こそうとするサクラはあられもない姿なわけで、当然男にはクリティカルヒットするわけだ。
濡れて艶めかしい肢体は見たままにこぼれ落ちそうで、これ以上まじまじ見てしまうと色々収まりがつかなくなってしまう。
とりあえずは腹を打ったと体をくの字にして誤魔化したけど、おかしいな……何でかHPとMPがゴリゴリ減っていく……。
「そ、その、カイト、本当にごめんなさい。お腹は大丈夫……?」
「大丈夫、大丈夫、ほら、もう収まってきたよ!」
全然収まらないデス!
―――
「ふわあああっ、絶景ですですーっ!!」
「本当に……空気は冷たいけれど、この眺めが見られるのなら来た甲斐があるわね」
湖岸は崖に遮られて市街よりも一段低く、温泉館はその崖上に作られていた。
前にリシィと二人だけで訪れたレストランや慰霊碑も下に見え、この眺めの良さなら賑わっている理由も良くわかる。
視界いっぱいに広がるのは大断崖とどこまでも白く染まる湖、そして忙しなく行き交う船舶とルテリアを守る艦隊。幾重にもなる大気は景色を青白く霞ませ、まだ見ぬ森や山脈が地平の彼方にどこまでも続いている。
今は真冬、空の青と地の白はあまりにも清純で心が洗われてしまうほどだ。
リシィは言っていた、『いつか私の国に来て欲しい』と。
それでなくとも僕はこの世界を旅してみたい、オープンワールドゲームのように未知の道を行く、そんな胸躍る冒険をしてみたい。
フラグだろうと関係ない、“三位一体の偽神”の件が片づいたら、僕はリシィとともにこの世界を旅するんだ。
そうして、僕は傍らのリシィを見る。
白い肌は眩しく、濡れ輝く肢体は均整が取れてあまりにも美しい。
遠く景色を眺める瞳は、あまりにも美しいエメラルド。
これは……先程までの情欲に塗れた思考が恥ずかしく思えてしまうな……。
「リシィ、風邪を引くよ。立っていないで湯に入ろう」
「ええ、いつかカイトと一緒にこの景色の中で旅が出来たらと思ったら、思わず見惚れてしまったの」
「はは、僕も同じことを思っていた。絶対に叶えてみせるよ」
「んっ!? べっ、べべ別に期待なんかしていないんだからっ!」
「カイトさん、その時は私も一緒ですからね」
「我も当然、主様とどこまでも一緒だ」
「ですです! 私も忘れてもらっては困りますです!」
「そうだな、皆で旅も悪くない。僕たちは……」
「アウーーーーッ!」
言いかけたところで、露天風呂の縁からアディーテが顔を覗かせた。
「うわっ!? アディーテ、どこから!?」
一応アディーテも誘っていたので、ここにいるのは特に不思議じゃないけど、まさか崖側から来るとは思ってもいなかった。
「アウッ! カトー、見つけたー!」
「通信主を見つけたのか!? 良くやったアディーテ!」
「アウーッ! 褒められたーっ!」
予想よりは大分早いけど、これで僕たちは進める。
【重積層迷宮都市ラトレイア】、その謎を解き明かすんだ!