第百十一話 離れて 気が付く
弩級戦車が人を轢き殺せるだけの質量をもって迫る。
僕はまずタイミングを合わせ、十数メートルはある高い天井に向けて跳躍した。
神器に侵蝕されて強度を増した骨が軋む。それでも最後までやり遂げなければ、針の穴を通すようなこの一撃で奴を止めなければならない。
僕はもう、大切な人を二度と失いたくない……!
「今っ!!」
機会は一度切り、その機を逃さずに僕は力の限り天井を蹴った。
この世界の固有能力は“心象”で成り立っている。
つまりそれは、体の内に特殊器官《核》さえあれば地球人類だろうとも成せること。
そして今、ルコから受け継いだ“青光の雫”は神器にも干渉し得る“核”となった。
僕は思い描き形成する、弩級戦車を湖底に縫い止める“青き槍”を。
「ルコの正義、リシィの龍血、全てを束ねて穿ち貫く!!」
弩級戦車が真下を通る一瞬の機会を絶対に逃さない。
違えれば皆が鉄塊に飲み込まれてしまう状況で、僕は落下する勢いのままに青槍を突き放った。
辺りに硬く重い金属音が響き、それは直ぐ地面を抉る音に変わる。
――ガリッガガッガガガガガガガガッガガガガッ!!
神器の右腕は青炎を槍に変え、弩級戦車の砲塔を真上から穿ち貫いた。
リシィの【銀恢の槍皇】を不完全だろうとねじ込まれ、装甲を内側からまくられるように破壊された砲塔は、弩級戦車が晒す唯一の弱点となっていたんだ。
内部に入り込んだ青槍は青い炎を燃やしながら操縦席をも貫き、車体底面を抜けて湖底にまで突き刺さった。
「止まれええええええええええええええっ!!」
だけど、弩級戦車は百舌の早贄の様になってもまだ止まらない。
スラスターから火を噴き、高速回転するシールドマシンの腕を伸ばして尚もリシィを引き裂こうと迫る。
「止ま……れっ!! ああああああああああああああっ!!」
そして、弩級戦車の前に血塗れの黒鋼の巨体、ベルク師匠が立ち塞がる。
「ぬぅぅりゃああっ!! 我流無手【破岩雷衝】!!」
ベルク師匠は紙一重でシールドマシンを避け、肩の竜鎧を削られながらも紫電を纏った掌底打ちを弩級戦車の車体前部に放った。
ズシンッと重い踏み込みが湖底を網の目状に割り、凄惨な様となっていた彼からは更に血が噴き出す。
「ベル……ク師匠……!!」
「カカッ! あの日の心痛に比べれば……何のこれしき!!」
「ぐっ……止まっれええええええええええええええっ!!」
「カアアアアアアアアアアアアアアッ!!」
――ズズンッ!!
僕とベルク師匠の裂帛の気合いとともに弩級戦車は止まった。
湖底の岩盤を削った轍を長く引き摺り、ベルク師匠の踏ん張る足が湖底にめり込むほどに押した後で、リシィたちの眼前でその動きを止めていた。
「止まっ……た……」
弩級戦車を縦に貫く青槍を霧消させるように引き抜くと、底まで穴が貫通した車内は火花を散らして燻っている。
肌が裂けて血が垂れる首筋が若干痛いけど……やはり、サクラによるあの治療は神器による侵蝕を早め、これだけ力を込めても既に骨が折れることもないようだ。
僕は本当に、いつか“人間神器”となってしまうのかも知れない。
「ベルク師匠、大丈夫ですか?」
僕は弩級戦車から降り、立ち塞がったままのベルク師匠に声をかけた。
「うむ……恐るべき相手よ……。カイト殿、感謝を申し上げる」
「お礼は不要です。まずは手当てをしましょう」
「かたじけない」
僕はベルク師匠を誘い、どこか退避出来る場所はないかと探し始める。
だけどそんな僕の行動は、突然の抱擁によって阻まれてしまった。
「うっ、ぐすっ……カイトッ……もう、会えない……かとっ……うくっ……」
「リシィ? 僕は大丈夫だよ。怪我は……ほら、手当てをしないと」
リシィは切り傷だらけだ。血が滲み、全身がずぶ濡れで酷く震えている。
