第九十五話 休暇を取るのも楽じゃない
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「ふぅ、やっと解放された……」
結局、僕はサクラの言葉通りに一日中連れ回され、明かりが夜灯に切り替わる頃になってようやく解放された。
“第三拠点シェハイム”は【重積層迷宮都市ラトレイア】内にある最大の拠点で、内部は螺旋状の大通りが拠点全体を上から下まで巡り、その様はちょっとした九龍城砦を思わせる。
管理棟は構造物の中央、大通りに巻かれるよう縦に長く存在していて、僕たちは上部から出て上から下までを練り歩いたんだ。
幸いにも墓守の侵入を阻止出来たことで内部にまで損害はなく、露店街は多くの探索者の活気で満ち溢れていた。
だから余計に、美人さん二人に腕を組まれた僕は目立ってしまったんだ。
それも“龍血の姫”がいると伝わっていたようで、探索者たちには笑顔で迎えられ、露店の人からはあれもこれもと大量のおみやげまでもらえた。
幸い中の幸い……とでも言えば良いのか、おかげで荷物を持ち帰るために腕は離されたけど、理性と本能の脳内最終戦争は停戦を迎えることが出来た。
「カイト殿、何やらお疲れの様子。某が鍼を打って差し上げよう」
「ベルク師匠は鍼なんて打てたんですか?」
「以前、気の良い御仁に教わってな。某は竜鎧がある故、鍼を通さんが」
「はは、奇遇ですね。僕の父も鍼灸師だったんですよ」
「カカッ、それは奇遇。ぬうっ!? カイト殿、鍼がない!」
「そうじゃないかと思いました」
うん……? そんな偶然があるのか……?
だったら名字で気が付くはずだけど……違うんだろうか……。
僕たちに充てがわれた宿は、ひとつの階が全て個人宅のようになっていて、今はその居間に僕とベルク師匠、後はアディーテだけがいる。
「カイト殿、某の槍でちくりと出来ないだろうか」
「僕に穴が空きますが……」
「アウー! カトーの串焼きーッ!」
まさに今、アディーテは串焼きを食べながら僕を見て言った。
確か露店でもらった食べ物の中にも串焼きが……あ、僕がもらったやつだ。
油断も隙もないとは言え、夕飯で食卓に並べようと思っていたので、どちらにしてもアディーテのお腹に収まったんだろう。
「僕は食べられないから、間違っても噛まないでね」
「アウー、これなら食べて良い?」
「うん、程々になら。今日は久しぶりに保存食じゃないサクラの料理だよ」
「アウーモグモグモグモグモグ、あまーいっ! うまーっ!!」
話を聞いていない。それにしても、アディーテが食べたのは何だろうか。
大福に見えるけど、彼女はお餅っぽい何かを食べている。この世界にお餅とかあんこは……ありそうだな。ノウェムと出かけた時にでも探してみよう。
「カイト殿、次の第六界層では寄り道をしてもよろしいか?」
「はい、勿論です。寄るところがあるんですか?」
「うむ、ちと墓参りをな。あの城には戦友の墓がある」
「そうでしたか。なら、尚更に行くべきです」
「かたじけない」
僕はソファーに座り、ベルク師匠は専用の家具でないと潰してしまうため床に腰を下ろし、室内には何とも言えないしんみりした空気が漂い始めた。
かつて、ベルク師匠は探索者として迷宮に挑み、仲間も当然いたのだろう。聞いたことはないけど、やはり失ってしまったものはあるんだ。
戦友の墓か……今度は誰一人……。
「カトーーッ!!」
「ギャーーーーッ!?」
――ドカーンッ!!
そんな少し物悲しい雰囲気も、アディーテには関係なかった。
彼女は突然飛びかかって来て、不意を突かれた僕はソファーごと真後ろに倒れ、顔面同士が衝突事故を起こしたんだ。別にロマンスはない。
「ぐぎぎぎ、石……頭……!」
「カトー! このあまいの、もっと食べたいーっ!!」
アディーテは馬乗りのまま、僕の首を掴んで揺さぶる。
「ぐ、ぐるじ……」
「アディーテ殿! カイト殿が永逝なされる、落ち着かれよ!」
「アウー!? ごめんだカトー! だから教えて?」
ベルク師匠が止めてくれたおかげで助かった……。
アディーテ……食べ物のためなら猪突猛進、恐ろしい娘っ……!
