幕間十 姫さまのカレー
「あっ……船に乗られたわ……」
「姫さま、私たちもお船に乗りますです!」
「ダメよ! 湖の上だと隠れようがないわっ!」
「でもでも、サクラさんならもう気が付いてそうですぅ」
「う……」
うぅ……カイトにサクラと出かけるよう勧めたのは自分なのに、気になってつい後を追いかけてしまったわ……。
し、仕方ないの! カイトと一度離れ離れになって以来、彼が見えていないと落ちつかないんだもの!
ノウェムは、『妻たる者、主の留守に家を守るも役目。我はゆるりとしておるぞ。くふふ』なんて余裕たっぷりなんだもの、何か悔しいわ……!
ううぅ……私は余裕がないのかしら……。
そんなことを考えている間にも、カイトとサクラの乗った船は湖の沖に行ってしまって、流石にあれは追えないわ……。
「あれ、リシィちゃんとテュルケちゃんだ。ひっさしぶり~」
「きゃっ!?」
私は不意に声をかけられたせいで驚いてしまった。
声の主はルコ、いつの間にか私たちの背後にまで来ていたんだわ。
彼女は行政府の役人や探索者ギルド員が着るような礼服を着ていて、失ったはずの右腕もどうしてかあるわね……袖から見える手は機械かしら……?
「ルコ、久しぶりね。驚いたわ」
「ルコさん、お久しぶりですです!」
「二人とも帰ってたのは知ってたけど、この前行った時は会えなかったんだ」
「この前と言うと、サクラの……あの日かしら。それにしてもこんなところで奇遇ね」
「奇遇じゃないよ。ここ、私が通う学校だもん」
そう言ってルコが指を差したのは私たちが隠れている壁の向こう、いくつもの三階建ての棟が連なる大きな建物ね。ちょっとした貴族の館のようで、学校……教師との一対一が常日頃だった私が話を聞くたびに憧れていた場所だわ。
「ルコは学校に通っているのね、羨ましいわ。何を学んでいるの?」
「あは、今は手続きとか学期の丁度良い時期まで待機中だけど、この海士隊学校の敷地内にある医療学校で見学させてもらってるんだ」
「ふわぁ、ルコさんお医者さんになるですです!?」
「まだなれるって決まったわけじゃないよ~。カイくんが見せてくれた戦場でね、あの光景が忘れられなくて少しでもお手伝いがしたいな~なんて」
「……凄いわ、ルコ。私は臆病になるばかりだったのに、貴女は多くを失ってもまだ前に進もうとするのね」
「あうぅ、ルコさーんっ! 私、感動しましたですぅ!」
テュルケはルコに抱き着いて、彼女は嬉しそうに『あはは~』と笑っているわ。
「私ね、カイくんは私のことを“正義の味方”だーって言うけど、本当はカイくんに良いところを見せたかっただけなんだよ。そんなカイくんが私に進む道を見せてくれたから、私は改めて“正義の味方”を目指そうと思ったんだよ!」
「ええ、大したものだわ。ルコも、そしてカイトも」
「あはっ、私にとっても多分リシィちゃんにとっても、本物の“正義の味方”はカイくんなんだね」
「勿論っ、私もそう思いますですですっ!」
「あは~、やっぱりテュルケちゃん可愛い! お持ち帰りしたい!」
「ふああっ!? くすぐったいですぅ~!」
ルコはテュルケに頬擦りをし始めたわ……。
彼女の言いたいことは良くわかる、カイトは『僕は正義の味方にはなれない』と言うけれど、私……いえ、私たちにとっては彼自身が“正義”そのものだもの。
彼が正義じゃなかったとしら、他に一体何者が正しきをなすのかしら……。
「あっ、こんな時間! リシィちゃん、テュルケちゃん、私もう行くね!」
「え、ええ、引き止めてごめんなさい。また宿処に遊びに来て」
「ふえぇ、くすぐったかったですぅ。ルコさん、遊びに来てくださいですです!」
「あはっ、じゃあ今晩行くね~」
そう言うとルコは、手を振りながら学校の中に入って行った。
能力と一緒に多くの記憶も失っているはずなのに、あの前向きさはどこから来るのかしら……私がルコの立場だったら、彼女のように真っ直ぐ歩けるの……?
