第十三話 日本コミュニティ長 “親方”
一通りの説明の後、僕たちは湖岸からレンガ造りの地下道に入っていた。
内部は湖から吹き込んでくる風が冷たく、奥に進むほど気温が下がっていく。
そんな気温の低さから無意識に肌を擦っていると、僕の様子に気が付いたサクラが身を寄せて来てくれた。
「カイトさん、大丈夫ですか? もう少し周囲を暖めますね」
「え……ああ、“炎熱”の固有能力で、大気に干渉が出来るのか」
「はい、湖岸はより気温が低いので、お傍にいますね」
「おお、暖かくなってきた……」
そもそもが、作務衣だけで外に出る気候ではなかったんだけど、宿処を出た時からほんのり暖かかったんだ。寄り添うサクラの気遣いか、少しの寒さを感じられる絶妙な暖かさが、彼女から伝わってくる。
「サクラ、ありがとう」
「はい♪」
そうして薄暗い地下道を進むと、直ぐに大きく開けた場所に出た。
天井や壁、至るところに備え付けられた電灯が燦々と明るく、工場のような格納庫のような無骨な印象の建物内には、そこかしこに分解された墓守が並んでいる。
周囲にはツールエプロンを下げた人たちが、工具を手に何やら作業をしているので、回収された墓守の行き先がここなのかも知れない
「あ、親方さん。今よろしいですか?」
「ん? サクラか、久しぶりだな。今日はどうしたんだ」
サクラが声をかけたのは、伸ばした灰色の髪を後ろで結わっていて、口髭が何とも渋い高年のナイスガイだ。
冗談みたいに大きな横一文字の傷跡が額に走り、『歴戦の武人』と言っても差し障りのない風貌と、発した日本語から“侍”を思わせる。
「はい、昨日保護さればかりの方をお連れしました。カイトさん、こちらが日本コミュニティの長で、日本人の親方さんです」
「あ、始めまして、久坂 灰人と言います。よろしくお願いします、親方さん」
「サクラ、『親方さん』て紹介の仕方はどうなんだ? 先方も親方になっちまったじゃないか」
「あ、ああ、ごめんなさい! いつもの癖で……」
「まあ良い、クサカか。俺は兵藤 勝衛。ご覧の通り、ここでは『親方』と呼ばれてる。よろしく頼む」
そう言って、差し出された親方の手を僕は握り返した。
油が染み込みゴツゴツとした手は、その全身が纏った只者ではない雰囲気と共に、僕に畏敬の念を抱かせる。年の差もあるのだろう、恐らくは祖父と近い年齢だ。
僕よりも前にこの世界に訪れ、これまで生き抜いて来た経験と気迫が、圧倒的な凄みとなって伸しかかってくる。
だからこその、日本コミュニティの長なんだ……。
「ここに連れて来たってことは職探しか、少し待ってろ」
親方は、ツールエプロンに吊るされた大量の工具を鳴らし、扉から奥へ消えて行ってしまった。
「……ん? 職?」
「あ……今はまだ、ご案内だけのつもりだったのですが、来訪者の方には最初に職業体験をしていただくことになっていて、それを早合点してしまったようですね」
「あー、まあそう言うのは早いに越したことはないから、僕としても助かる」
「はい、それもそうですね。ですが、来訪者の方の権利は必要以上に保障されているので、働かなくとも生活に困ることはないんですよ。私がお世話しますので!」
何でヒモを推奨されているのかは良くわからないけど、僕としてはダメです。
「いや、お世話になるばかりはダメだよ。僕にも何かやらせて欲しい」
この世界で、僕に何がやれるのかはわからない。
幼い頃に憧れた“冒険家”や“考古学者”、この世界では“探索者”か、迷宮探索は勿論興味がある。だけど、迷い込んで早々に追いかけられた墓守の存在を考えると、それは無謀で儚い夢だとも思えるんだ。
だからまずは、色々なことをもっと良く知らないと、何も出来ないだろう。
「そうですか……それは、残念です」
サクラは本当に残念そうに、犬耳と尻尾をふんにゃりさせている。
ケモミミ大正メイドさんのヒモとか、夢のまた夢で魅力的な提案ではあるけど、それは力尽くで辞退させて欲しい。
本音を言うなら、リシィやサクラの前で格好付けたいと言うのもある。折角異世界に来たんだから、ここでしか出来ないことを望んでも良いよな……。
そんなことを考えていると、しばらくして親方が紙の束を持って戻ってきた。
