第八十五話 受け継がれる青光の想い
「あれ、カイくんって左利きだったっけ?」
「いや、右利きだよ。ルコを相手するには、拳を握ったほうがマシだと思って」
ルコの言う通り、僕は緋剣を左手に持ち替えていた。
二刀流に対して手が足りないのなら、自分も両手を使えば良いと浅はかな考えだ。
剣筋が見えていなかったわけじゃない、なら同じだけの手数をもって、これまで届かなかったルコの背に届かせる。
「ふふぅん、益々おもしろいかも! あははっ!」
ルコは両手の青剣を同時に振る、僕もまた緋剣と銀拳を同時に振る。
斜め上から袈裟斬りにしようとするルコの右剣を緋剣で弾き、水平から肩口を狙った左剣も銀拳で防いだ。
剣と拳がぶつかり合い、腕が弾かれたことによってお互いの体が開く。
唯一残ったのは、防御に徹し内に絞っていた僕の銀拳だけ。
この隙は逃さない、狙うはルコの右肩、まずは利き腕を封じる。
「あはっ! 負けないっ!」
銀拳が伸びると同時に、ルコの靭やかな左脚も持ち上がり、体勢を崩しながらの回し蹴りが僕の右腕越しに頭部を狙った。
だけど僕は一人じゃない、僕の背にはいつだってリシィがいる。
賢明で誇り高き彼女は、弱さを抱えてもなお強くあろうとする。
決して守られるだけでは終わらず、必ず僕の支えとなってくれるんだ。
そうして、ルコの視界外から割り込んだ光盾が、速度に乗る前の回し蹴りを抑えた。
彼女が気を取られた隙に、捻り込むように伸ばした銀拳が右肩を打撃する。
「あっ……あうっ!?」
ルコは打たれた衝撃で一回転し、足元に土埃を立てながら退いた。
驚いた表情は、喧嘩の時でも手を出すことはなかった僕が殴ったからか。
僕も幼馴染を、女の子を殴ったのは始めてで酷く気持ち悪い。
「いたっ……カイくんが……私をぶった……」
「ごめん、ルコ。だけど、言い訳はしない。何が何でも君を取り戻す」
そう、ルコを操る何者かとの関係を斬り裂くまで、僕は全ての胸糞悪さを飲み込んで決して躊躇しない……!
「わああっ!!」
ルコは、まるで子供が駄々をこねるように飛びかかって来た。
姿勢を屈めると、僕が背にしていた鏡面の柱に青剣が叩きつけられる。
そうして、我を失った力任せの一撃と柱のあまりの硬さに、剣を握り締めたルコの掌が裂けた。顔を歪め、手を離してしまった左剣が青光の粒子と消える。
「ルコ、ごめん……!」
――ギイィィィィンッ!!
僕はルコが床に下りる前に腹を打って昏倒させようしたけど、銀拳は彼女が無理な姿勢から振るった右剣に阻まれた。
ルコは打たれた力を利用して遠ざかり、床に下りることもなく柱を蹴る。
消えた左剣の代わりに形作ったのは、青光の拳。
「あはっ! カイくんと同じカタチッ! 絶対に負けないからっ!!」
柱を蹴って強襲するルコの青拳と、待ち受ける僕の銀拳が打ち合った。
――コオオオオォォォォォォォォンッ!!
青色と銀色の衝撃が石床を震わせ、大気に波紋を残して柱の合間を抜ける。
重い衝撃に僕の全身は軋み、ルコもまた左腕の肩口から血を流した。
「ぐっ……何てことを……」
「あは……あははっ、楽しいね! 本当に楽しいねっ!!」
「嘘だ! 本当に楽しいなら、何でルコは泣いているんだ!!」
痛みに堪えられなかったのか、それとも僕と拳を交えたことが悲しいのか、ルコは自分でも気が付かない内に涙を流していた。
空虚に笑いながら、涙の筋だけが止め処なく頬を伝っている。
「え? 泣いてないよ?」
「そうか……わかった……。やはり、元から斬る」
怒り、悲しみ、沢山の感情がない交ぜになり、僕ももう泣きたかった。
だけど泣かない。彼女を取り戻すその時まで、全ての感情はこの拳に込める。
この緋剣でルコを斬る。
「ルコ、来い」
「あはっ! うん、もっと遊ぼうっ!」
―――
勢いを増した斬撃と打突が、柱の合間で反響する。
剣戟は終わらず、より一層警戒したルコに緋剣の刃は届かない。
柱の合間を交互に縫い、剣と剣が打ち合い、時に拳と拳も火花を散らす。
僕の柱の陰を利用して虚を突こうとした行動は、同じことを考えたルコの強襲で終わり、リシィもあれ以来手を出せないまま、永遠に続く剣閃は無限の残響となって疲労だけが蓄積していった。
「はあっ、はあっ、強い……これじゃいつまで経っても……」
「あははっ! 凄いよっカイくん! あの頃と比べてすっごい強くなったんだね!」
