第百二十三話 不器用だけど だからこそ
「お、カイっちとお姫さまナ! 正騎士の時以来ナ!」
「やあ、カイトくん久しぶりだね。殿下も、このような雪の降る中でもなお麗しく、再び拝謁に賜り光栄に存じます」
「セオリムさんとトゥーチャ……お二人とも、お久しぶりです」
「畏まらないで、また会えて嬉しいわ。エリッセが言っていたのは貴方たちのことだったのね」
日本料理屋『鳳翔』、中に入って真っ先に視界に飛び込んだのは、カウンター席に座るセオリムさんとトゥーチャだ。
彼は立ち上がって恭しく頭を下げ、その流麗な所作を見て僕は感嘆の想いが胸に芽生えてしまった。
それにしても、普通は従者の僕でなく王族から声をかけるべきなんだけど……この人たちは何者なんだろうか。リシィも特に気にした様子はない。
「カイトくんの背にいるお嬢さんはどなたかな? 紹介してもらっても良いかい?」
「我か? 我はノウェム、主様の妻ぞ。それのみが真実よ」
「それこそが真実じゃないよね……!?」
「兄様……」
エリッセさんがセオリムさんの隣に移動し、何やら説明している。
「そうか、貴女がエルトゥナンの! まさかここで二人の姫君に相見えるとは、何という僥倖。この巡り合わせに感謝を」
「今の我はただのノウェムだ、礼は要らぬ。そうだ、ノウェム クサカとでも覚えておけば良いぞ」
「ノウェムはちゃっかりしているね……」
「くふふ」
ノウェムも正騎士戦の時にいたけど、戦闘後は殆ど眠っていたせいで擦れ違っていたのかも知れない、初対面のようだ。
まあ、光翼を出さない限りは綺麗な女の子にしか見えないからな。
「こんな時間からお店は開いているんですか? 他にお客はいないようですが……」
と言うか店員もいない、鳳翔の店内は完全にセオリムさんとトゥーチャだけ。
時刻は朝七時を回ったところで、動きがあるのは厨房くらいなんだ。
「くしし! セオっちはこの建物を気に入ってナ、一部屋借りてるナ!」
「うん? 住んでいると言うことですか?」
「あくまで仮宿だが、この情緒ある佇まいはルテリアの中でも別格だと思わないかい?」
「それは……思います。僕はあくまで“懐かしい”ですが」
「はははっ、そうだった、カイトくんにとっては母国の光景だね」
鳳翔の建物は大きく、ユキコさんやゼンジさんの住居も兼ねているそうで、その一室を借りて寝泊まりしているんだろう。
そういえば、和室は馴染みがない人には深い趣を感じられるらしく、セオリムさんも自分たちの文化からはかけ離れた和の情緒を気に入ってくれたんだ。
「おう! カイトに嬢ちゃん、何だエリッセもいるのか! 今朝飯を作ってるからよ、皆一緒に腹一杯食ってけ!」
「あっはい、ご馳走になります!」
ゼンジさんが厨房から顔を覗かせ、僕は条件反射でお辞儀をしてしまった。
あの人はどこからどう見ても『こまけえこたあいいんだよ!』な人だから、急に人数が増えても全く気にした様子はない。
「兄様、皆様、ここでは何ですので座敷に移動しましょう」
「そうだね、折角の再会にカウンターでは味気ない。ゼンジには私から伝えておくよ」
――キュルルル……
その時、背後から小さなお腹の音が聞こえた。
僕の背では、ノウェムがぶら下がったままジタバタともがいている。
「うん、お腹空いたね。僕も空きっ腹だ」
「うぐぐ……そんな目で見ないでおくれ! 我を見ないでおくれー!」
「ははは、直ぐに何か出してもらえるようにも伝えよう」
―――
「アウー! もぐもぐまうまううまー! アウアウ!」
「ですです! テンプラソバァも美味しいですです!」
「くしし! ナポリタンも美味しいナ!」
座敷に移動し料理が運ばれた後は、主にテュルケとアディーテとトゥーチャの三人娘があっと言う間に皿を積み重ねてしまった。
何でアディーテまでいるのかはわからない。後から来たテュルケと一緒だったのでどこかで遭遇したのか、鳳翔でなくともサクラのご飯は美味しいからおこぼれに与りに来たのかも知れない。
僕は親子丼を注文し、空腹からやはりほどなく丼を空にしてしまった。
リシィとセオリムさんとエリッセさんはそれぞれが違う定食で、ノウェムだけが何故かお子さまランチだ。
いや、頼んだわけじゃなく、恐らくは子供だと思って勘違いしたゼンジさんが真っ先に持って来たんだ。しかもお子さまランチの意味を知らない皆からは、白鳥を模した陶器の器や綺麗に整えられたチキンライスに刺さるルテリアの旗を見て、芸術の一種だと勘違いで絶賛されてしまった。
そんなわけで、ノウェムは大満足でお子さまランチを食べ終え、今は聞き分けなく僕の膝を枕にして横になっている。
後でたっぷり逆流性食道炎について教えてあげよう。
「エリッセ、空腹も落ち着いたわ。そろそろ本題に入りたいのだけれど」
「そうですわね、兄様にも協力をお願いしたくここに参りましたの」
「私に? 何か問題が起きているのかい?」
「サクラが、“例のアレ”ですの」
「例の……? ああ、それは災難だったね。やはりカイトくんに?」
「カイトさんにですわね。サクラの好みそのものですもの、仕方ありませんわ」
セオリムさんとエリッセさんは微妙に言葉を濁しながら話しているけど、やはりこの世界でも言い難い類のものなんだ……。
「わかった。レッテたちの帰還は三日後で、今は私とトゥーチャしかいないが力になろう。カイトくん、心配は要らないよ」
「あの、セオリムさんのご協力はありがたいですが……サクラを力尽くで取り押さえる事態もありかねない、とも邪推出来ます……」
「カイトさん、その通りですわ。サクラが暴走した場合、下手な【鉄棺種】より恐ろしい存在となりますわね。最悪はルテリアが焦土となります、自覚してくださいませ」
「……っ!?」
獣種なら誰にでもある性の営みの問題と考えていたけど、これはルテリアの被害まで想定される事態なのか……!?
