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第百十八話 蒼衣 嘆きを飲み込む“死の虚”

「溟海を統べし者――」



 リシィの神唱に、八岐大蛇が全ての首をもたげ反応する。


 ノウェムは両手を大きく広げて本当の姉を護るかのように立ち塞がり、僕もまた決して通さない気構えを持ち最前で青槍を構える。



「四海天下に死する者――」



 八岐大蛇はなおも続く神唱を阻止しようと首を伸ばし始めた。


 サクラが、テュルケが、ベルク師匠が、アディーテが、そしてベンガードとティチリカも龍頭の行く手を阻む。


 断たれては再生し、突かれても再生し、焼かれてもまた再生し続ける。



「幽冥に潜む者――」



 龍頭の一本が包囲を破って迫るけど、ここだけは通さない。


 僕は青炎の槍を八岐大蛇の大きく開いた口の中に突き入れ、右腕ごと丸飲みにした龍の牙が脇腹を抉ろうと勢いづく。


 なら燃やす、跡形もなく灰となれ!



「白金龍の血の砌 打ちて 焼きて また打たん――」



 青炎が龍頭を燃やすと同時に、右腕の肩口から濃い蒼色の薄絹が広がる。

 透けるほどの薄絹を通して向こうに幻視するのは、蒼衣を纏って自らの体まで裂くかのような巨大なアギトを持つ存在。


 “蒼淵の虚皇 神龍ザナルオン”


 僕はこの龍を知っている……神代の夢で一度見ている。

 艦隊を丸飲みにした、あの巨大なアギトを持つ龍だ。


 やはり、戦っていたのは神龍か……。



「万界に仇する祖神 蒼衣を以て失せ 葬神三衣――」



 ――ドサッ



 え……?


 突然目の前が青い花で埋まった、視界の端には地面が見える。


 何が……酷く気持ち悪い……心まで冥く閉ざしてしまうかのように、悪寒と虚無が内から滲み出て体の自由を奪っている。憎悪と悲哀……この感情は何だ……?


 倒れた……? 蒼衣の力……? 僕にまで影響が……?


 助け……何も……見え……ない……。



「――近づけさせないで!! どうして!? カイトッ!!」



 リシィの声が聞こえる……だけど冥い、何も感じられない……。

 僕がいるのは、全ての感覚が隔絶された輪郭のない世界、“死の虚”だ。


 ここには何もない……僕が“黒”で……黒は“死”……。



「リシィさん、龍血です! 神龍の、テレイーズの加護をカイトさんに!」



 サクラの声……龍血……加護……足りない……“死”に飲まれる……。



「ダメ、飲んでくれない……どうすれば良いの……」


「……カイトさんに……貴女が直接飲ませるんです!」



 意識が途絶えかけたその時、虚無の世界を目映い金光が照らした。

 唇が何かに触れて感覚が戻り、次第に“自分”の輪郭を取り戻し始める。


 そうして目を開けると、口から血をこぼすリシィの顔が間近にあった。



「僕は……」

「カイト、良かった……本当に良かった……」

「何が……どうなったんだ……」

「恐らくは神器の影響です。リシィさんの龍血を使い、加護を高めることに成功しました。カイトさん、もう大丈夫です」



 倒れた僕の目と鼻の先にいるリシィとは違い、サクラは立って鉄鎚を構えたまま状況を説明してくれている。

 その向こうでは、八岐大蛇を近づけまいと体を張るベルク師匠たち。



「まずい、寝転がっている場合じゃ……!」



 僕はリシィに支えられて立ち上がる。


 右肩から全身を包むように揺らめくのは、定形を持たない蒼い薄絹。

 これがザナルオンの神器……“死の虚”を体内に持つ巨大なアギトの神龍、その衣で作られた蒼衣“クロウマセリオン”。


 蒼衣の力に当てられ、僕は死にかけたのか……。リシィが躊躇するわけだ、生も死も内包する神器の力……これでは本当に世界を滅ぼすことも出来てしまう。



「リシィ、終わらせよう。君が恐れるこの力は、僕が正しく使ってみせる」

「カイト……うん、貴方に任せるわ」



 僕は今一度、そして最後にするため八岐大蛇に対峙する。



「サクラ、皆の指揮を頼む。一斉攻撃で奴をもう一度丸裸にして欲しい。後は、僕が一撃で仕留める」


「はい、お任せください。その隙を必ず作ってみせます」



 この蒼衣は、皆にも迂闊に近づくことは出来ない。

 僕が身をもって体験したように、触れてしまえば“死の虚”に飲まれる。


 本来は、龍血の加護があるリシィしか触れることの出来ない危険な代物だ。

 どうやってその加護を高めたのか、今は僕も触れていて大丈夫だけど、やはり吸い込まれてしまうような異常な恐怖と冷たさを感じる。


 サクラが接敵しながら炎を爆ぜさせ、首のひとつが吹き飛んだ。

 神器が顕現した今、八岐大蛇はリシィを殺すことを諦めたのか守勢に回り、それでも余程憎いのかリシィと神器を赤い眼球で睨みつけている。



「リシィ、大丈夫だ。不甲斐ない僕だけど、君を傷つけてばかりの僕だけど、もうこれ以上はやらせないから」

「ええ、それは私も同じよ……。カイトにばかり大変なことを押しつけて、本当は私に関わらなければ平穏でいられたはずなのに……ごめんなさい。それでも、私の傍にいて欲しいの」

