第百二十八話 姿なき観測者
僕は止められる前に開いた扉から体を滑り込ませて慌てた。
内部は足場がなかったため、咄嗟に扉の縁を掴んでぶら下がったんだ。
サクラが直ぐに覗き込んで何か言いたそうだけど、何となく大丈夫そうな理由を上手く言葉に出来ないから、多少は無理を通して進むしかない。
「カイトさん、手を」
「いや、大丈夫。良く見たら足場があるみたい」
内部は暗く、明かりは僕の右腕と青光の溝、それと下方にモニターのような長方形の明かりがいくつか並んでいるだけ。
僕の右腕は目立つけど、明かりを必要とする状況では本当に便利だ。
「よっ……うん、大丈夫。アディーテは上で待機、サクラは下りて来て」
「はい、今直ぐに行きます!」
「アウー、待ってるー!」
高さは扉から三メートルくらいで、足場というよりは固定された机のようなものの上に下り立った。当然、床が壁になっているから足を踏み外すと暗闇の底だ。
幅は机の高さ分しかないので……しまった、二人下りると……
「あっ」
「うわっ」
「あ……あの……ごめんなさい、慌てて下りたので……」
「いや、ごめん……僕こそ心配をかけて。大丈夫な確信はあったんだ」
飛び下りて来たサクラを咄嗟に抱き止めてしまった……。
宿処の鉢植えに咲く甘い花の香りが、発情期のあの甘過ぎる香りを想起させて、何とも言えない感情が胸に湧いてしまう。
壁沿いに横へずれることで何とか身を離した。
まずいな、意識し過ぎかも知れない……。
「ここには錆や腐食はないようですね……」
「ああ、厳重に隔離されていたのか、浸水した形跡もない……ちょっと待って」
僕は足場となっている机を伝って何段か下り、モニターのひとつを確認してみた。
「英語にも見えるけど、読めないな……。意味はわからないか……」
「カイトさん、そちらが点滅しています!」
「うん? あ、これか」
サクラが指を差しているモニターを見ると、確かに点滅しているアイコンがある。
これはタッチパネルか……汚れているだけで、途方もない時間が経過してもまだ動くなんて……神代の技術は地球の何世紀先にあるんだろうか……。
うーん、押して良いものか……いきなり巡洋艦が浮上したら浪漫だけど、見た感じの腐食から艦体強度は流石に劣化しているだろうな……。
迷っていても埒が明かない……覚悟しよう……。
――コチッ ブゥゥゥゥズズズズズズズズ……
「カイトさん!」
「大丈夫、捕まって!」
ひとっ飛びで下りて来たサクラを抱え、手近な手摺を掴んで体を固定した。
といっても、どこか遠くから伝わって来る小さな振動は、特に何かを崩すこともなくこうして掴まっている必要もなかった。
やがて、ほぼ暗闇だった空間に音もなく明かりが点いた。
「ここは……まさか、アルテリアの艦橋……!?」
驚いた、いやもう驚いたの一言では説明が出来ない。
夢で、神器の記録で見た機動強襲巡洋艦アルテリアの艦橋そのままだ。
そのままと言うか、この場所こそがそのものなんだ。
「あの……カイトさん……嬉しいのですが……私……」
「ん? おわーっ!? ごごごごめん、サクラ! 咄嗟のことで……」
「いえ、大丈夫です。ありがとうございます……」
ガクガク……サクラを思いきり抱き締めていた。
ここに誘った何者かは、僕に密着イベントをプレゼントしたかったわけじゃないだろう。だというのに、先程からどうにもサクラが近過ぎて不整脈になりそうだ。
サクラは僕から離れて一歩……いや半歩下がったけど、嬉しそうに頬を染めて俯いている。しかも僕の視線に気が付くと、『何ですか?』と微笑を浮かべながら小首を傾げるので、思わず胸キュンしてしまう。
“可愛いは正義”と言うけど、“可愛いは凶器”でもあるだろう、これ。
「カイトさん、この場所は一体何なのでしょうか……」
「もう話すけど、僕はここを神器が見せる夢の中で見たことがあるんだ」
「神器が見せる夢ですか……?」
「ああ、神器が記録する神龍の記憶と言うのが正しいかも知れない。ここはかつて神代で戦っていた“機動強襲巡洋艦アルテリア”の艦橋、僕が見た夢と何ら変わりないあの日のままだ」
「驚きました……この船も、神器の記録も……。あの、カイトさんはどこまでご存知なのですか?」
僕は少し悩んでしまった、どこまで話して良いものかと。