ルコは狙っていたはずの神器から、今は僕に意識を逸らしている。
やはり完全に操られているわけではなく、捻じ曲げられているだけなんだ。
後はそれがどこからか……いや、どこかさえわかれば……。
「ルコ!!」
ルコを呼ぶ声とともに、横合いから昏倒させる勢いの光盾が迫った。
それも彼女は、一歩足を引いただけでいとも容易く避けてしまう。
だけど、横から見ていた僕には見えていた。
光盾の後ろには、リシィが自ら詰め寄っていたんだ。
命を狙われているにも関わらず、決死の突撃は何をなそうとしてか。
ルコは一歩下がったことで、背後に隠れたリシィに気が付いたんだろう。その急襲に、慌てて青剣を振り上げようとしたところで、遅かった。
リシィが振るったのは、金色に光り輝く剣。
金光で形作られた剣、思いも寄らない近接用の光剣の具象化だ。
リシィは“遠距離攻撃をするもの”とどこかで決めつけて、僕にも思いも寄らないその一閃は、ルコの右腕の手首から先を斬り落とした。
「きゃああああああああぁぁぁぁぁぁっ!!」
ルコの悲痛な叫びが、柱の合間で余韻を残して響く。
「ごめんなさい、ルコ……けれどもう終わりよ。私が、カイトの痛みも、貴女の痛みもともに背負うわ」
「痛い、痛いよ……何で、リシィちゃん……何もしてないのに……」
「本当に……本当に……ごめんなさい……」
リシィは痛ましく見えるほどに唇を噛み締めた。
彼女もまた、ルコの右腕とともに自らの心を斬り裂いたんだ。
だけど、リシィの決死の行動で、僕は探し続けたものを見つけた。
ルコの斬り落とされたはずの手首からは、血が一滴も滲みすらしていない。
その断面では“肉”が蠢き、再び右手を形作ろうとしてか正体を明らかにする。
アレが、ルコを人ならざるものにしていた正体、彼女を囚える“原因”だ。
その瞬間、僕は石床を蹴った。右脚の神器の膂力を解放し、放射状に砕けた石床を残して一瞬でルコの眼前に肉薄する。
ルコはリシィに気を取られた結果、僕にも虚を突かれることになって焦ったのか、これまで頑なに使わなかった青光の斬撃を飛ばした。
だけど、床面を這う三重の斬撃に僕は阻めない。脚を斬られようと、肉が削がれようと、骨が断たれようとも、この緋剣を届かせる。
「捉えた……!」
「あっ、カイ……く……ん……」
僕を目の前に、ルコは何故か悲しげに笑った。
「ルコを縛る因果、今ここで覆す!! 【緋焚の剣皇】!!」
緋剣でルコの右肩の“肉”を斬るとともに、彼女は全身を業火に包まれた。
【緋焚の剣皇】――浄化の炎で因果を焼き斬る覆滅の神剣。
一歩違えれば、斬った存在の全てを無に返してしまう諸刃の剣だ。
例え過ぎた過去だろうとも、時の狭間に揺蕩う“原因”を見つけて焼き斬ることで、その後の結果をなかったことにしてしまう、真の“覆す力”。
だから僕は斬った、ルコを捻じ曲げた“肉”を。
その影響がどこまで及ぶかは、振るった僕にもわからない。
少なくともルコは青光の力を失い、それに紐づけられた記憶や経験、技術の全てを失うってしまうだろう。
そして、もし緋剣の力がはじまりにまで及んでしまった場合、ルコは……。
【神魔の禍つ器】……そう呼ばれる所以もわかる、危険な力だ。
「カイ……くん……」
ルコは炎に包まれたまま話しかけてきた。
「カイくん、ありがとう……。私の本当の気持ち、わかってくれて嬉しかった……」
「ルコ、ごめん。今も、小さかった頃にも酷いことを言った、本当にごめん」
「ううん、それは良いよ……私こそごめんね……。リシィちゃんも、ごめんね……」
「ええ……私は気にしていないわ……だから、だから……」
「えへ、カイくん、リシィちゃん、生まれ変わってもずっと友達でいてね」
「ああ、勿論だ……僕たちは、幼馴染なんだから」
「ええ、私だってカイトに負けないくらいの親友よ」
赤く燃える炎の中で、ルコが一筋の涙を流した。
それを彼女は残された左手で受け止め、僕に腕を伸ばす。
「カイくん、もう一欠片しか残ってないけど、私の力……」
「良いのか? この力は……」
「どうせもうなくなっちゃうから……リシィちゃんを守るために、使って欲しい」
「……わかった。ありがたく受け取る」
この力も、彼女の浄化とともに消えてしまうのではないかと思う。
だけどその力、いや“想い”か……例え消えてしまおうとも、僕が受け継ぐ。
捻じ曲げられた“正義の味方”は消え、受け継いだ青光の一滴だけが残った。