第九十七話 知らずのうちにやらかしていた
拠点を出発した後、僕たちは長く連なる廃城街の路地裏を進んでいる。
進路を逸れると直ぐに街を隔てる谷があるけど、アリーが阻塞気球を無理に通したからか、今は所々が崩落して近づくことすら出来ない。いずれは界層の復元で元通りになるけど、しばらくはロープが張られて進入禁止とのことだ。
アリーはもう少し……と思ったところで考えを改めた。
僕も似たようなことをやらかしているんだ……。
「ベルク師匠は本当にもう大丈夫なんですか?」
僕はパーティの先頭を歩くベルク師匠に近づいて訪ねた。
師匠の背には板金鎧が装着され、竜鎧はまだ穴が塞がっていない。
「無論。竜鎧こそ塞がるに年月を要するが、肉体は既に万全ゆえ不足なし。カイト殿、ご心配痛み入る。某はこの身を矛とし盾とし、今一度先駆けとなろうぞ」
「そうですか……わかりました」
普段とは違い、ベルク師匠がどこか緊張した雰囲気を纏っているのは、やはり戦友の墓が近いからだろう。
それは暗に、彼でも支え切れなかった戦いがこの先にあると示している。
何かの存在も気になる以上は、これまでより更に気を引き締めないとダメだな……ここで立ち止まることも、彼にまた後悔をさせるのもダメだ。
それはそうとして、今は……。
「……その……リシィ、どうかした?」
リシィは拠点を出てから、僕の隣でずっとしかめっ面なんだ。
隊列の最後尾からベルク師匠に近づいた時も、リシィは何故か僕の隣から離れずにくっついて歩く。離れるつもりもないけど、様子がどうもおかしい。
良く良く見ると、彼女の視線は僕が腰から下げる“騎士剣”を見ていた。
「国に帰ったらあげようと思っていたのに……何故シュティーラがテレイーズの騎士剣を持っていたのかしら……しかも近衛騎士の長剣……」
僕の問いに対する返事じゃなく独り言のようだ。
ブツブツと呟いて悔しそうな様は、かえって庇護欲が湧いてしまう。
「リシィ、この剣にどんな由来があっても、僕はリシィから直接預かった竜角のほうが何よりも大切だよ。剣も改めてリシィの手から貰えないかな」
「んっ、んんっ!? そそそんなことっ……きゅっ、急にっ……!!」
おや……リシィの様子が更におかしくなった。妙に慌てている……。
そういえば以前、竜角を持っているのか聞かれた時も似たような反応を……。
だけど今回はそれだけじゃなく顔は頬から耳まで真っ赤、潤んだ瞳の色は赤と青と緑と黄が混ざり合い、どんな感情を表しているのかは良くわからない。
拒絶されたわけじゃないようだけど……これは一体……。
「リシィ、ごめん! 僕が何か変なことを言った?」
「んっ、良いの。カイトは気にしないで……放っておいてっ!!」
「あっ……」
リシィはまたしても、以前と同じく足を早めて先に行ってしまった。
サクラと違ってリシィの尻尾は普段あまり動かないんだけど、それがメトロノームのように大きく揺れているのが気になる。
これは、本当に僕が知らずのうちに何かやらかしたんじゃ……。
「うふふ~、流石はカイトさんですです~」
「テュルケ……リシィの様子が只事じゃないんだけど……」
テュルケは何やら嬉しそうに、ニヤニヤした表情で僕を見上げてきた。
毎度のことだけど、この娘はわかっていて見守っているよな……。
「カイトさん、竜角は竜種にとってとてもとても大切なものですです」
「うん、力の源であり命に等しいもの。本来なら、従者でも人に預けるものじゃない」
「ですです! だからですですっ!」
「う、うん? その辺りをもう少し詳しく……」
「竜角を褒める、特に『大切』なんて直接言ってしまうとですね……」
「言ってしまうと……?」
まずい、これは世界を跨ぎ、更には種族の違いによる概念差だ……。
そこから想像するに、大切なものを褒めた人、特に異性からとなると……。
そしてテュルケは輝いた瞳で僕を見上げ、散々勿体ぶってから告げた。
「結婚の申し入れと同じ意味なんですですぅ~♪」
……
…………
………………
「ほああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁっ!?!!?」