“神龍”はこの世界の人々にとって信仰の対象だ。サクラは日本に興味があるせいでその辺りは薄いみたいだけど、だからといってこの艦が神龍と戦い、尚且神龍の一人を乗せていたなんて衝撃が強過ぎるだろう。
話すには段階が必要かな……。
「ごめん、まだ自分でも情報を整理しきれていないんだ。神器の記録も断片的なものだから、知らないことのほうが多い」
「そうでしたか……わかりました。ですが、ご無理はなさらないで何でも相談してくださいね。私はいつでもカイトさんのお傍にいますから」
「うん、ありがとう。僕もそのつもりでいるから、頼る時は力を貸して欲しい」
「はい!」
「とりあえず、あまり触るのもまずいんだろうけど、ここに誘われた理由だけは見つけたい」
「はい、どういったものを探せばよろしいのでしょうか?」
「うーん……人がいるわけないし、やはり“情報”なのかな……」
僕たちはモニターのひとつひとつを確認し始めた。
といっても、文字は画素が乱れて内容が全くわからない。
ここはあの夢で見た日のままだ。
艦橋の窓こそ隔壁が閉まって外は見えないけど、僕たちが下り立った机の傍には艦長席があり、その斜め後ろにリヴィが座っていた席がある。
衝撃で吹き飛んだモニターに火災の後、あの日のまま時が止まっているんだ。
残された傷跡は、彼らが実際ここにいた証か……。
「カイトさん、こちらも点滅しています」
「どれ?」
サクラが見つけたのは、『リヴィくん』と呼んでいた女性の席にあるモニター。
恐らくは通信が入っている。出たくないけど、この場合は仕方がない。
「サクラ、周辺警戒を」
「はい」
――コチッ ジジジジジジ……
『ザ……ザー……ザザッ、接続確認。ザザッ、通信封鎖、想定外、ザッ、接触求ム、ザザザッ』
「何者だ……? 君は誰で、どこから通信している?」
『質問確認、返答、私ハ零式ザザッザー……』
「どうした!?」
間違いない、この通信の向こうにいるのは人じゃない。
流暢に喋ってはいるけど、その声音は明らかに電子音声だ。
僕の脳裏に過ぎるのは“忌人”、やはり接触して来たのは“鉄棺種を遣う者”か。
『ザー、接触求ム』
「どこにいるんだ? 所在を教えてくれ」
『ザ、ザー、水没、ザザー、光学観測不可、座標特定不可、ザー』
「そ、それは僕たちにはどうにも出来ないんだけど……」
『接触求ム、ザザー、信号微弱出力低下、ザーザー、自己保全ノ為休止状態ニ移行ザザー』
「待て! 僕に何の用だ!? 零式、答えろ!!」
――ブツッ
「切れた……」
「カ、カイトさん……今のは……」
「何だろうね……僕は忌人だと思うんだけど……」
サクラが不安そうに僕を見上げてくる。
僕も意味がわからない……どこかで水没して助けを求めていたのか?
アディーテに僕を連れて来いと頼んだのはこいつか? どうやって?
うーん……うーん……わからない。
まずは救助……いや、回収か……場所がな……。
「とりあえずは一度戻ろう、ここの調査は行政府に任せる。シュティーラさんに、必要な情報は隠さず伝えてもらえるよう口添えもしてもらう」
「はい、私からお伝えしておきますね」
「頼む」
―――
帰りの船上で、僕はまず鍵となりそうなアディーテに聞き取りをすることにした。
「アディーテ、僕を連れて来いとどこで聞いた?」
「アウー……運河!」
「どうやって伝えられたんだ?」
「アウー、音が聞こえた」
「どんな?」
「アウー」
……待って、まさか『アウー』ってイルカの反響定位みたいに、水中で意思疎通や周囲の状況を確認するためのものなのか!?
えっ!? アディーテならあり得る!?
「場所は、覚えていたりする……?」
「アウー! 覚えてるー!」
僕はアディーテに河底の調査依頼を出した。報酬は鳳翔でのご馳走だ。
流石に水中だと待つことしか出来ないけど、最近はアディーテに妙な信頼が芽生えてしまっているので、多分そう遠くないうちに見つけてくれるだろう。
休止状態になっているなら、まあ一、二週間は持つかな……。
「うん、あっさりと解決しそうだけど、今は待つことしか出来ない。サクラ、僕たちは予定通りに買い物して帰ろうか」
「はい、色々あって驚いていますが、今日は予定通りカレーにしますね」
「おおお、この世界に来て初めてのカレー……凄い楽しみだ」
「はい、誠心誠意腕を振るいます!」




