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第八十六話 彼女が笑った日

 ◇◇◇




 ルコとアリーを止めてから一日が経過した。

 私たちは広間の隅に野営地を設営して休息を取っている。



「リシィ、手をどうかした? 大丈夫か?」

「大丈夫よ……ルコを斬った感触が残っているだけなの」



 そして、私が荷物に紛れて隠れるように一人でいたところを、カイトが目聡く見つけて声をかけてきたの。



「リシィが斬ったのは“肉”だよ。恐らくは墓守の生体組織と同じもので、ルコを斬ったわけじゃないんだ」

「それでも、それは結果論だもの。ルコを斬りつけた事実は変わらないわ」

「うん……まあそうなんだけど……」



 それはきっとカイトも同じね……。ルコを打った時はとても悲しそうで……堪え切れない憤りが滲み出ていて……傍で見ていた私も胸を締めつけられていたもの。


 だから私は、カイトを救いたいがために、ルコを斬りつけてしまった……。


 私がこんなでは、そんな彼に余計に心配をかけてしまうわ。

 誰よりも深く傷ついたはずなのに、誰よりも早く立ち直るなんて……私は主として、カイトの強さを見習いたい。彼よりも前を歩いていたいの。


 それに……。



「カ、カイト……」

「うん?」



 私が荷物の間に座っているせいで、目の前に腰を下ろしたカイトと向き合う形になってしまっている。



「ルコと戦っている時に、カイトは、あの……私に何か言ったわよね」

「……あっ! い、言ったと言うか、告白してしまったと言うか、何と言うか」



 カイトは不審に思えるほど慌てているわ。

 彼が慌てるのはいつものことだけれど、そんな姿も……私は……。



「あの時は良く聞こえなかったの、もう一度言ってもらえないかしら?」


「えっ!?」



 これは、我ながら意地が悪い……本当はしっかりと聞こえていたもの、彼が私のことをす、す、す……うぅ、ここっこんなの間違っても口には出せないわっ!

 それをカイトに改めて言わせようとするなんて、意地汚い……。けれど、もう一度彼の口から、面と向かって言って欲しかったんだもの……。


 彼は私の正面で居住まいを正し、けれど視線は宙を泳いでいる。



「えーと……僕は、リシィのことが……リシィの、リシィに、笑って欲しいんだ?」



 ……


 …………


 ………………



「えっ、それだけ……?」


「えーと……それだけじゃないんだけど、面と向かって改めて言うとなると、とてつもない覚悟が……い、いや、あの時は勢いで言ったわけじゃなくて……当然本心だったけど、あの、その……今は心構えが?」



 んんんんぅ……? 

 あ、あそこまで告げておきながら、どうして今更口籠もるの……?


 ……もう……もう! もうっ! もーっ!!



「カイトのバカッ!! このヘタレ騎士っ!!」


「えーっ!? あ、あれ、リシィ? その反応はやっぱり聞こえていたよね!?」

「知らないっ! カイトなんて、“にゃ”に射たれてしまえば良いんだわっ! ふんっ!」


「なにそれ!? 本当にごめんなさい! もう一度機会を、僕に挽回する機会を今一度! 見捨てないで!」



 はぁ……本当にカイトらしいわ……。彼は今、日本で最上の謝罪を表すと言う“ドゲザ”をしている。その低頭平身な姿勢は思わず感嘆してしまうけれど、どうして彼は肝心な時以外はどうしようもないのかしら。


