第百七話 惑い 迷い 求める
◇◇◇
「ん……ここは……?」
「姫君、お目覚めになられたか」
ここは、何処……?
「ガーモッド卿……カイトは……カイトは何処……!?」
虚ろな意識で寝ていた体を起こすと、傍にはガーモッド卿しかいなかった。
テュルケも、サクラも、ノウェムやアディーテだって、それに……カイトがいない。
「皆は崩壊する王の間より落とされ、その後は行方知れず……。某は咄嗟に姫君をお助けいたしたが、カイト殿がどうなったかは……」
「そんな……」
周囲に意識を向けると、ようやく聞こえて来た水音と冷たい空気からどこか水源の近くだとはわかった。
それ以外は黒い岩肌と、柱のように立ち並ぶ鍾乳石しか見当たらない。
「洞……窟……?」
「然り。反響音から推測するに、相当入り組んだ構造と見受けられる。カイト殿たちは恐らく、分かたれた別の空間に出たのではないかと……。姫君、如何致す」
カイトたちとはぐれた……?
辺りは神脈の流れが暗い洞窟内を青色に染め、廃城で感じたものと同じ幻想的な空間がどこまでも広がっているようだわ。
けれどいくら探しても、周囲に私たち以外の存在は見つけられない。
ガーモッド卿は跪き、静かに私の言葉を待っている。
「まずは皆と合流したいわ。ガーモッド卿、心当たりはある?」
心細い……これまでずっと一緒だったテュルケがいない……カイトもいない……。
それがこんなに心細いことだなんて……怖い、今にも泣き出してしまいそう……。
カイト……どこにいるの……?
「某が最後に見たのは、カイト殿を抱えるサクラ殿の姿。それ以降は……」
そうだわ……あの爆発の時にカイトは吹き飛ばされていた……!
血がたくさん出ていた……壁に叩きつけられて、手も声も届かなくて、どうしようもなくて……。涙が滲む、ダメよ……泣くくらいならカイトを探さないと……。
「上を……目指しましょう。きっとカイトなら、私たちを探すもの」
「うむ、異論はない。姫君を必ずやカイト殿の元にお連れいたす……!」
涙を振り払って立ち上がると、肌を切るような空気の冷たさに心細さと全身のひりつくような痛みを感じ、私は体を震わせ泣き出しそうになってしまった。
どこからか聞こえる水音が、一瞬の嗚咽をかき消してくれる。
会いたい……今直ぐにでも、カイトに会いたい……。
―――
「背後をお頼み申す!」
「金光をもって矢となり穿て!」
洞窟を上に向かって歩き出してから一刻ほど、ガーモッド卿と二人だけの探索は魔物に阻まれ思った以上に進めていなかった。
こんなところで足止めされている場合じゃないのに……どこからか湧いて出るのは、昆虫型の魔物“グリュンゲル”。ここはグリュンゲルの巣なんだわ。
その姿はゲル状の体に八本の虫の硬脚を持つ歪なもので、普段は地底の奥深くに潜む撤退を推奨される危険指定の生物よ。
それが何故【重積層迷宮都市ラトレイア】の地下に……いえ、地下だからね。
グリュンゲルに物理攻撃は効き難いけれど、私の金光とガーモッド卿の紫電なら相性は悪くないわ。洞窟の広間を埋めるほどに数が多いだけで、一矢でも数体を纏めて倒せている。
問題は洞窟の壁が脆いこと、迂闊に薙ぎ払うことも出来ず、下手に外すと天井を落としてしまうかも知れないの。
今は少しでも早く先へ進みたいのに……歯痒い……。
「ぬぅんっ!」
「今ので最後ね、進みましょう」
「しかし、これでは移動する度に囲まれてしまう。カイト殿ならこのような時に如何なる策を思いつかれるのか、某も技ばかりでなく戦術も熟れるべきであった」
「カイトなら、天井を崩すくらいはやりそうだわ。自分の無理を押し通してでも……」
「あの御仁ならやりかねん。今となっては笑いごとにも出来んが」
そうよ、カイトのことだからきっと今頃は無理をして……ダメ、泣いてはダメ……。
「姫君、これを。先を見通せぬ故、まずは腹ごしらえといたそうぞ」
「ありがとう、頂くわ。あまり食欲の湧かない状況だけれど……」
ガーモッド卿がくれたのは、最近探索者たちの間で流行っている栄養機能食“エネボウ”。この片手に収まる棒のような食べ物で、一日に必要な栄養の半分を摂れるそうだから、私たちもいくつか携帯しているわ。
周囲にはグリュンゲルの残骸が転がって食欲は湧かないけれど、次の広間でもまた襲われることを考えると、今のうちに腹ごしらえは必要ね。
私は包装を破り、石柱のようにも見えるエネボウを口にした。