僕を抱き締める体温は驚くほどに冷たい。彼女の肌はまるで氷にでも触れたかのようで、このまま温めたら溶けてしまうのではと錯覚してしまう。
「テュルケ、毛布を!」
「あっ、はいですですっ!」
もっと早く駆けつけていれば、電磁加速砲の発砲を阻止出来たのかも知れない。
あれを凌げたのは奇跡だ。本来なら衝撃だけでも粉微塵になってしまうような兵器……竜種であるリシィとベルク師匠が、全力で生存に力を尽くしたからこそ今がある。
これは、そんな人の努力が成した奇跡なんだ……。
「ごめん、リシィ……僕が不甲斐ないばかりに、君をこんな目に……」
僕の腕の中で、リシィは嗚咽を堪えながら首を振る。
その様はまるでイヤイヤをする子供のようで、腕も頭も離そうとしない。
「姫さま、毛布ですです! コートをお脱がせしますです!」
リシィの濡れたコートを脱がせるのにも難儀した。
彼女は僕の背に回した手を離さず、無理やり脱がせるしかなかったからだ。
ここまで心配をかけたのか……。いや、生きるか死ぬかの瀬戸際にいて、今まで支えられていた誰かがいなくなってしまった不安、それは僕も同じだった。
リシィがいなくなるかも知れない、それは何者にも代え難い恐怖だ……。
反省だけじゃ済まないな、今は運命に頭を下げるより仕方ない。
僕はいつだって、冷静に物事を見定めないとダメなんだ。
―――
「如何でしょうか?」
「うん、暖かくなってきた。サクラ、アディーテ、ありがとう」
「アウー! おにく焼こー! ベルクに栄養つけてもらうー!」
弩級戦車が遠く離れた辺りで、僕たちはちょっとした空洞を見つけた。
内部の水気をアディーテに取ってもらい、サクラの炎熱操作で暖めて仮の避難所を作ったんだ
火はなく、僕が背負っていた背嚢はベンガードに預けてあるし、ノウェムが背負っている背嚢には衣類ばかりで、焚火にしても直ぐ燃え尽きてしまうだろう。
「リシィ、大丈夫か? 寒くはない?」
リシィは静かに頷くだけで、相変わらず僕の傍から離れようとしない。
毛布は一枚だけしかなく、リシィを僕と炎熱操作で体温を上げているサクラで挟んで包まり、二人がかりで温めているんだ。
ベルク師匠の竜鎧は強固だけど、怪我をした時まで強固過ぎて傷口の消毒も包帯も巻けないでいた。治療は彼自身の回復力に頼るしかなく、僕たちには血を拭うことしか出来ない。今も心配そうなアディーテが、彼に肉を食べさせている。
リシィが温まったらサクラの神力治療を試みるけど、しばらく戦闘は無理だろう。
「頬に赤みが差してきましたね」
「ああ、真っ青だった唇も色付いてきた。良かった」
「ふむー、我も暖めてやろうか、遠慮は要らぬぞ? ほれ、ほれ」
「ノウェムは僕とくっつきたいだけだよね?」
「良いではないか! 良いではないかあっ!」
「姫さま、ただのお湯ですが温まってくださいです」
「ん、ありがと……テュルケ……」
それでもリシィからはいつもの気力を感じられない。
ベルク師匠が体を張ってくれたおかげで、傷の数は多いけど出血はそれほどでもなく、竜種の回復力なら少しの期間で跡形もなくなるそうだ。
問題は心、それは時に決して快癒しない深い傷となってしまう。
「リシィ、本当に大丈夫か? 僕に出来ることなら何でも聞くよ?」
「……私、怖かったの。カイトがいなくなってしまうことが……ここで死んでしまったら二度とカイトに会えないことが……私は……とても怖かったの……」
それは僕も同じだ。
いつだって失うことを恐れて、そのせいで焦ってしまう。
どんなに覚悟を決めても、恐怖とは意志を上書きしてしまうんだ。
人の心とは本当にままならない。
なら今は……。
「大丈夫、僕はここにいる」
僕は二度と離れまいとリシィの腰を抱いた。
彼女の冷たかった体からは、少しずつ温もりが伝わってくる。
弱々しく体を寄せるだけの彼女に、僕は今一度覚悟を心に誓った。
もう二度と、リシィの傍を離れるものか……。