第百十三話 過ぎし日の想いは階段の彼方に
僕たちの登る階段は二車線ほどの幅で、左右の壁には青光の溝が真っ直ぐに伸び、天井は見上げたところで暗闇に隠されて見えない。どれほどに高いのか。
階段の行き着く先も見えないけど、この光景はどこかで……。
「そうか、この階段はルテリアに初めて訪れた時のことを思い出すんだ」
「ふふ、そうですね。まだほんの少し前のことなのに、随分と昔のようにも思えます」
「姫さまと私がカイトさんに出会った日ですです! あの時のカイトさんはヒィヒィ言ってましたです!」
「良く覚えているわ。きょ、今日は逆に私が支えられているわね。貸しは返してもらったわよ」
おや、リシィは調子が戻ってきたかな?
「ぐぬぬ……我の知らぬ主様、ずるいぞ! ずーるーいーぞー!」
「それは流石にどうしようもない。まだノウェムとは出会っていなかったんだから」
「うあーん! 我ももっと主様との思い出が欲しい!」
「今たくさん作っている最中だよ?」
「……そうであった」
『今泣いた烏がもう笑う』とはこのことか。
ノウェムは一瞬泣いて直ぐ笑顔になった。擬音で表すと“にぱー”だ。
「カイト殿がルテリアに来られた日か……。それは如何な金剛不壊の志もって一段一段を踏み締めたことであろうか……」
「いえ、流されていただけですよ?」
「何とっ!? ゴハァッ!!」
「アウッ! ベルクー!?」
「す、すまん……」
うーん……ベルク師匠を一刻も早く休ませたいところだけど、大分階段を上っているにも関わらず先が全く見えない。
階段は左右の壁に挟まれて真っ直ぐではあるものの、溝の青光がどこまでも青白く照らしているだけで、出口が一向に見えないんだ。
とりあえずどこに続いていようとも、階段を抜けた後は野営出来る場所を探すのと食料の確保が優先だな。
「ベルク師匠、下から押しますから階段を抜けるまでは耐えてください」
「ぬぅ、かたじけない……」
ベルク師匠とは体格差があり過ぎて誰もまともに支えることが出来ず、良くて後ろから押すくらいが負担を軽減する方法だ。
彼は黙々と進んでいるけど、筋肉が断裂しているだろう今の状態だと、表に出さないだけで相当辛いはずなんだ。
何とか負担を軽減する方法……それを考え始めた時、僕の傍でにんまりと笑顔を向けるノウェムと目があった。
「ノウェム、以前僕に飛翔を作用させたよな。負担にはならないのか?」
「ようやく気付きおったか。次元に干渉する“陣”と違い、“空間干渉”と言う意味では似ているが、その実際の負担は天と地ほどの差がある。子細ないぞ」
ノウェムはそう言うと光翼を展開し、ベルク師匠に『ほれ』と指を向けた。
「ぬっ!? 何と……体が軽い!?」
「“飛翔”となると消耗が増えるゆえ、今は“軽く”するだけだ。後は自分で歩くが良い」
「ぬおおおおっ!! かたじけない!! ゴホォッ!!」
「アウーッ!?」
「すまん、しばし慎もう……」
つい声を荒げるベルク師匠はアディーテに任せて……。
「ノウェム、ありがとう。ベルク師匠が心配だったんだ」
「くふふ、良いぞ。頭を撫でてくれても良いのだぞ」
「それは……」
僕が言い淀んだところで、自分の意思に反するように左腕が上がった。
どう言う風の吹き回しか、僕の左腕を支えにしていたリシィが持ち上げたんだ。
そのままノウェムの頭の上に誘うと、擦るように動かしている。
これには僕もノウェムも、テュルケまでクエスチョンマークを頭の上に浮かべ、リシィに何とも間抜けな表情を向けてしまった。
「な、何かしら? 仲間のために尽くしたのなら、し、しっかりと褒めてあげないといけないわ。ほらカイト、呆けていないで?」
「え、あ、ああ、ノウェムありがとう……ノウェム? どうした?」
「リシィお姉ちゃんが壊れたーーーーっ!!」
「壊れていないわっ!!」
壊れたと思われるのは仕方がない、本当にどうしたんだろうな。
僕たちと離れている時に余程感じ入ることがあったのか……リシィはむくれた表情をしているけど、手は変わらず僕の左腕に掴まったまま離そうとしない。
うん、リシィのことを理解出来るように、もっと“乙女心”を学ぼう……。
―――
そうして、上り始めてからかれこれ三時間は経過した。
「それにしても高いな……。僕たちはこんなに落ちたのか……?」
「いいえ……考えられるとしたら、ここが迷宮の深層域になるのかも知れません。目に見えるほどの空間の歪みがありますので、下手をすると……」
言い淀んだサクラを見て、僕はひとつの可能性に思い至る。
ゲームでは良くある、延々と同じところを巡り続ける“無限ループ”の可能性。
それはないと思いたいけど、元の場所に戻されることはあるそうだ。
うーん、戻るか……?