「はむ……んむ、んむ、んむ、んむ……」
これは、粒子の荒いクッキーとドライフルーツを固めたものかしら……不思議と味は悪くないけれど、食感はもっさりとしてダメね……それでも贅沢は言えないわ。
テュルケが作ってくれるクッキーが、今はただ恋しく思える……。
「うむ、これは水が欲しくなる」
「ええ、水筒はテュルケが持ってくれていたから……ガーモッド卿は?」
「某は地下に落ちる際に自重で潰してしまった、面目次第もない」
「仕方ないわ。ここには水源もあるみたいだから、探しながら進みましょう」
「心得た」
広間から狭洞に入り、抜けるとまた広間とグリュンゲル、その繰り返し。
行けども行けども変わらない洞窟の景観は、寒さも相まって心細さに拍車をかけるようで、いくら進もうとも不安がなくなることはない。
――カサカサカサカサカサカサ
「またしてもグリュンゲル! 此奴らがこれほどに増えるとは、【重積層迷宮都市ラトレイア】の下は余程居心地が良いと見える!」
「冗談じゃないわ! そもそも真下に穴があったのはグリュンゲルの仕業よ、今直ぐにでも焼き払いたいくらいだわ!」
「ぬぅんっ! 左はお頼み申す!」
「ええ、これ以上の邪魔はさせないわ!」
青一色の薄暗がりに、金光と紫電が新たな色を加える。
私はグリュンゲルが吐き出した酸を光盾で受け止め、直ぐに光矢で貫く。
ガーモッド卿は酸を吐かせるつもりもないようで、紫電の柱が洞窟の天井と床の間を激しく蹂躙していた。彼の攻撃で洞窟の天井は表層が剥がれ落ちるけれど、それも利用して真下のグリュンゲルを攻撃しているわ。
カイトが信頼するはずね、ガーモッド卿は背を預けるには最も頼れる人だもの。
私はそうなれているのかしら、カイトにとって私は主以上の存在に……。
なりたい……カイトに信頼される、彼のための私に……!
「金光をもって波となり地を這う者を蹂躙せよ!」
洞窟の奥が見通せないほどの広間に、私は金光を岩肌に走らせる。
地を這う光波はグリュンゲルを端から斬り裂き、それだけでなく焼き殺してしまった。
「ぬぅっ!? 姫君、今のは……!?」
「ルコの全周薙ぎ払いよ。カイトと一緒に考えていたものだけれど、上手く出来るかわからなかったものなの。上手く出来たようだわ」
「カカッ! 流石は龍血の姫君、実にお見事!」
「けれど……これは失敗ね。その後の有様と臭いが酷いわ……」
「う、うむ……」
―――
私たちはどれだけ戦い、どれだけの距離を進んで来たのか……気が付くと、洞窟からもグリュンゲルの巣からも脱し、青く煌めく地底湖に到達していた。
「綺麗……」
澄んだ水は青光を満たしていて、水面に映る顔が泥だらけの自分とは反するように光り輝いている。
長い時間水分を摂らなかったから喉が渇いて仕方ない……このまま飛び込んでしまいたいくらいだわ……。
私はまず手を洗い、そのまま掌でお椀を作って水をすくう。
「姫君、待たれよ」
けれど、口にしようとしたところをガーモッド卿に止められた。
彼は水に手をかざし、水面を這う少量の紫電を放つ。
「何があるかわからん故。ささ、これで安心」
「ありがとう、頂くわ」
私はようやく、ガーモッド卿の能力で浄化された水を口にする。
水は肌を刺すように冷たいけれど、それでも喉を通る潤いは戦闘で火照った体には心地良く感じられる。
竜種といえども体は冷えるから、あまり多く飲めないのは残念ね。
「冷たい……美味しい……」
「うむ、これほどの清水は深山でもなかなか巡り会えん一品よ。神代の神秘とはこのような地の底にこそあるものか」
「ええ、カイトたちも水を求めてここに来られたら良いのだけれど」
改めて周囲を見渡すと、地底湖は遠く奥まで続いているわ。
天井まではガーモッド卿の二倍……いえ、三倍はあるかしら。洞窟内よりも更に太い鍾乳石に支えられ、落盤するようなことはなさそうね。
地底湖は、青光に輝く湖面が明かりとなってどこまでも見通せるけれど、それでもカイトたちの姿はどこにも見当たらない。
「うむ、どうやらこの地底湖は、踝ほどの水深が遠くまで続く遠浅のようだ。姫君、あちらに岸と新たな洞窟が見える」
「ええ、行ってみましょう。上への道を探さないといけないわ」
「では姫君、僭越ながら某の肩に。冷えてしまっては元も子もない」
「あ、ありがとう、ガーモッド卿……」
私たちは進む、廃城に戻るために……いえ、大切な人を探し求めて……。