第九十ニ話 真紅の皇女 前編
神器の記録か……この情報は流石に整理しきれないな……。
神代では人と龍が争い、また龍と龍まで敵対していたように思える。
とりあえず、サークロウス総議官との面談を前に“夢”のことは後回しだ。
「カイトさん、こちらです」
「あ、ああ、気を引き締めないと」
僕は思考を保留にし、サクラに案内された執務室に入った。
内部は、探索者ギルドには大抵ある応接室とあまり大差ない。
やはり部屋の中央には向かい合うソファがあり、サークロウス総議官は堂々と座って紅茶を口にくつろいでいる。
更に奥の執務机には柔和な表情を浮かべた壮年の男性が一人、恐らくはこの第三拠点の責任者だろう。
「良く来た。さあ座れ」
サークロウス総議官は、有無を言わさず僕たちに着席を促した。
失礼を承知しながら改めて彼女を見ると、やはり“赤い”以外の感想が出てこないほどに全身が真紅で染まっている。
瞳はルビーのように赤々と燃え、彼女の纏う騎士の正装もやはり赤く染め上げられたものだ。徹底した寒色のなさはある意味で潔いけど、その全身が表しているのは間違いなく彼女の剛胆さなんだろう。
ソファに座った僕たちは、奥からサクラ、僕、リシィ、何でいつも僕が真ん中なのかは良くわからない、気が付くといつもこうなっているんだ。
当然、僕の正面にはサークロウス総議官なので、まじまじと観察する彼女を前にまさに僕は産まれたての赤子、蛇に睨まれた蛙の気分になってしまう。
「貴様のその右腕はやはり神器なのだな。表層を覆う濃い神力は、【神代遺物】でもまずお目にかかれないものだ。流石は龍血の姫の神器というわけか」
「お褒めに与り光栄だわ、サークロウス卿」
「『シュティーラ』で良い、名で呼んでいただけるか」
「では、私も『リシィ』で良いわ。シュティーラ」
「リシィか、光栄に思う」
今、僕の目の前では気安い王族同士のやり取りが行われた。
リシィの騎士とはいえ、普通だったら背後に立っているべきだよな……。
それに、僕は“三位一体の偽神”という謎の存在に関わる来訪者で、そもそもがこの世界では最もな異端中の異端だ。サークロウス総議官の裁量次第では、この場で斬り捨てられてもおかしくない。
彼女の双眸はどこまでも勇ましく、精悍ながらも美しい顔立ちはまだ僕と同じ二十代に見える。だというのに、この圧倒感と責任ある立場で人の上に立つ存在……これは、一体どれほどの濃密な時間を過ごしてきた結果か……。
額に竜種とは異なる角が二本生えていることから、仮に“鬼種”としておく。
「カイト クサカ、貴様も私のことは名で呼べ。サクラはいくら言っても私のことを名では呼んでくれないからな」
「当たり前です。サークロウスさんは私の上役に当たりますから」
「な? ここまで堅いのは見事とは言え、私的な時間でも呼んでくれない」
「は、はい、では僕はシュティーラさんと。僕のこともカイトとお呼び下さい」
「……まあ良いだろう。カイト、今更だが然と覚えたぞ」
皇女様の覚えか……何かリシィやノウェムとは全然違うな……。
シュティーラさんは皇女と言うか……そう、“将軍”の印象なんだ。彼女を前にして感じた豪胆さと、あの大百足を一刀両断した剣の冴え、師匠側の武人だ。
そんなことを考えていると、今の今まで執務机に大人しく座っていた男性が、まるでバレエを踊るような足取りでズズイと前に出て来て会釈した。
「ホホッ、次はワタクシですな。ワタクシ、第三拠点シェハイムの探索者ギルドマスター兼管理官のヨーハイム ホイホイと申します。龍血の姫君にお会い出来て光栄ですゾー! 『ヨーさん』と呼んでいただいて構いませんゾ?」
おお……日本人的に“ホイホイ”はどうなんだろうな……。
それに何だろう……体のバランスがおかしい。柔和な笑顔は良いとして、異様に発達した上半身と、それに釣り合わない短い脚の差がアンバランスなんだ。
空想上で思い当たる種族がいるとしたら“ドワーフ”、ギルドの礼服が全く似合っていないことまで一種の愛嬌になってしまっている。
「それじゃあ……ヨーさんで、よろしくお願いします」
「ホホォォォォッ!? ワタクシを『ヨーさん』と呼んで下さったのは、貴方様が始めてですゾー! ワタクシ、貴方様にゾッコン☆」
なにこの人!? 切なそうな表情で手を握られた!!