「ごほっ……さっきのやつか……。それが、どこでもらったかは覚えていないんだよな、多分形状からして大福だと思うから探してみるよ。だから今は我慢して」
「アウー、わかった! 自分でも探してみるーっ!」
アディーテの瞳の中には大福の浮いた宇宙が見える……。
お肉ばかりと思っていたけど、やはり彼女も女の子、甘いものも好きなようだ。
拠点内から食材がなくならないように言い聞かせよう。
◇◇◇
カイトとサクラと拠点を回った後で、私たちはテュルケとノウェム、ルコも誘って管理棟にある湯殿に来ていた。
「ふぅ、気持ち良い……。迷宮の奥にこんな立派な湯殿があるなんて、不思議だわ」
「元々は人が住んでいたからでしょうか、水量は豊富で界層の上から下まで滝が流れ落ちていますからね」
湯殿は広いけれど、私とサクラは肩を寄せ合い入っている。
内部は迷宮と同じ青色の石材で造られていて、湯船はニ、三十人が入れるほどにゆったりとした広さね。雰囲気も良く、同じような湯殿が全部で三つあるそうだから、今ここはシュティーラが貸し切りにしてくれたの。
「ふわぁ~、お湯が光るなんて不思議ですぅ~、お星さまみたいですですぅ~♪」
「ええ、本当に綺麗。最初は驚いたけれど、濃い神力が溶け込んでいるのね」
テュルケの言う通り、私たちが浸かる湯は青く輝く粒子が煌めいていて、浴室内には夜灯もなく湯の明かりだけが下から照らしている。
不思議な光景……こんな神秘的なものに、人が触れても良いのかしら。
「神力そのものというより、結晶化したものが湯に紛れ込んでいるそうですね。これより迷宮の奥に進むため、疲れを癒やし活力を与えてくれる湯として長年親しまれていますよ。ノウェムさんの神脈にも良い影響があるはずです」
「ふむむ……まるで主様の腕に抱かれるような心地良さ……。我はこの湯に浸かり生涯を過ごしたいぞ……」
「あはっ、それは私の腕の中だからだよ~」
「ぬあっ!? おぬし、いつの間にっ!?」
「ノウェムちゃんはちっちゃくて、すべすべぷにぷにで抱き心地良いんだもん」
「ふわわっ、本当ですっ! 吸いついて赤ちゃんのお肌みたいですですっ!」
「ちっちゃい言うなっ! テュルケも撫でるなっ! あーっ、やーめーんーかーっ!」
「何をしているのかしら……」
「ふふっ、普通の湯では体の奥にまで伝わるこの感覚はありませんから。結晶になるほどの神力に触れ、心身ともに解きほぐされているのかも知れません」
サクラはそう言って青く光る湯を掬い、上せたような表情で見ているわ。
今の彼女は同じ女性の私から見ても色気があるから、カイトには絶対に見せられないわね……。けれど、確かにこの心地良さは普通の湯と比べ物にならないくらいで、ずっと浸かっていたら癖になってしまいそう……。
「カイトにも、ゆっくり浸かるようにしっかりと言い聞かせないとね」
「折角ですから、お背中もお流ししましょう! 喜んでいただけるでしょうか。うふふ」
「そっ、それは一緒に入るということ!? 今更だけれど、ダメよっ!」
「うふふふふ、カイトさんもきっと喜んでくれます! 男性れすから、女性に興味を持っていただかないと逆に困っれしまいます! ヒックッ!」
……?
な、何か、サクラの様子がおかしいわ。
肌が急に赤くなって、目も焦点が定まっていないの。
「サクラ、上せて……いえ、酔っ払っているの……!?」
「うふふ、そんらことはないれすよ? らしかに、神力に敏感らと酔いに似た症状が……あれ、リシィさんがいっぱい……。はい、ご注文はお酒れすか? はいっ、承りまひたっ、直ぐにおらししますね~。うふふふふふふ、カイトはんはろこれすかぁ~?」
なっ、なんてこと……いつの間にかサクラは酔っ払ってしまっているわ……!
彼女は湯から立ち上がり、裸身も隠さず頭を揺らして外へ出て行こうとしている。
こっ、これは、カイトのところに行こうとしているのは間違いない……!
「皆、手伝って! サクラを落ち着かせるのっ!」
「姫さま、どうしま……あわわわ、サクラさーんっ!?」
「あはっ、サクラちゃんが茹でダコみたい、大変だ~」
「くふふ、何故か目が回るのだが……ぶくぶくぶくぶく」
「ノウェムまで!?」