第八十八話 第三拠点を目指して
廃城街ラトレイアは、青い石材で造られた幻想的な趣の街だ。
通路沿いにある街灯と壁を這う植物まで青白い光を発しているので、明かりは必要なく、少しの薄暗さがかえって神秘性を強調していた。
水が流れ落ちる街の底を見下ろすと、遥か彼方に輝く青い光も見える。神脈の塊だろうか……まるで月のようだ。
かつての人々が築き上げ、今はもうその有り様を知る者のいない遺跡。
その中を進んで街角にいくら思いを馳せようとも、どんな理由があってこんな地底に住んでいたのか、僕にわかるはずがなかった。
これだけの神代文明を崩壊させた出来ごと……やはり、戦争だろうか……。
「カイトッ、燃えているわ!!」
「えっ!? あわわわわっ!?」
そんな幻想世界で、妄想に足を踏み入れていた僕は、リシィの声で自分の右腕が炎を発していることにようやく気が付いた。
慌てるも何とか気持ちを落ち着かせると、青く燃える炎は直ぐに沈静化する。
「カイトさん、大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫。特に熱くはないんだ」
「ふむ、何とも奇妙な様になったものだ。リシィが加減を間違えたのではないか?」
「えっ、そんなことは……そうなのかしら?」
「僕に聞かれてもわからないけど、神器を再形成してリシィは何ともないんだよな?」
「ええ、私は何ともないわね……」
「それなら良いんだ」
そう、僕の右腕はリシィに再形成されてから変わった。
これまで鈍い灰色だった甲冑は、今は磨き上げられた銀色になっている。
銀槍と同じ色になったんだけど、問題は甲冑の隙間から青光が漏れていて、恐らくは僕の感情に呼応して炎が噴き出すんだ。
青い炎……考えられる原因は、ルコからもらった“青光の雫”しかない。
この炎は、服を燃やしたり熱かったりはないから、神力の塊だと認識している。
ただ使い方がわからず、ルコのように武具を形成することも出来ない。
「あは、でもすごく綺麗だね。カイくんがいれば明かりも必要ないし」
「僕は便利グッズじゃないんだけどな……」
ルコは青炎を抑えた僕の右腕を指で突付きながら、そんなことを言った。
この界層ではあまり恩恵はないけど、確かに暗い場所だと僕の周囲だけ明るい。逆に言うと、隠れなければならない状況でも目立ち過ぎて隠れられない。
言うなら“人間ランタン”か、もしくは“歩く街頭”と少し間抜けな感じだ。
そんな僕の様子を、前を歩くアリーが肩越しから訝しげに見ている。
「な、なに……?」
「アナタ、始めて会った時から思ってたけド、出鱈目だワ。こんな人を相手にしてたなんテ、正気に戻った後だと怖くてあまり関わりたくないワ」
「貴様、事もあろうに主様を侮辱するとは、そこにむぐぅ!? あうじしゃまーっ!?」
「ノウェム、ダメだよ。もう少しの辛抱だから、喧嘩はダメ」
「ぐぬぬ……」
またしても喧嘩が始まりそうだったので、僕は咄嗟にノウェムの口を塞いだ。
ここは迷宮下層で、今は本来“壁”である部分を歩いているんだから、喧嘩なんかして下手に足を踏み外そうものなら、確実に奈落の底まで落ちる。
「皆さん、重力方向が変わります。お気を付けくださいl」
まずはサクラが、次にミラーが壁から天井に移動して行く。
ここも第四界層と同じで重力方向が一定じゃないけど、床の構造自体が壁や天井に繋がって建物自体が反転するので、どこが足場かはわかり易かった。
比較して視覚的には楽と言うだけで、難所であることには変わりないんだ。
もしも今の僕たちの状態を額縁から覗く人がいるとしたら、まさに錯視の絵画の中にいるように見えてしまうことだろう。
逆さまに歩いている時に、界層の底を見上げるのは何とも恐ろく、胸の奥がくすぐられるようでどうにも慣れない。
「ふわわぁ、何だかムズムズしますですぅ」
全く同じ感想の人がいた。
「はは、テュルケは可愛いなあ……はっ!?」
そんなテュルケの頭を思わず撫でそうになったけど、思い留まる。
隣を歩いているリシィがジト目……じゃないな、目を逸らされた。と思ったらまたこちらに視線を向け、目が合うと何も言わずにまた逸らす。
な、なんだろう……。
「リシィ……大丈夫か……?」
