第百一話 悪態を吐くライオン
立派なたてがみを焦がした項垂れる男は、その百獣の王の面を上げた。
「ハッ、くダラん顔触れダ。その面を見ナいよう拠点を出タガ、無駄足ダッタ」
悪態を吐く男のいる安全地帯、そこは一種のトマソンだろうか。
壁と壁の合間にある、時の流れからも忘れ去られたような何もない空間だ。
入口は階段裏の物陰に隠すようにあり、小部屋に辿り着くまではベルク師匠が匍匐するほどなので、これなら墓守には見つからないだろう。
「ベンガード、どうしてここに……はっ、サクラ、テュルケ!」
安全地帯にいたのは、口の悪いベンガートとその仲間の探索者たちだ。
先にここで、墓守と戦闘をしていたのが彼らなのは間違いない。
装備は見るも無残に焦げ、ベンガードに至っては肩から血を流していた。
直ぐサクラとテュルケに指示を出し、彼らの応急手当を始める。
「ありがとうなノン~、ティはもうヘトヘトなノン。出来ればお水欲しいノン」
「はい、水だよ。ティチリカまで、みんな大丈夫なのか?」
「大丈夫じゃないノン! 酷い目にあったノン!」
「ティチリカは大丈夫そうだな」
「ノンッ!?」
安全地帯は十畳もなく全員入るには無理があるけど、だからと外で待たせるわけにもいかず、狭いのを我慢して押し込んでベルク師匠で蓋をした。
ベンガードのパーティは、ティチリカの他に男性二名女性一名の計五人。
状態はあまり良くない。掃除屋にやられただろう火傷や中には噛み傷まであり、パーティの様子を見る限りは満身創痍だ。
兎の口で水をチビチビと飲んだティチリカが一息ついた。
「ぷふぅ、お水美味しかったノン~」
「ティチリカはベンガードのパーティだったっけ?」
「元は違うノン。正騎士の時にパーティが壊滅して、帰りに拾ってもらったノン」
「そうか……意外な面があるんだな、ベンガード」
「ハッ、馴れ合いハごめんダ。そいつハ【神代遺物】を持ってるカらナ、他のパーティに渡すナラと思っタダけのこと」
「ティチリカは酷い扱いを受けていない? ちゃんとご飯も食べられてる?」
「大丈夫なノン~、ベンガードはもう要らないって言っても、食べろ食べろってうるさいくらいなノン」
「ティ、余計ナことを口走るナ。飯抜きにするぞ」
百獣の王が凄んでくるけど、根が良いのはもう隠せない。
ティチリカは僕の耳にもっふりとした顔を寄せ、こっそりと告げる。
「あんなこと言っても、いつもちゃんとご飯くれるノン」
良いライオン確定だ。
しばらくして、サクラは怪我人の手当てを終え僕の元に戻って来た。
ベンガードだけは『よせ、いラん』と、包帯だけを受け取って自分で巻いている。
「サクラ、ご苦労さま。彼らの様子はどう?」
「意識不明の男性が一人、この方が最も酷い火傷ですが命に別状はありません。もうお一方の男性は軽度の火傷、女性は猟犬の牙による脚の裂傷が酷く、野営地で休ませる必要があります」
「アタイは大丈夫さ。今直ぐ出て行って奴らをぶった斬ってやるさね!」
「えーと……ヨルカさん? その怪我で威勢が良いのは見習いたいですが、相手は大量の墓守。僕たちまで巻き込むなら、少し眠ってもらいます」
「ぐっ、軍師の言うことさね、今は大人しくしてやるさ!」
威勢の良い女性の名前は“ヨルカ”。
海賊船長のような出で立ちで、猟犬に噛まれた左大腿部にはこれでもかと包帯が巻かれている。髪色は緑から青に変わるマリンブルーで、格好と露出した肌から見える鱗などから水棲種だと判断する。
それにしても、猟犬に噛まれて食い千切られなかったのは、包帯の下からも覗く鱗の防御力があったからだろう。
第二界層でベンガードと一緒だったために面識はあるけど、面と向かって話すのはこれが初めて。怪我を負ってもなお、男勝りな表情は精悍なままだ。
「それで、ベンガードたちは依頼を受けて調査隊を探しに来たんだよな?」
「そうなノン! サークロウス卿から直々の依頼で、報酬もウハウハなノン~!」
答えたのは、そっぽを向くベンガードじゃなくてティチリカだ。
「け、けど……ボクたち……もう……依頼……遂行……む、無理……」
軽度の火傷を負った男性の名前は“ラッテン”。
ベンガードと一緒にいるのが不思議なほど気弱そうな顔立ちで、やはり気弱そうにぽつりぽつりと呟いた。
白い髪以外の全身は黒尽くめで、装備が黒で統一されているというより、真っ黒なマントで覆ってしまっているんだ。フードの下から覗くのはタレ気味の三白眼で、どこを見るでもなく宙を彷徨わせている。
