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第百二十六話 彼女が望んだもの

「サッ、サクラッ、待って!」



 僕の上で馬乗りのまま顔を近づけるサクラを押さえようとして、だけど逆に骨が軋むほど肩を押さえられ、身を捩ることも出来なくなってしまった。



「うぎ、ぎ……サク、ラ……!?」



 そうだ、神器の膂力をもってしても、彼女の腕力はそれを上回っていたんだ。

 下半身と肩を押さえられた僕に許されたのは、既に首を回すことだけ。


 これは、まずい……!



「あ、あ……あはぁ……カ、イ……」

「サクラッ、僕だ! カイトだ!」



 目がやばい。世界にまるで僕だけしかいないかのように、蕩けた視線で熱っぽく見詰めてくる。いや、ぽくじゃなくて本当に熱いんだ。

 サクラは『はぁはぁ』と吐息を漏らし、人の身からは不自然なほどの膨大な熱量で汗を滴らせ、僕の服に染みを作っている。


 な……なんだこれ……やたらと甘いだけの妙な香り、心の奥底を刺激するかのような……はっ、これはフェロモンか!?


 男をその気(・・・)にさせる香り、恐らくは多量の汗に含まれるフェロモンが、僕の意思とは裏腹に体を乗っ取っていたす(・・・)ためだけに作用する。


 くっ、このままじゃまずい! 誰か……リシィ……!!



「あは……うふふ……カイ……ト……」



 サクラがその豊満な体で僕に伸しかかってきた。


 既に着物は彼女の前腕に絡まっているだけで、露わになった双房が僕の胸の上ではち切れそうなほどに押し潰されている。激しく律動する心臓の鼓動は、密着し過ぎて最早どちらのものなのかもわからない。


 甘い女豹の色香に、僕は只々思考をかき乱されるばかり。

 サクラは蕩けた表情のままで、更に顔を寄せてくる。



「サササクラ、やめるんだ! こういうことは順序立てて違う! ま、まずは親御さんに挨拶から……ちがーう!! 正気に戻ってくれええええええんむぅっ!?」



 その瞬間、僕は思考が真っ白になった。


 サクラに口……というか、唇を塞がれたからだ。


 一瞬口腔に熱い吐息が流れ、間一髪で他の侵入を許す前に口を閉じた。

 嫌だったわけじゃないけど、男としての通すべき筋だけは死守する。


 それでも、僕は碌な抵抗もままならずに奪われてしまったんだ。



「んぐっ……んぐぐっ!!」



 僕は辛うじて肘を曲げ、肩を押さえるサクラの腕を掴んだものの、どうにか出来るわけでもない。それどころか、膝を立て脚の力で腰を浮かそうとしても、擦って逃げようとしても微動だにしない。一体どうなっているんだ……。


 “本能に侵された獣”の熱い口付けは終わらない。

 彼女の舌は僕の口をこじ開けようとし、だけど最終防衛線の“歯”だけは死守してそれ以上の侵入を阻み続ける。


 長い長い拘束されたままの口付けは、やがてこれ以上の侵入を諦めたのか、彼女のほうからあっさりと唇と体まで離れた。



「はぁ、はぁ……サク……ラ……?」



 諦め、というよりは満足か……。


 サクラは恍惚とした表情で、頬に両手を当てふるふると体を震わせている。

 彼女の露わになった太腿に挟まれた下半身の拘束が緩んでいるので、這って抜け出ようと試みたけど、それが許されないことはわかっている。

 僕とサクラは向き合っているため、行動の全てが監視されているんだ。


 身動ぐ僕を、彼女は意思の抜け落ちた瞳で見下ろした。



「あ、えーと……脚が痺れたな……と……」

「カイ……ト……さん?」


「……え、サクラ!? 自我を取り戻したのか!?」



 口付けだけで満足したのなら助かったけど、彼女は表情まで抜け落ちてどこか呆然とし、それ以上は何の反応も返してくれなかった。



「サ、サクラ……?」



 そしてサクラは倒れた。


 咄嗟に抱き止めたものの、触れた彼女の肌は水気が蒸発して乾き、あまりの熱さにまるで火に触れたかのように感じられる。



「サクラ!? サクラ!! 水!? どこかに水は!?」



 辺りを見回すも水場はない。


 サクラの真っ赤になった肌は立ち上る蒸気ですら熱く、今直ぐにでも冷やさないと組織崩壊を起こしてしまいそうなほどの危険な状態だ。


 ま、まずい……どうすれば……とりあえずここを出て……それから……。



「カイト!!」

「カイトくん!!」



 僕が戸惑っていると、廃工房の扉からリシィたちが入ってきた。

 そうか、あれだけ派手に天井を吹き飛ばしたら居所は直ぐにわかる。


 と、とりあえず考えるよりも行動しないと。



「みんな、水を! サクラを冷やさないと燃えそうだ!」



 僕の言葉に皆はそれぞれどこかに散り、残ったリシィとアディーテとセオリムさんだけが、墓守の残骸の間にいる僕たちの元に駆け寄って来た。


 そして、直ぐにアディーテがサクラの背に手を当てる。



「カイト、サクラはどうしたの?」

「わからない。体が熱過ぎる、焔血が流れるからとここまで熱くなるのか?」


「ふむ……アグニール高等焔獣種の力が、神脈炉で増幅されてしまったのかも知れないね。これほどの熱は私の経験の中でも初めてのものだ。アディーテ、処置は出来そうかい?」