「な、なななんのことかしら、べっ、別に思い出していたわけでは、あっ……誘導尋問ね、酷いわっ! カイトなんてもう知らないんだからっ!!」
「何の話!?」
ああ……何だか良くわからないけど、リシィは急に怒って先に行ってしまった。
「今のはぁ、姫さまの自滅ですぅ。カイトさん、大丈夫ですです」
「僕のせいじゃないのなら良かったけど……いや、良くない気もするよ?」
「うふふ~、大丈夫ですぅ。姫さまは、きっと今頃反省していますです!」
「……うん?」
何を思い出して……色々と僕がやらかしたからな……。
告白したり、そう言えば何気なく頭を撫でてしまったりと……思い当たる節はどれかひとつと言うより、あのリシィの様子では全部なのかも知れない……。
「あは、私はリシィちゃんのあんなところも好きだな~。カイくんは?」
「うん? 当然、僕はリシィを主として慕っているから、嫌いにはならないよ」
「う~、そう言うことを聞いてるんじゃないんだけど~。カイくんは、器用で不器用な朴念仁ってちょっと度を越してるよ。もう少し、女の子の気持ちを考えてあげて!」
「ごめんなさい!?」
これは自分でも自覚しているだけに、酷く手痛いところを突かれた。
テュルケとルコはお互いに『ね~』と納得し合っていて、是非僕にも納得のいく説明をして欲しいけど、それを言うとまた怒られるんだろう。
もうこの際だから、経験豊富そうなアケノさんに……はダメだな。
―――
一応大事を取り、第三拠点までの行程は二日に分けることにした。
途中で何度か労働者や従騎士、時に守護騎士に遭遇したけど、アリーが何やらちょちょいとすると動きを止めて自ら界層の底に身を投げるから、もう何が何やら墓守が可哀想にすら思えてきてしまっている。
今は二日目の午後、昼食を取った後で再び廃城街を上っているところ。
予定通りなら後小一時間、夕方になる前には第三拠点に辿り着く算段だ。
「なあ、アリー」
「何、カイト? A☆KE☆NO様の同人誌はあげないワヨ?」
「特に要らないよ。それよりも、墓守を活用しないのか?」
アリーの能力も数の猛威はどうにも出来ず、今の僕たちにはタンカーがいないことから、大盾持ちの守護騎士は身投げしないで鹵獲して欲しかったんだ。
「だって、可愛くないでショ?」
「えっ、それだけの理由?」
「それだけの理由とは何ヨ。アリーにとっては重要なこと……そう言えバ、お気に入りの巨鷲を粉々に破壊してくれたワネ?」
「あっ!? あ、あれはお互い様だ、謝りはしないよ」
「そうだけド、ダッド……あの子くらいの可愛い墓守はなかなかいないワ」
藪蛇だった……話題には気を付けよう。
アリーはどこか遠い目で、恐らくは両親を思い出しているんだろう。
色々と思い出させる言動は慎むようにしないとな……。
それにしても、廃城街はどこまでも続いている。
“重積層”と言うくらいなので縦に積み重なった建物が軒を連ね、進んでいる割には横方向の移動量があまりない。
こんな複雑な立体構造の迷宮で、本当に人が住めていたのかも疑問だ。
ラトレイアに住んだ人々は、何を思ってここにいたのか……。
「カイトさん」
「ん? どうかした?」
先導して進んでいたサクラが、突然踵を返して僕の元にやって来た。
彼女の獣耳はピクピクと聞き耳を立て、何かを早々に捉えたんだろう。
「戦闘音が聞こえます」
「探索者が戦っているのか? 近く?」
「いえ、かなり大規模な戦闘ですね。近くには第三拠点が……」
「何だって……!?」
耳を澄ますと、僕にも辛うじて砲音が聴こえてくる。
向かう第三拠点が墓守に襲撃されているのか……確か、アリーが防護壁を破壊してしまったと……まずいな……。
僕たちも万全じゃないから避けたいけど、戻れるほどの物資もない……。
「みんな、状況的に進むしかないと思う。覚悟は良いか?」
「覚悟も何も、困難に陥れられた人がいるのなら、私たちは迷わず手を差し伸べるの。それが龍血の姫として、ううん、私の矜持でもあるわ。そうでしょう?」
「……そうだな。僕は“正義の味方”も受け継いだ。行こう」
そして皆も一様に頷く、誰一人として臆すことはない。
ルコから受け継いだ青光の想い、躊躇うことなく人々のために振るおう。