「ああ、当然だ。従者として騎士として、ずっと君の傍に」


「そう言うことじゃ……」



 最後にリシィが何か言ったようだけど、爆音が彼女の言葉を遮った。


 爆炎と紫電が八岐大蛇を花園ごと薙ぎ払い、既に何本目だろうか、再び全ての首が断たれて四本の脚をもぎとることにも成功する。

 傷口が再生を始めるも、限界が近いのか既に勢いはない。


 僕はリシィを抱きかかえ、舞い上がる花弁とともに跳躍する。

 神器の加護の限りを尽くした高い跳躍の落下先は、当然八岐大蛇だ。



「リシィ!」

「ええ!」



 八岐大蛇が最後の再生力を振り絞り、巨大なアギトを作り出した。

 それは皮肉なことにザナルオンのアギトに似ている。だけど蒼龍の口腔が内在する“死の虚”は、その程度じゃ決して覆りはしない。


 人一人で振るうにはあまりにもおぞましい“死”の力、リシィとなら……!



「「虚に飲まれろ! 【蒼淵の虚皇(クロウマセリオン)】!!」」



 蒼衣が翻り、その内の“死の虚”が巨大なアギトを覗かせる。


 落下する勢いに任せたアギト対アギト。だけど結果は見えている、蒼衣は八岐大蛇を包むほどに広がり、花園に下りる時には相手の全てを覆い隠してしまった。


 蒼衣の内では、有機物も無機物も区別なく等しく終焉が訪れる。

 驚異的な再生能力を持つ八岐大蛇も、直接的な“死”の前には無力。

 虚に飲まれ、再生することもままならずに、ただ……“死ぬ”。


 【神魔の禍つ器】……僕は今一度その意味を心の内で噛み締めた。



「終わった……の?」

「ああ、終わった。リシィが無事で良かった……」

「ん……う、うん、あの……離してもらえるかしら?」

「あっ、ごごめん。抱えたままだった」



 僕は彼女の細い腰に当てていた手を離した。


 はずだけど……あれ、手を離しても体が離れない。

 離れようとひょいと後ろに下がると、リシィもひょいと前に出る。

 くっついてるのかと思って手を伸ばすと、今度は何故か叩かれた。



「痛い!? な、なに!?」

「んっ!? ななな何でもないわっ!!」



 今度こそリシィは僕から離れた、何かが引っかかっていたのか。

 彼女はツンとした視線で見上げて来るけど、どこか名残惜しそうにも見える。



「うん? リシィ、また腕を貸そ……」

「ぐぬぬ! 我を差し置いて仲睦まじそうにしおってからに!」

「痛い!? ノウェム、首が折れる……!!」


「アウー、まずそうなおにくがもっとまずそうになってるー」

「カカッ! アディーテ殿、それは流石に腹を壊すかも知れん」

「アウー……ダメー? アウゥー……」


「ハッ、くダラん。最初カラ小娘の神器を使っておけバ良いものを」

「ノン~、ティの可愛い尻尾がべとべとになってるノン~……何でなノン!」


「カイトさん、リシィさん、終わりましたね」

「ああ、終わった。今回は本当に大変だった……」

「みんな泥だらけですぅ~。姫さま、野営地に戻ったらお洗濯しますですっ!」

「ええ、ありがとうテュルケ」



 戦の終わりはいつだって呆気ない。

 本当に終わったのかと、何度も自問自答する。


 そして、それはいつも決まって……。



 ――ドッ!!



「姫君!!」



 突然、地面の下から“肉”の塊が飛び出して来た。

 終わったと思った誰もが虚を突かれ、唯一反応したのはベルク師匠だ。

 リシィの前に立ち塞がり、大きく広がったアギトに対し自らを盾にしようとする。



「カッ、カイト殿……?」

「想定済みです、ベルク師匠」



 ベルク師匠の眼前で、僕は“死の虚”を使って止めた。

 僕はこうなることを想定して、蒼衣を顕現したままだったんだ。


 誰も死なせない、その覚悟がどんな最悪だろうと僕に予見をもたらす。



「これが中枢か……」



 最後に残ったもの、それは人の頭ほどもある“鱗”だった。


 そして日が昇る。紫色の朝焼けが、空に舞う花弁を優しく照らしていた。

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