「アウー、体の中から水がどんどんなくなってるー」

「や、やっぱり早く水を……!!」

「カイトくん、慌てなくとも大丈夫。今、皆を水の確保に行かせているから、それと雪の回収もね。今の時期、周囲の環境はこれ以上ないほどに最適だよ」


「あ……そ、そうか……ありがとうございます……」

「ははは、君の弱点は仲間の安否か。充分に気を付けたまえ」

「はい。それでなくとも、多くのことを今一度見詰め直さないとダメですね……」


「カイトくん、それで良いんだ。人を従える者とは形振り構わずに進む半面、どこかで自分や自身を取り巻く環境を見直す必要があるのだから」


「思い知りました。いえ、最近は思い知ってばかりです」

「ははは、なればこそだよ、カイトくん」



 そうして、しばらくするとノウェムたちが水と雪を抱えて戻って来た。


 サクラの体温を急激に下げ過ぎないよう、アディーテの能力を駆使して外と内から水分の補給を行う。

 高過ぎる体温は雪を一瞬で溶かし、体内の水分は直ぐ汗として流れ出てしまうけど、皆は根気強く水と雪を運び続けてくれた。


 それをどれくらい繰り返しただろうか、体温が触れてわかるほどに下がり始めたところで、エリッセさんが医者を連れて現れ事態は収束する。


 本来、地球人ならこんな高熱が出たら脳に障害が残ってしまう。

 彼女がアグニール高等焔獣種であることに一縷の望みを託し、僕たちは唐突に訪れた“獣種の発情期”という慌ただしい一日を終えた。




 ―――




「あ……しまった、寝てたのか……」



 宿処のサクラの部屋、静かに眠る彼女の布団の横で様子を見ているうちに、僕も眠ってしまったんだ。

 サクラの布団の上に突っ伏して変な姿勢だったせいか、首が若干痛い。

 仕方ない、ここは宿処で唯一の畳の部屋なのと、彼女の優しい匂いに包まれているからどうにも落ち着いてしまうんだ。


 そうして布団から頭を上げると、既にサクラは目を覚まし体を起こしていた。

 窓から見える月とランタンの明かりが、彼女を儚く消え入りそうに照らしている。



「サク……ラ……?」


「はい、カイトさん」



 サクラは目を合わせようともせずに、俯いて自分の手を見たまま答えた。

 浴衣はアケノさんが着せたことで、今はワンピースでも当然開けてもいない。



「ごめんなさい……傷つけてしまいました……」



 サクラがちらりと見たのは僕の左腕だ。

 浅く裂かれた腕は包帯を巻いているけど、長袖の下なので見えていない。


 ということは、暴走していた時も自我があったことになる。



「そうか、覚えているんだね」

「はい……」


「サクラ、僕にしてもらいたいことはない?」


「……え?」



 僕の言葉が予想外だったのか、サクラは顔を上げてようやく目が合った。


 初めて会った時から優しく僕を見詰めてくれていた瞳が、今はランタンの灯火を映して風に揺れる夜桜のように淡く煌めいている。


 涙が滲んで、濡れているんだ。



「サクラにはたくさんの我慢をさせた。だから、少し遅いかも知れないけど、これからは些細なことでも叶えていきたい。だから、教えてくれないか?」

「わ、私は……カイトさんに……あの……」


「上辺だけの付き合いは、どんなに親しくしていても少しのことで直ぐになくなってしまう。例えお互いを傷つけあったとしても、それでも一緒にいたいと願えるのなら、どんな傷もただの思い出にしかならないよ」


「あ……」



 サクラの相貌がふにゃりと崩れた。


 何を考えていたのか、どんな結論を出そうとしていたのか、僕は先手を打ってその全てを彼女が口にする前に止める。


 だって僕は……。



「僕は、サクラとこれからも一緒にいたいと思っている。だからこれは、今までのお礼とお詫び、そしてこれからの決意表明のようなものだ。遠慮なんて要らない、今サクラが僕にしてもらいたいことを教えて欲しい」



 サクラは再び俯いて、両手で顔を覆ってしまった。

 それでも絞り出すように、小さな声で僕の問いかけに答える。



「あ、あの……前みたいに……カイトさんに、頭を撫でてもらいたいです……」



 そうか……抱き締めるとか、口付けまで覚悟していたけど、やはり普段のサクラは奥ゆかし過ぎるな。ただ、そのささやかな願いは何よりも彼女らしい。


 “本能に侵された獣”、今は姿を隠したもう一人のサクラ。


 僕は彼女も受け入れる。



「はは、じゃあ朝まで撫で続けるくらいはしないとな」

「えっ、いえ、そこまでは……あのっ……カイト……さん……」



 この日の夜、僕はサクラが震えて止まらなくなるまで頭を撫で続けた。

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