「やめないかホイホイ、ふざけるのは名前だけにしろ」
「あ、やはりふざけた名前だったんですね」
「ホホォ、酷いですゾー!」
リシィとサクラまで頷いている、本当にふざけた名前のようですゾ。
「さて、まずはアレクシア チェインバースのことからだ」
「はい、彼女の処遇はどのように……?」
シュティーラさんは、ヨーさんを再び執務机に追いやって本題に入った。
お咎めなしにはならないと思うけど、便宜を図るようには進言したい。
「結論から言うと無罪だ」
「えっ?」
「そう呆けるな。あの能力が有用であることを測れぬ無能なら別だが、あれがもたらす恩恵は今までに訪れた来訪者の比ではない。故に、ルテリア及び行政府への長年の奉仕を条件にお咎めなしとした」
「それは、何と言うか……ありがとうございます」
「他人事に貴様が礼を言うのか、報告にあった通りだな」
報告……間違いなくアケノさん経由だから、どう伝わっているのか心配だ。
「それにな、奴は当分の間ここを動かせん」
「防護壁の修復が完了するまで阻塞気球の制御ですか?」
「異常な察しの良さも報告にあった通りだな。それが固有能力ではないとすると天性のものか、ふむ……私の副官にならんか?」
「ダッ、ダダダメッ! シュティーラッ、カイトは私の騎士よっ!!」
「ほう……リシィは随分とこの男にご執心のようだ」
「んっ!? そそそんなことはないわ! こんなヘタレ騎士は貴女の元では直ぐに音を上げてしまうだろうから、私が躾けなければいけないのっ!!」
「そんなー!?」
「はははっ! 言動が一致していないな、私は謀れんぞ。その美しき瞳が何よりの証左だ。心根を物語る瞳か、龍血の姫でなければ貴女こそ私の元に欲しい」
この人、色々と隠しもせずにズバリズバリと言うな……。
リシィは頬を赤く染め、僕とシュティーラさんを慌てたように交互に見ている。
僕の中で、シュティーラさんが“最強”に位置づけられた瞬間だ。
「サークロウスさん、これでは話が進みません。カイトさんもリシィさんも困っていますから、話を逸れないようにお願いします」
「おお、すまん。話を続けよう」
違う、“最強”は僕の隣にいた。
サクラは姿勢を正し、この剛胆な皇女様に面と向かって意見する。これじゃ、誰からも畏敬の目を向けられるわけだ。
あれ、最初はリシィがそんな印象だったけど……隣の彼女は、頬を染めて僕を上目遣いで見ている。瞳の色が青い、どうしたんだ……?
「私がここまで来たのは、カイト クサカ、貴様に用があったからだ」
「“三位一体の偽神”について、僕がアレクシアのような狂信者となり得るか測るためですか? そして、そうであるなら自らが対応すると」
「貴様とは話が早くて助かる。ならば迅速に答えも聞こう」
「むしろ、“三位一体の偽神”を無力化、出来れば排除しようと考えています」
「あっはっはっ! ツルギの言っていた通りだ! 私を評価する言葉に良く『剛胆』が含まれるが、曲がりなりにも神を排除とは貴様のほうが余程『剛胆』ではないか!」
「あれは人にとって最悪となり得る存在ですから。今回の第三拠点を襲撃した“大百足”も、奴らの手によるものと僕は考えています」
「『ヘカトンケイル』とは、その言い分では“大百足”のことであろうが」
「あっ、すみません。僕が勝手に名付けました」
「ホホッ! その命名、頂戴しましたゾ! 特に決まりはないですが、墓守の名付けの多くは来訪者によるもの、『ヘカトンケイル』……ワタクシも思わず小躍りする響きですゾー!」
「貴様はいつも踊っているではないか、落ち着け」
「ですゾー……」
ヨーさんは言葉通り小躍りして、一瞬でしょんぼりした。
それにしても、墓守の名付けは北欧神話からの引用が多いようだけど、スペースエレベーターを世界樹に見立てたからかな……。だとしたら、蛇じゃないけど『ヨルムンガンド』にするべきだったのかも知れない。
何にしても、複数人の名付けのせいで最早統一性もないな。
……
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“天の境界”……北欧神話のアース神族の国“アースガルズ”、似ているのは偶然だろうか……。
“神器の記録”から、筋の通る推測を立てるなら理由はいくつかある。
単純には、神代でもこの世界に迷い込む地球人がいた。他にも、この世界そのものが北欧神話の世界で、地球に物語として持ち帰られたなんてこともあるかも知れない。そうなると、帰れる可能性も出てくるけど……。
何にしても答えは出ない……やはり、グランディータに直接話を聞きたい。
僕は、この世界で何をするために呼び寄せられ、力を与えられたのか……。