 ……いえ、それは私もだわ。

 向けられるばかりで、返すことをどこかで恐れてしまっている。

 本当は、私からも言葉で気持ちを伝えるべきなのに、“龍血の姫”の枷がどうしても一歩踏み込むことを躊躇させてしまう……。


 【神魔の禍つ器】……私は、私の内にあるものは一体何なの……。


 だからカイト、ごめんなさい……今はまだ、もう少し待っていて欲しいの。

 必ず、この気持ちに答えを出してみせるから、どうかそれまで……。



「べ、別に見捨てたりはしないわ。貴方は良くやってくれているもの」

「良かった……。その、覚悟が出来たら伝えるから、今は……」


「ええ……焦らなくても良いわ。お互いに……」

「あ、ああ……?」



 それでも、今だけは彼に精一杯の気持ちで報いたい。そうね……。



「貴方は本当に仕方がない人だわ……。それでも、いつもありがとう……カイト」




 ◆◆◆




 ……


 …………


 ………………


 僕の精神世界で、そこに住まう全ての人々が踊り狂った。

 祭の開催、この日は恐らく未来永劫に続く聖日となり、全ての国民が黎明に感謝を捧げる祝祭となるだろう。



 そう、リシィが笑ったんだ。



 前に見た一瞬の儚い微笑ではなく、僕を見て満面に笑う姿はまさに女神。

 美の女神さえも恐るるに足らず、辺り一体に光の加護をもたらしてしまう、そんな太陽の化身が降臨した。

 陽光の輝かんばかりの眩しさと、月光のどこか物憂げな優しさ、その両方を兼ね備えた笑顔は、かくして僕の生涯で唯一の宝物となった。


 今ここに、スマートフォンがないことが悔やまれる……。

 もしも写真に収められたら、僕はそれを眺めるだけで生涯を終えることになるのは間違いない。いや、物言わぬデバイスにその全てを収められるか……否だ。


 この笑顔、僕の生涯を賭して守り抜いてみせる。



「カイト? カイト!?」


「……あ? ああ、ごめん、異世界転移してたみたい」


「カイト、しっかりして! ここは貴方にとって異世界よ!?」

「そうでした」



 残念なことにリシィの表情はもう戻っているけど、僕の様子に慌てながらもどこか恥ずかしそうに頬を赤らめている様は、これまたグッジョブと言わざるを得ない。


 最高か……今なら魔王が現れても、鼻息で吹き飛ばせる気概がある。



「お二人とも、どうかしました?」

「あ、ああ、何でもないよ。サクラ、ルコの様子はどう?」



 トリップしたけど忘れはしない、ルコは今テントの中で眠っているんだ。


 ルコを止めた後、ほどなくして意識を取り戻したサクラは打ち身だけで済み、テュルケは肩関節を脱臼していたものの、直ぐに手当てをして全治一週間ほど。ノウェムも夜には目を覚まして、今はサクラと交代でルコの様子を見てくれている。



「今のところ容態に変化はありません。右腕も外傷とは違うようですし、今は様子を伺うことしか出来ません」

「うん……ありがとう。後は僕が見ておくから、サクラも少し休んで」

「はい、カイトさんもあまり無理をしないでくださいね」

「はは、充分に心得ておくよ」



 僕は、緋剣は、ルコから右腕を奪った。

 そしてその力は、彼女の過去を消し去るに等しい。

 因果の原因となる部分を斬り、その結果で生み出された過去を焼いた。


 恐らくルコは、この世界に来てからの記憶を失うだろう。

 初めからなかったこと(・・・・・・)にされたんだ。“お婆ちゃん”とやらにも会わず、“肉”を埋め込まれることもなく、神器に対する尖兵となることもない。当然、青光の能力も始めから持っていない。

 全てが失くなるわけではないけど、原因に起因する記憶や経験は全て消える。


 彼女が目を覚ました時、それは果たして誰なのだろうか……。


 過ぎた時間すら覆す力、【緋焚の剣皇レーヴァティエヴォルツォ】。

 その覆滅の力は、安易に振るってはならないものだ。

 リシィが躊躇した理由もわかる、もう二度と使いたくはない。



「姫さまー、カイトさーん、お水汲んで来ましたですです!」

「テュルケ、ご苦労さま。腕が治るまでは休んでいても良いのよ」

「えへへ、片手で持つくらいなら私でも出来ますです!」


「アリーがいれば、一人で墓守に遭遇しても楽勝だワ。迷惑かけた分は返すシ、その代わりA☆KE☆NO様を紹介してもらうワ」

「アリー、助かる。それは地上に帰ったらね」


「オウ、サクラサン! お手伝いはあるでゴザル!? 拙者、サクラサンの手となり足となり、何でもするでゴザル!!」

「いえ、今は大丈夫ですよ。休憩中ですから」



 三人は近くにある水場から水を汲んで戻って来た。

 アリーの“墓守操作”は本当に便利で、戦うことさえ必要としないんだ。

 流石にこの後は地上に戻り、当分は行政府の管理下に置かれるだろうけど、その能力はルテリアの在り方を根本から変えるものだ。上手く扱ってもらいたい。


 何にしても、“三位一体の偽神”の力は万能でないことがわかった。

 人の心次第では、それに抗うのも決して難しくはないんだ。

 ほんの少しだけ、光明が見えた気はする。


 そして……希望と同時に、何よりの重大な懸念もひとつ増えた。

 因果を覆す緋剣……因果を操る偽神……ひょっとして、この二つは繋がっているんじゃないだろうか……。答えを出すには早いけど、そんな常識外の力がそこかしこにあっても困る。


 だとすると……“三位一体の偽神”は神龍……?


 いや、そうすると今度はリシィ……神器が狙われる理由がわからない。

 神龍が与え、その神龍に狙われると言うのも、どうにも筋が通らない話だ。


 未だに墓守が何かも見えてこないし……まだピースが足りない……。



「主様、ルコが目を覚ましたぞ!」



 ノウェムがテントから頭だけ覗かせて告げた。

 僕は思索の淵から顔を上げ、重い足取りでテントに向かう。


 絶望に脚が竦んでも、決して絶やすことのない希望を胸に祈りながら。


 どうか、僕の知るルコでありますように……。

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