幕間八 終焉の灯火
時間を遡ること一日前、リシィが地下洞窟でまだ意識を失っていた頃、久坂 灰人もまた意識を失っていた。
「主様っ、主様あっ!! どっ、どうすればっ、血がこんなにっ!!」
「カイトさんを揺すらないでください! まずは出血を止めないと……焼きます」
サクラは覚悟を決め、それでも桜色の瞳には焦燥が滲む。
カイトは変異墓守の砲弾の爆発に巻き込まれ、王の間の崩落から仲間たちに救われはしたが、大きな建材の破片が脇腹に突き刺さってしまっていた。
ここには手術の心得を持つ者もそのための道具もない、もし救うことが出来るとすれば神力によって神器の加護を引き上げることだけ。
サクラはそれを理解し、破片を引き抜いた後で血が溢れ出して止まらない傷口を自らの炎熱で焼く。
ノウェムは涙してただ成り行きを見守り、テュルケは何か出来ないかとハンカチを地底湖の水で濡らす。アディーテに至っては自らの手をお椀に水を汲んで来るが、意識のない彼が飲めるはずもなかった。
彼を失わせまいと、誰もがただそれだけを願って行動する。
「血が……止まった……? これで主様は助かるのか!?」
「まだです。神脈炉と神器の力を引き上げて代謝を活性させないと、体が……」
「……っ!? 体が冷たい!? 嫌だっ、主様あーーーーんっ!!」
「ノウェムさん、落ち着いてください……。カイトさんを出来るだけ暖めてください、内部からは私が」
『落ち着いてください』――その言葉は自分自身に言い聞かせるためだとわかっていて、サクラは冷静を装いながら自分の掌を切り裂いた。
テレイーズ高等龍血種の龍血ほどではないが、アグニール高等焔獣種の彼女もまた神代起源種たる血を持つ。
単体で熱を発する“焔血”。それを焼いた傷口に塗り込み、カイトの口内にも無理やり含ませる。
「後は……」
サクラは上衣を開け、ノウェムとともにカイトに肌を重ねた。
肌と肌との密着はより神力の高循環となり、死を待つだけにまでなっている彼にしてみれば、この状態は生命維持の手助けに他ならない。
サクラの自らが発した熱によって汗に濡れる肌と、密着するカイトの肌との境界が青白く揺らめく。
それは本来、迷宮の中でしか見ることの叶わない高密度の神力が流れる証。
彼女は今まさに、自らの身命を賭して彼を救おうとしていた。
――――
「うっ……サク……ラ……?」
「主様ぁっ!! 良かった……良かった……あーーーーんっ!!」
「ノウェム……どうしたんだ……? ここは……どこ……?」
どれだけの時間が経過しただろうか。
滴る汗が地底湖に流れるほどになった時、ようやく彼は意識を取り戻した。
冷たかった体は温もりを取り戻し、死相が見えた表情にも血色が戻っている。
「はぁ……はぁ……カイトさん、良かっ……た……」
サクラは気力が尽きてそのままカイトの上に倒れ込み、少しずつ意識がはっきりとしてきた彼はその柔らかな感触に慌ててしまう。
「えっ……サク……サクラッ!? なななんで裸なんだ!?」
「あっ、ごめんなさい……神力を循環させるために、こうして無理やり肌を合わせていました。本当にごめんなさい」
「え、いや、この傷……火傷? そうか、爆発に巻き込まれて……治療をしてくれていたのか……。サクラ、謝らないで欲しい。ありがとう、助かった」
「……はい、本当に……本当に……良かったです。うっ、無事で……」
「僕こそごめん。ノウェムも、テュルケにもアディーテにも心配かけた」
「うくっ、良かったですぅ。カイトさんがいなくなったら姫さまが……」
「アウウー! カトー、元気出た? おにく食べる? 水飲む?」
涙を滲ませるサクラの頭を軽く抱き、泣きじゃくるノウェムの頭を撫でながら、意識を取り戻したばかりのカイトは直ぐに状況の整理を始めた。
霞がかった思考は上手く回らず、それでもひとつ大切なことに気が付く。
「リシィ……リシィは!? ベルク師匠もいない!?」
