第十二話 災厄の彼方に在る世界
サクラが“湖塔”だと指し示したのは、僕が島だと思ったそれだった。
「あれ、塔?」
「はい、高さは湖底からおよそ三百メートルで、その殆どが水没しています」
水上に出ている部分は、ほんの数メートルもない。言われてみると、確かに周囲は壁のようになっていて、石材……いや、朽ちた鉄板のようにも見える。木が生い茂って桟橋まであるから、島だと思ってしまったんだ。
「最近の調査によって、実は“船”だともわかりました」
「えっ!?」
「垂直に突き立ったものだそうですよ」
湖はかなり透明度が高いけど、当然湖底までは見通せるはずもなく、それが“船”だと認識出来るものは何ひとつない。三百メートルの船と言うと、アメリカの原子力空母クラスだ……大きいな。
「あれが神代遺構か……詳しい説明をお願いしても良い?」
僕は冷静な振りを装い、サクラに説明を頼んだ。
小さい頃から、様々な冒険物語が好きだったから、遺物や遺跡が出てくるこの手の話には目がないんだ。ワクワクした胸の内を隠せないことを自覚しつつも、彼女の言葉を待つ。
「はい、大まかなこの世界の歴史から、ご説明しますね」
「よろしくお願いします」
「まず、この世界の歴史は大きく、“神代期”、“崩壊期”、“現代”の三つに分類されます」
物騒な時代が間に挟まっているな、一度文明が崩壊したと言うことか……。
「“神代期”とは栄華を極めた神の時代。その痕跡は世界各地に【神代遺構】と呼ばれる遺跡として残り、そこから出土される【神代遺物】や知識、技術が現代においても強い影響力を持っています」
神代……恐らくはこの翻訳器を作った文明。スペースエレベーターがあることから、現代地球の科学力を遥かに超えた文明だったことは間違いない。
「次に“崩壊期”。神代文明を滅ぼした災厄に見舞われた時代であることは確かですが、記録が失われているため詳細は不明です。その破壊の痕跡は今も世界各地に残り、この“大断崖”もその破壊のひとつだとされています。来訪者の方の中には、“みっしんぐりんく”と表現されている方もいました」
それについては何となく推測も出来ていた。
迷宮の底にあるとされる神代遺構、それがもし脱落したオービタルリングなら、大地が裂けて文明のひとつも滅んでしまってもおかしくはない。
逆もまた言える、オービタルリングが破壊されるほどの何かがあったんだ。
そして、“ミッシングリンク”。
主に古生物学などで使われる、日本語で言うところの“失われた環”だ。
神代期と現代の間の、生物の進化形態に隔たりがあるのか……崩壊期が関わっていることは、十中八九間違いない。
「そして“現代”、今の私たちの時代ですね。時期としては、大体一万年から一万五千年前から始まったとされています。ここまでで、何かご質問はありますか?」
「……大丈夫。今のところは納得している」
感心した面持ちのサクラ。こう言うのは得意だから。
僕には専門知識があるわけじゃないけど、語られない設定や物語の間隙なんかを、想像することが大好きなゲーマーの一種なんだ。
色々と噛み砕き過ぎて、良く事実以上のことまで妄想してしまうのは、メリットともデメリットともなるんだけど。
「では、次は【重積層迷宮都市ラトレイア】の成り立ちですね」
「一番興味深いところだ」
「迷宮は、丁度“現代”が始まった頃、湖塔ルテリアの袂に国を築いた時の王によって建設が始まりました。そして、都市としての体裁をなした後も、例え王の代が変わろうとも、何百何千年と時間をかけて増改築が行われ、最終的に今の形になったとされています。その理由についてはわかっていません」
うん、つまり迷宮については、未だ詳細不明と言うことだ。
「その後、いつだったのかもわかっていませんが、外界の者が気が付いた時には、既に王もこの地に住まう民も姿を消し、ただこの大迷宮だけが残されていたと言う話です。詳細のわからないことばかりで、申しわけありません」
「いや、大丈夫。サクラのせいじゃないよ」
「ありがとうございます」
彼女は頭を下げたけど、どうしようもないことはどうにもならないんだ。
「話を続けますね。これはまだ推論の域を出ない話なのですが……“墓守”、専門的には【鉄棺種】と呼ばれる、この迷宮からのみ現出する存在は、実は王や民がなったものだとされる研究報告が上がっています」
「それは、棺の中の遺骸がと言うこと?」
「はい。もっとも、時間が経ち過ぎてしまったことと、ご遺体は殆どが炭化してしまっているので、確認の取りようがないそうです」
「そうか、炭化ね……あの纏わりついた“肉”については?」
「申しわけありません、生体組織については完全に詳細不明です。そのせいで、来訪者の方が“機械”の概念を伝えるまでは、あのような生物だと思われていました」
だから【鉄棺種】なのか……流石に混乱してきたな……。
墓守は、明らかに神代文明の産物だと思う。それじゃ“棺”は……あの纏わりついた“肉”は……それらが何かと言う点については、一切の推測が及ばない。
うーん……本当に何だろうな……。
思考するのも程々に、僕は直ぐに考えることを止めた。
今の手持ちの情報では、どうしたところで確信には至らないからだ。
視線を上げると、サクラが心配そうに僕を覗き込んでいた。
「あ、ごめん。少し考えてみたけど、何だかはわからないね」
「カイトさんでもわかりませんか……」
「うん、そりゃ僕は専門家じゃないから。話を続けて」
「はい、次は“探索者”についてです。これは単に、迷宮を探索する者のことを指します。【神代遺構】を探し出し、内部に存在する【神代遺物】の発見を主な目的とする者たちですね。ラトレイアでは、墓守自体が神代遺物ともなります。」
「なるほど、その過程で僕はリシィたちに助けられたのか……」
「ふふ、そうですね。あのお二方は、他に目的があるとのことですが」
ん? 何だろう?