そう思って階段の下を振り返ると、既に滝も見えなくなった遠い暗闇から何か音が聞こえた気がした。
再び視線を進路に向けると、先頭を歩いていたサクラがこちらを向いている。
僕を見る彼女の視線は、暗闇に何かを察知したと訴えかけるものだ。
「まさか……」
「背後から金属音が聞こえました。肉と、鉄と、油の焼けた臭い、同じものです」
「同じ……まさか、あいつは間違いなく……」
「間違いありません。弩級戦車が近づいています」
サクラの確信を持った言葉に皆の表情に緊張が走る。
弩級戦車は確実に討滅したはずだ。僕が貫いて燃やし、サクラにも念には念を入れて燃やしてもらった。それだけじゃなく、生体組織を焼き、腕をもぎ取り、履帯を破断させ、核を抜いて破壊した。
そうまでして、リシィを殺すための兵器を徹底的に討滅したんだ。
「き、聞こえますです! 壁を擦る音っ、登って来るですですっ!」
ギィー、ギィー、と船が軋むようにも聞こえるその音は、確実に僕たちの背後、階段の下から聞こえてくる。金属音に混じって嫌な水音まで聞こえるそれは、最早先程見た弩級戦車の様だとは到底思えない。
砲狼の時も“肉”が脚を再生させた、“核”を潰してもそれが出来るのか!?
だとしたら、完全に討滅するためには……。
「みんな進むんだ! 階段を上り切れ!!」
皆の顔に、リシィの顔に恐怖が滲む。
得体の知れない何かが、階段の下から迫っている。
自分を殺そうと、残骸となりながらも追いかけて来るんだ。
一体全体どうなっている……!
「サクラ、相手の速度はわかるか? 僕たちとの距離は?」
「ダメです、近づいています! 最初は揺れていたものが、階段に入り壁を支えに均衡を得たのかも知れません! 勢いを増しています!」
――キィーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!
ただひたすらに長く擦る音が、僕たちを越えて反響する。
何てことだ……だとすると、通路の幅いっぱいに転がる大玉よりも最悪だ。
「ノウェム、そのままリシィとベルク師匠を連れて上り切れ! サクラ、テュルケ、アディーテ、奴の進行をここで止める!」
「カイト、ダメよ!?」
「カイト殿!?」
「あれだけやってもまだ足りないのなら、砕いて青光の穴底に捨ててやる! 相手が何であろうと、僕の大切な人たちを、リシィをやらせはしない!」
噛み締めた歯から血が滲むほどに、僕は黒い怒りに染まっている。
これは正騎士戦で我を見失った、あのどす黒い衝動だ。
だけど流されはしない、二度とリシィを悲しませたくはない。
「早く行くんだ! 奴がここまで来る前に!!」
サクラが、テュルケが、アディーテが、前に進み出て自ずと武器を構えた。
そしてそれに混じり、今も傷だらけのリシィまで前に歩み出る。
「リシィ!?」
「私もともに戦うわ」
「君は傷だらけだ、何を言って……」
「私はカイトの主だもの、ううん……私の力の源は貴方なの。だから、カイトと一緒なら恐れるものなんて何もないわ」
「リ……シィ……?」
「それに、カイトも傷だらけよ」
振り返り、僕を見据える彼女の瞳は強く輝く黄金色。
こうなった彼女は聞かん坊だ。ただ己の信念と守るべき者のために、例え世界を相手にしようとも誇りと高潔をもって人々の前に立つ。
だったら僕は……僕は……。
「わかった、僕はリシィの騎士だ。我が主のために、この騎士の剣を振るおう」
サークロウスさんから貰った剣、僕には剣技がないことを理由に腰の飾りとなっていた騎士の剣、それを彼女の前で抜いた。
只々、リシィの騎士で在るがために。
「と言う訳です、ベルク師匠。行ってください」
「否! それを聞き入れるわけにはいかん! 某も……」
「行って下さい! 貴方は最も重傷だ、ひょっとしたらこの先に都合良くベンガードがいるかも知れません。連絡役を頼みます」
「ぬぅ……しかし……」
「それに……この状況を招いた僕に、武人を目指す汚名返上の機会をください。ベルク師匠の弟子として、教えて頂いた対墓守用の槍術をご覧に入れます」
「ぬぅぅっ……然り! その願い、武人として聞き届けよう!」
「ありがとうございます!」
最後にノウェムが必ず戻ることを告げ、ベルク師匠とともに階段を上って行った。
壁を擦る音が大きくなる、階段を踏む歪な水音も増す。
元の姿からは想像も出来ないその音が、心臓の鼓動をかき乱す。
リシィを執拗に狙う災厄、ならば青炎をもって今一度……!