湖へ視線を向けると、既にカイトたちの乗った船は島に到着していた。
“湖塔ルテリア”と言ったわね。島にしか見えないけれど、そういえばカイトが以前行きたいと言っていたからサクラは連れて行ったんだわ。
それなら……私は……。
「テュルケ、夕食の献立は把握している?」
「はいです! 今晩は“カレェ”と言う地球の料理を作るので、レシピも教えてもらいましたです!」
「こうしてはいられないわ! 私たちは、今自分たちで出来ることを精一杯にやるの!」
「良くわかりませんが、わかりましたです! お供しますですです!」
そうよ、黒騎士の物語の中でも、いつだって姫は騎士の支えであったじゃない!
だったら私にだって出来ないことはない、カイトや皆の支えで在り続けるの!
ルコと再会したおかげでやる気が出て来たわ!
まずはサクラの負担を少しでも軽くして、カ、カイトにも私の作った料理を食べさせてあげる! 女の子らし……主らしいところを見せてあげるんだからっ!
―――
と、意気込んではみたものの、本来のカレェの味を知らなかったわね……。
「えーと……カレー?」
「ええ、あ、味を知らないからレシピ通りに作ったつもりだけれど、初めてで調合からは敷居が高かったかも知れないわ……」
「う、うん……この世界にはルーもないだろうから仕方ないね」
夜になって皆が帰って来る頃に、私とテュルケが作っていたカレェも完成した。
けれど、紫色の食べ物なんて初めて見たわ……これがカレェなのかしら……。
「あはっ、色が変だけど、匂いはカレーだね!」
「匂いはね……紫色のカレーは初めて見たけど」
あっ……違うみたい……。
サクラもノウェムも食卓を囲んでカレェを凝視したまま固まり、アディーテもいるけれど、いつも真っ先に飛びつく彼女まで微動だにしないわ……。
これは失敗したんじゃないかしら……。
「うん、折角リシィとテュルケが作ってくれたんだ。二人ともありがとう、頂くよ」
「え、ええ、料理は初めてだけれど、レシピ通りだから味は保証するわっ」
「ですです! 独自性を出そうとするのが失敗の元ですから、忠実にレシピを再現しましたですです!」
おかしいわね、サクラが首を振っているわ……この私たちが作ったカレェ、食べても大丈夫なのかしら……あっ、カイトが口をつけたわ!
……
…………
………………
どうなのかしら……カイトは固まっているわね……一生懸命作ったのだけれど……不味かったのかしら……やはり、私は……。
「あまーいっ!?!!?」
「えっ……えっ!?」
カイトが困惑の表情で叫んだ。お、美味しくなかったんだわ……。
「ご、ごめんなさい、カイト……わ、わた……」
「いや、でも美味しいよ。甘いのはビックリするけど、僕は甘口カレーも好きだったから、これはこれで美味しい」
「あはっ、ほんとだあま~い。でもちゃんとカレーだね~」
「驚きました、この色でしっかりカレーになるんですね……。何を使って色と甘味をつけたのでしょうか、不思議です……」
「うむむ……不気味な色をしておったから警戒したが、これはこれで悪くない。初めて食べる味だが、おかわりをしてやっても良いぞ」
「アウー! 辛いの苦手だけど、このカレーは食べられるー! アウーッ!」
「姫さま、やりましたです!」
「え、ええ良かったわ……私たちも食べましょう」
「いただきますです!」
私は白米に紫色のソースがかかった、“カレェ”と言う異世界の食べ物をこの時初めて口にした。
確かに見かけはあまり良くないけれど、カイトが美味しいと言ってくれたおかげでようやく緊張も解けたわ。
迷宮内で頑張って素直になったのに、機会が悪かったせいでまた少しギクシャクしてしまったけれど、やはり私は……彼が傍にいてくれると嬉しいの。
本当、素直になるのも大変なんだから、カイトの間の悪さもどうにかして欲しいわ!
つ、次こそは彼にしっかりと伝えてあげても良いんだからっ!
つっ、つつ次の機会があればねっ!
「美味しいけれど……甘過ぎたわね……」