青い幻想の街に来訪者の絶叫が木霊した。
「カイトさん!?」
「カイト殿!?」
「アウッ!? おやつの時間!?」
「あ、ごめん……。テュルケが冗談を言うから驚いただけだよ、はは……」
何てことだ……もっと早く気が付くべきだった……。
僕はリシィに告白だけじゃなく、不可抗力でプロポーズまでしていたのか……。
いや、当然来訪者がそんなことを知るはずもなく、リシィもその辺りはわかってくれていたんだろうけど、流石に今回は面と向かって言い過ぎたのか……。
「ぐぬぬ、羨ましいぞ……我なら直ぐに良しとするのに……」
「ノウェムは段取りを大切にしよう。いきなり生涯の伴侶に決めたりはダメだよ」
「段取りを踏めば良いのだな。それなら……くふふふふ」
「何にしても、謝罪をするべきか……いやだけど、今更撤回も……」
「大丈夫ですです! 姫さまは恥ずかしがってるだけですです! ちゃんとわかってますですぅ~」
「それなら良いんだけど、次は早めに教えてもらえる……?」
「うふふ~、わざと放置してましたですぅ~」
「ちょっと、テュルケさん!?」
結局、リシィが落ち着くまで半日もかかってしまった。
―――
「あれが廃城ラトレイアの門、第六界層の入口か」
廃城街を歩いて二日。狭い路地と階段をひたすら下り、阻塞気球が待機していた大通りに辿り着いたところで進む先に巨大な門が見えた。
幅三十メートルを越える大通りに当然空はなく、壁や天井はこれまで歩いて来た街並みが吊り下がり重なり合って存在している。
こんな積層構造は浪漫こそ感じるけど、住むには動線が不自由過ぎて日常生活に支障をきたしてしまうだろう。
ひょっとして、この街自体が要害……砦なんじゃ……。
「カイトさん、あまり脅かしたくはないのですが……。あの門の先、第六界層では角を曲がるたびに何かがいると思ってください。それほどに危険なのです」
「そこまでか……」
「幸いにも大型に遭遇することこそ稀ですが、それでも多量の墓守によって多くの探索者が帰りませんでした。どうか、油断のないようにお願いします」
「了解した。慢心はしないよ」
「ええ、気を引き締めて行きましょう」
「ですです! がんばりますです!
「くふふ、流石に我も本気を出さねばならぬか」
「アウー! まっかせろー!」
「某は二度と……決してやらせはせん……!」
ベルク師匠は昔を思い出しているんだろう、表情のわかり難い鎧竜種の頭部からはどこか哀悼と自責の念が伝わってくる。
僕に出来るのは同情することじゃない、ベルク師匠と彼の仲間たちを阻んだ困難の突破法を確立させること。それには情報が必要で、休暇の際にリシィとサクラに隠れて拠点で話を聞いて回ったのは秘密だ。
そして仕入れた情報によると、廃城に頻出する墓守は“掃除屋”。
久しぶりに北欧神話から名付けられたものじゃないのは、こいつが労働者の派生だからだろう。とは言うものの、労働者を駆動系から維新して砲兵よりも余程の驚異らしく、下手をすると薙ぎ払われると聞いた。
接近戦は危険、遠距離で仕留めたいところだけど……今はそろそろ……。
「もう時間的には夕方だ。サクラ、野営地はどこになる?」
「はい、正門の傍に守衛室があります。城内に入ってからですと、墓守との遭遇状況にもよりますが必ずしも野営地に辿り着けるとは限りません」
「なら尚更、第六界層に入る前に万全の態勢にしないとな」
「某の目指す墓があるのも廃城の野営地。このような危険な地であまり手間は取らせんが、皆に心よりの感謝を示したい。誠にかたじけない……!」
「ガーモッド卿にはいつも助けられているもの、気にしないで。それに故人を偲ぶのは当たり前のことよ、そんなに頭を下げなくても良いわ」
「おお、姫君……! 勿体ないお言葉、誠にかたじけない……!」
皆が皆、頭を下げ続けるベルク師匠に向かって頷く。
彼のいつも『カカッ!』と笑う優しげな眼差しが、今はあまりにも鋭い。
きっと、今の師匠なら自身を危険に晒してでも誰かを護ろうとするだろう。
なら僕は、そんなベルク師匠の背も支える。
失わないための覚悟は、今もこの胸の内にあるんだ。