「ほら名簿だ。まずはこの世界の言語を勉強するだろう? だから、ある程度は日本語でも通じるところを見繕ってある。気になるところがあったらまず俺に言ってくれ、話を通しておく」
「わかりました、ありがとうございます」
日本語を話せるこの世界の人がいるのかな……と思ったけど、サクラを見て愚問だったことに気が付いた。そうか、いるのか。
「他に相談があったら俺が受ける。同じ日本人同士、気軽に来てくれ」
「はい、その時はよろしくお願いします」
失礼な言い方だけど、見かけによらず良い人だ。
『親方』と呼ばれる所以かな、とても頼りになる。
「ところでクサカ。お前さん、何か持ち込んだものはないか?」
「持ち込んだもの……?」
「ああ、地球から持ち込んだものだ。今のこの世界にとってオーバーテクノロジーとなるものが、来訪者によって度々持ち込まれる。その辺だ」
思い当たるものはひとつしかない。
僕はポケットからスマートフォンを取り出した。
「何だこりゃあ」
「スマートフォンと言って、最新の携帯電話です」
「話には聞いてたが、こいつがそうか。ふむ……画面をなぞるだけで操作出来るとは、妙なもんだな……」
親方は、今まで見たこともないと言う、スマートフォンをしきりに弄っている。
隣ではサクラが、ソワソワと落ち着きなく覗き込んでいるけど、桜の木の写真をもう一度見たいんだろう、間違いない。
「クサカ、こいつを借り受けて良いか? 下手したら壊すこともあるが、俺たちは来訪者が持ち込んだ物品の技術を解析し、どうにかこの世界に反映出来ないかってこともやってる。携帯電話ならそれなりの数があるが、このスマートフォンて奴は、うちに初めて持ち込まれた。解析出来たら、その恩恵は計り知れないやも知れん」
「それは構いません。だけど、ひとつ条件があります」
「何だ?」
「その中に入っている写真を外部に記録、もしくは印刷物として出力してもらいたいです。それが可能なら差し上げます」
直ぐにサクラは僕の言わんとしたことに気が付き、こちらに視線を向けた。眉根を寄せ、今にも泣き出しそうで、何かを言おうとしている。
そんな彼女の様子に親方も察したのか、一度スマートフォンに視線を落とした後、再び真摯な眼差しで僕を見た。
「そう言うことか、それならお安い御用だ。記録ってのは情報でな、実際に他の何よりも重要なものだ。条件に出されずとも大切に扱う」
「ありがとうございます」
「ああ、こっちとしても助かる。こんな端子の形状は初めて見たが……サクラ、この十年ほどで一番多く来訪者が保護されてるのは英語圏だったか?」
「……あ、はい。二ヶ月ほど前に保護された方も、英語圏から訪れたと聞きました。確か、アメリカからの少女だったと思います」
「ふむ、なら英語コミュニティの倉庫を探せばあるかもな。最悪は深層行きの探索者に頼むしかない。そうなってくると、年単位はかかっちまうが」
「あの……深層行きの探索者に頼むとは、どう言うことですか?」
「クサカ、転移してくるのが人間だけだと思うか?」
「え……あっ、そうか。ひょっとして、船ごと、飛行機ごとも?」
「ああ、そうだ。迷宮深層には巨大な空間の亀裂があるらしくてな、今も貨物船や航空機がいくつも残った界層がある。深層だけに大規模な回収隊も送れず、その多くが未だ手付かずだ」
なるほど……“入口が開き易い地域”があると言う推測は、あながち的を外したものでもないのかも知れない。
例えば、有名な“バミューダトライアングル”、あそこでは多くの船舶や航空機がその行方をくらましている。全部が全部ではないにしても、その一部がこの世界に来ていてもおかしくはない。
「クサカ、この中に入ってる記録は全て大切に扱い、恒久的な保存と印刷物とすること、これを約束する」
そう言う親方の目はとても静かな湖面を思わせ、だけどその内は熱く滾る信頼出来る男の目をしている。彼を信頼せずして、他に何を信頼するのか。
それに、サクラがいつでも、いつまでも桜の写真を見られるのは、何より願ってもないことだ。いずれバッテリーが切れてしまうことを考えると、スマートフォンに頼らず見られるようにして欲しい。
なら僕に迷うことなんてなかった。
「はい、お願いします」