カイトの胸の内で、サクラが視線だけを上げて答えた。
「王の間が崩壊する際に、お二人とは別々になってしまいました。ベルクさんがリシィさんを庇っているのを見ましたから、お二人は一緒だと判断します」
「王の間……崩壊……僕が判断を間違えたから……」
「違います。あの未知の砲弾に対し、私たちでは対処法を見出す術はありませんでした。結局、遅かれ早かれ変異墓守によって王の間は崩壊していたんです」
「……うん、ありがとう。ここは悔やむ前にリシィとベルク師匠をまず探さないと、うだうだと考えるのは後だ」
カイトは体をふらつかせ、サクラに支えられながら立ち上がった。
血に濡れたままの上着を羽織り、一見すると静かな地底湖を訝しげに睨む。
「いるな……。サクラ、あれは何だ? 墓守じゃないみたいだけど」
「はい、水棲の魔物“デュープリオ”です。水面と同化して人を襲うために殆ど見えないはずなのですが……カイトさんには見えるのですか?」
「ああ、神器の恩恵のおかげか、僕の目にはしっかりと見えている」
「アディーテ、捻ってやれ。今夜は焼き魚としよう」
「アウー! さかな! おっさっかっなっ!」
カイトの指示で、アディーテが地底湖に手を入れると途端に水面が巨大な渦を巻き、その下に隠れ潜んでいたものを一匹残らず引き裂いてしまった。
「アディーテ……あれじゃ食べられないよ……」
「アウアーッ!? おさかなーっ!?」
だが、魔物をどうにかすれば進めるほど彼の怪我は軽くない。
それでも進もうとしてよろけたカイトを、身形を整えたサクラが支えた。
「カイトさん、まだ無理です。代謝は活性しているはずですが、失った血が戻るには相応の時間が必要です。お願いですから、少し休んでから移動しましょう」
「そ、そうだよな……ごめん、自分のことばかりで。リシィが心配で……」
「大丈夫ですです! 姫さまはお強いですし、ベルクさんも一緒ですです!」
そう言うテュルケの表情からは不安の色が滲み、今にも泣き出しそうな気持ちを隠せていない。大好きな主と危険な場所で離れ離れになる、それはカイト以上にどうしようもなく不安で堪らないのだ。
それでも大丈夫だと言う彼女に、彼は返す言葉もなかった。
「わかった、サクラも消耗しているよな……。まずは時間を決めて休もう。体力の回復を優先して、その後はリシィとベルク師匠との合流と、周辺の魔物の殲滅を目標とする。負担をかける」
「ふぇ? 何で魔物を殲滅するです?」
「ひょっとしたら、リシィたちがここを通るかも知れない。その時に少しでも楽になるようにだよ。それならテュルケも安心だろう?」
「ふえぇ……カイトさーん!」
テュルケが勢い良くカイトの胸に飛び込んだ。
抑えていた感情を堪えられなくなったのか、示された行動指針に安心したのか、ついに彼女は泣き出してしまった。
「ぐす……主様はこんな小さな娘も誑かすつもりか」
「誑かすとは人聞きの悪い。それを言ったらノウェムだって充分に小さいよ」
「ぐぬぬ……我は心の内だけは誰よりも大人なのだ! 一緒にされては困る!」
「ソウカナー?」
「ふふ、そう言うことでしたら、携帯食料しかありませんがまずは食事にしましょう。身体活性の影響でお腹が空いてはいませんか?」
「確かに……だけど、エネボウは味が濃いんだよなあ……」
「アウー? 美味しいよ?」
「アディーテは何でも美味しいから……」
かくして、久坂 灰人は重傷を負ってもなお、仲間たちの助けで痛む体を引き摺り進み始めた。
その過程で彼は気が付く、右腕の青炎が自分の意思で武具を形作ることに。
サクラの焔血の影響か、それともルコに青光の雫を託された時から既にあったものか、リシィに対する想いは今まさに“青き槍”と成って顕現する。
“神”ならぬ“人”が成したもの、“人器”。
彼の優しさと正しき道を歩もうとする心意気が成したもの、“仁器”。
今ここより世界は覆り始める。
【虚空薬室】に終焉の火が灯った。