「そして、ラトレイアの探索者にはもうひとつの役割……いえ、義務があります」
「来訪者の保護かな? リシィが、『厳命されている』と言っていた」
「はい、来訪者の方はこの迷宮内にのみ転移して来られます。初めてその存在が確認されてから数百年、彼らが持つ知識、技術はこの世界に大きな影響力を持つと、今では認識されるようになっています」
話の途中、突然サクラが頭を下げた。
「申しわけありません!」
「え? どうしたの?」
「そのためでしょうか。来訪者の存在を富に変えようとする、不逞の輩が最初期には多くいたそうです。酷い扱いをされ、命を落とした者さえいたと……カイトさん、本当に申しわけありません!」
「あ、ああ……そうか。うん、別に大丈夫だよ。そう言うこともあるだろう。だからこそ、サクラのような役割があるんだろう?」
「はい……その後、事態を重く見た行政府が保護組織を立ち上げた、と言うのが私のような保護監督官の成り立ちです」
「なら、サクラがしたことでもないのだし、頭を下げる必要もないよ。むしろ、今は感謝したいくらいの気持ちで一杯だ。ありがとう」
「あ……ありがとうございます!」
目尻に涙を滲ませ、サクラは再び勢い良く頭を下げた。
先人たちの苦難のお陰で今の僕があるわけか……申しわけなくも思うけど、感謝をしながらこの恩恵はありがたく活用したい。
「サクラ、本当にありがとう。でも、流れは大体わかった。だから僕はリシィたちに助けられて、迷宮から速やかに保護されたわけだね」
「はい、私たち保護監督官は探索者ギルドの一員として、迷宮より来訪者の方が保護された段階で、その方がこの世界でつつがなく過ごせるよう、一人一人が専属として生涯お世話させていただくことになります」
……
…………
………………
……今、何て言った!? 『生涯』と言わなかったか、今!?
「待って、『生涯』と言った?」
「はい、これからカイトさんが健やかに暮らせるよう、私サクラが、誠心誠意をもって生涯尽くさせていただきます!」
目が! 本気だ! 僕はてっきり、ここでの生活基盤が整うまでの間、案内してくれるものだとばかり思っていた。生涯? 本当に?
……いや、ケモミミ大正メイドさんが生涯尽くしてくれるとか、正直願ってもない僥倖だ。だけど、どう考えても日本で培った倫理観の大破壊。まだ若そうなんだから、そんな早い内から就職先を決めたら駄目じゃないのか? 昨日今日会ったばかりの相手に生涯付き従うトカ、マズハ相手ノ信ヲタシカメナイトダメダヨ?
イントネーションがおかしくなってきた、落ち着こう。
「それは、決定事項なのか? 僕は少しの支援があれば……」
「ご迷惑だったでしょうか……?」
「これからもよろしくお願いします!!」
おわー、勝てない! 拝むように縋られたら了承するより他にはない。
しかも、あろうことか犬耳はペタリと沈み、シュンとした尻尾はあまりにも悲しげで、どうにも筆舌に尽くし難い心境に襲われてしまう。道端に捨てられた、悲しげに鳴く子犬を思い出させるのはずるい……。
ならせめて、これからは彼女に対する日々の感謝を忘れないようにしないと。
それに、僕を助けてくれたリシィとテュルケ……うん、まずは彼女たちに対する恩返しを、この世界における当面の目標としよう。
「そうしよう」
「はい?」
「いや、何でもない。続きは?」
「はい、とりあえすはこの辺りまででしょうか。一度に多くを話すのも混乱しますし、これ以上は追々必要な時に必要なだけ……で構いませんか?」
「うん、それでお願い。流石に頭から煙が出そうだ」
……おや。何故かサクラは愕然として、身を震わせて今にも泣き出しそう。
「カイトさん、何かご病気なのでしょうか!? 頭から煙が出るとは一体!? 治るのですか!?」
しまった、この世界にはない言い回しだったか。
そうか、異世界なんだよな。日本語が通じることと、大正メイドさんがいるせいで、違和感がなかったけど、表現に気を付ける必要はあるのかも知れない。
まずはこの世界の勉強から……僕は必死に説明した。