「ふむ、では某たちも同道しよう。カイト殿、如何か?」
「いラん! 俺タちハ俺タちでヤる、しゃしゃり出て来るな黒鋼野郎」
「カカッ! 相変わらず口が悪いなベンガード! しかし、おぬしといえども仲間を庇っては隙を突かれるぞ。今はここを突破するだけの戦力が必要ではないか」
「くっ……くそガッ! どいつもこいつも……」
「私も異論はないわ。ティチリカたちをこのままにしてはおけないもの」
「ですですっ! ふわふわ~です~もふもふ~♪」
「やっ、くすぐったいノン! テュルケちゃん、そこはティ弱いノン~!」
テュルケが、ティチリカのふわふわした茶色い尻尾をモフっている。
うらやま……じゃなくて、うさぎにしてはかなり大きめのまん丸い尻尾には、大量のノミが入っていたはず……工具のほうの。
「僕も異論はありません。ではそう言うことで、全員で野営地を経由しながら管理拠点を目指す。構わないな、ベンガード」
「チッ……!」
ベンガードは舌打ちするけど、結局反対はしなかった。
「……というか、何か香ばしい匂いが……この煙は何だ?」
「アウー、さっきのおにく焼いてるー。うまーうまーアウアウー」
「主様、なかなかの美味だぞ。ほれ、我自らが“あ~ん”をしてやろう」
「二人とも……こんな人が密集したところで火を焚くと……」
「アウー! あっついー!」
「脱がないで!?」
―――
小部屋に熱が篭ってしまったため、僕たちは直ぐに安全地帯を後にした。
隊列の中央では残りの一人、重傷で意識のない“ロー”をベンガードが背負い、ヨルカにはティチリカが肩を貸している。最後尾は僕とノウェム、それとラッテン。
最初の野営地まではまだまだ遠く、最低でも後五時間はかかるそうだ。
姿を隠したことで墓守は散ったようだけど、時折接近する足音は聞こえる。
「ラッテン、斥候に出ろ」
「わかた……見つ、けたら……ヤっても……?」
「構ワん、好きにしろ。ここで死んダラ置き去りにするカラナ」
「キヒッ……解体……最高……キヒヒッ……」
そうして、ベンガードの指示でラッテンが斥候に出た。
彼の出かけ際に翻ったマントの下には、大量の墓守の核がアクセサリーのように吊り下げられていて、にも関わらず一切の音が出ていなかったように思える
先程までの気弱な雰囲気もどこに行ったのか、楽しげに表情を歪める様はまさに収集癖のある解体好きの偏執狂か。
「主様、あいつやばいの……」
「僕もそう思う。ノウェム、言葉遣いが軽くないか?」
「ううぅ……昔を思い出したの……」
ノウェムの翠玉の瞳が、僕を見て落ち着かなさそうに揺れている。
セーラム高等光翼種……彼らの住まう“天の宮”……今のところは手を出されることもなく手を出す術もないけど、こうまで怯えるなら放っておけないな……。
「ノウェム、大丈夫だよ。今は僕たちがついているから」
彼女は一瞬キョトンとして、直ぐ嬉しそうに笑った。
“三位一体の偽神”の問題に決着がついたら、リシィだけじゃなくサクラやノウェム、皆に対して何を返して行けるのか真剣に考えたいな……。
今はまだ油断出来ないけど、いつか必ず……。
ラッテンが偵察に出てから間もなく、次第に破壊された墓守が転がり始めた。
キッチリ四肢を切断され、核のある部分だけを丁寧に解体されたその様は、間違いなく彼の仕業なんだろうけど、もう斥候どころじゃなく制圧している。
「相変わらず趣味が悪いノン、これを毎回やってくれたらティたちも酷い目に合わなかったノン!」
「相当な玄人の技に見えるけど、毎回やってくれないのか?」
「そうさね。腕は良いのに、誰かに見られてると“気弱なラッテン”が出て来るから、私たちが一緒だと隅でぶるぶる震えてるだけさね」
「へぇ、斥候よりは暗殺型か……役割の与えようかな」
「お、軍師のお眼鏡に適った? その戦術、是非とも見せてもらうさね」
「ノン~、だけどカイトさんは人使い荒いからノン~」
「はは、伏兵は時に戦線の優劣を覆すから、有用な人材だよ」
まさに今の状況がラッテンにとっては活躍の出来る場なんだろう。
ベンガードは何も言わないけど、しっかり役割を与えているように思える。
口は悪いけど。
その後は、ラッテンのおかげで大した戦闘もなく野営地に辿り着けた。
だけど覚悟をしないといけない、ベルク師匠の険しい表情が告げているんだ。
ここに、戦友の墓があると……。