「え、えーと……街が物々しかったのは、このせいだったりしますか……?」
「それは違いますわ。街の物々しさは、“三位一体の偽神”に対する最高権限の防衛準備態勢が発令されたからですわ」
「えっ!?」
それも寝耳に水だ。
どうりで大門が閉鎖され、衛士隊が慌ただしくしているわけだ……。
「エ、エリッセ……具体的な解決方法が知りたいのだけれど……」
「リシィさん、こればかりは収まるのを待つしかありませんわ。サクラが相手に選んだカイトさんを防衛しながら、アグニール高等焔獣種と地球人類種の交配種である、ルテリアの最高戦力の一人を相手にしなければなりませんの」
「サクラはそれほどまでに強力な存在なの……?」
「神代由来種、そして神脈炉を持つ、桁外れですわね。幸いなことに、サクラは事前に【烙く深焔の鉄鎚】を封牢に入れましたから、最悪の事態は避けられそうですけれど、彼女は自分がこうなることを予見していましたの」
「手立ては本当にないんですか?」
「それは、わかりませんわ。あの娘は我慢強く大人びていますけれど、本当は甘えたいのかも知れませんわよ? カイトさんは、サクラの気持ちに応えてあげたことはありまして?」
おざなりにはしていないつもりだ、ただそれは“仲間”として……。不器用な僕は、サクラの気持ちを意識しつつもリシィに向けることしかしなかったんだ……。
視線を下に向けると、翠玉の瞳が静かに責めるよう僕を見上げている。
「応えていませんでした。僕はリシィの騎士だからと言い訳をして、仲間としてしか見ていなかった。それはノウェムも……ごめん」
「主様は生真面目だからな、我もサクラもそれを理解し主様に好意を寄せたのだ。獣種の特性がなければ、あの娘は生涯を主様の影として生きるつもりだったのやも知れぬ」
「僕は……」
「カイト、しっかり見なさい」
「えっ?」
「サクラのことも、ノウェムのことも、大切なら私を理由に目を逸らさないで。真に私の騎士でありたいのなら、何者にも真摯な態度で接しなさい。そ、その上で私を一番の主とするなら、そっ、それで貴方を許すわっ!」
「リシィ……」
何を言われようとも僕の気持ちは変わらず、やはりこんなリシィ一筋だ。
だけどここまで言われて、辛い想いを抱えさせた女の子を放っておくことは、騎士だとか人だとか倫理観がどうとか以前に男としてダメだ。
将来のことはわからないし、例えこれが僕のエゴだとしても、今はサクラにいつもの優しい微笑みを浮かべる彼女に戻って欲しい。
だから、僕はまずサクラに真正面から向き合う。
「わかった、僕は向き合います。サクラに、それにノウェムとも」
「ええ、それでこそ私の騎士たり得るわ」
「くふふ、約束だぞ主様」
「良し、それじゃ……」
「あの~、覚悟してるところ悪いんだけど~」
「うわっ!?」
本当に比喩じゃなく心臓が口から飛び出るかと思った。
またしても、背後からにょっきりとアケノさんが声をかけてきたからだ。
座敷の襖が開いた形跡はなく、どこから入って来たのかもわからない。
「ア、アケノさん、普通に入って来てください。驚きます」
「ごめんね~、でも緊急事態なのよ~」
アケノさんは両手を合わせながらヘコヘコと頭を下げている、まさか……。
「サクラに逃げられちゃった。てへぺろっ☆」