第八十四話 緋剣降臨 ある夏日の後悔
「ああ、我が君の御心のままに」
リシィは滲んだ涙を払い除け、強い意志の宿った眼差しで顔を上げた。
僕の思いも寄らない告白を、彼女がどう受け止めたのかはわからない。
ただ少し、ほんの少しだけ何かが変わった。
「カイト、右腕の再形成もするわ。堪えなさい」
「えっ!? それは、リシィに負担が……」
「貴方が私に想いを尽くしてくれるのなら、私も心の底から応えたいの」
「……わかった。なら僕もリシィを心から信じるだけだ」
そうしてリシィは緩やかに黒杖を掲げ、僕も合わせて銀槍を交差させる。
彼女から立ち上る金光は暖かく、それは直ぐに色濃くたぎる赤光に変わった。
彼方に飛ばされたルコが、上体を屈めて走る勢いを増す。
「旭日を統べし者 金烏玉兎に揺蕩う者 紅鏡を背負う者――」
リシィの神唱が始まり、心地の良い音色は僕を夢へと誘う。
―――
――蝉の鳴き声が聞こえる。
空を見上げると、目眩を覚えるほどの青と、白く連なる入道雲。
これは、白昼夢だ……幼い頃の記憶、まだルコが傍にいた頃の夢。
「じゃあつぎわ~、ルーが“レッド”で、カイくんが“かいじん”ね!」
「やだよ! ルーちゃんばっか“レッド”やってる!」
ある晴れた夏の日、僕たちは近所の公園でヒーローゴッコをして遊んでいた。
今でも覚えている。日曜の朝になると、家が隣のルーちゃんはうちに来て、良く一緒にヒーローアニメを観ていたんだ。そして、その後は揃って公園に行き、その日に観たアニメの内容を模倣して日が暮れるまで遊んだ。
彼女のいることが当たり前の日常は、本当に他愛のないものだった。
“正義の味方”に憧れ、どこまでも真っ直ぐに歩む少女“ルーちゃん”。
年上でその頃の僕よりも体の大きかったルーちゃんは、いつだって僕の手を引いて先頭を歩いていた。そんな少女の背をついて行く少年にとっては、それがどれほど眩しい存在に見えていたか。
僕にとってのルーちゃんは、“正義の味方”以上の指標で、憧れだった。
……だけど、その思いは永遠に続かない。
時の流れは僕に少年なりの矜持を芽生えさせ、あの夏の日、つい思いもしないことを口にしてしまったんだ。
「ルーちゃんは“せいぎのみかた”になれないんだよ! レッドはおとこしかなれないんだもん! ルーちゃんはおんなのこだ!」
自覚のない残酷な言葉は、きっと少女の心を深く傷つけた。
僕は悔しかったんだと思う。彼女の背をただ追い駆ける自分ではなく、憧れの少女を守る存在になりたかった。ただ、それだけだったんだ。
結果として、一人の少女を失ってしまった。
彼女との最後の記憶は、“血溜まりの中に倒れたルーちゃん”。
僕の身勝手な言葉に傷つき、道路に飛び出したところを車に跳ねられた。
ルーちゃんがどこへ行こうとしたのかはわからない、泣いていたようにも思う。
僕は、自分の人生から、唯一本物の“正義の味方”をこの時に失った。
これは僕の、忘れようとしても忘れられなかった記憶。
今もまだ彼女の背を追い続け、“正義の味方”であろうとする僕の執着。
“英雄”になりたいわけじゃない、“正義”をなしたいわけでもない、僕はただ、一人の少女を守れなかったことを未だに後悔していただけだ。
そうだ……僕はまず始めに、ルーちゃんに謝りたかったんだ……。
―――
一瞬の白昼夢は、体の内から燃えるような熱に掻き消された。
リシィの神唱に呼応し、僕に交わる龍血が燃えている。
熱い、只々熱い、体の全てが焼けてしまうのではないかと思うほどの熱。
だけどそれは幻ではなく、銀槍を本当に溶かした。灼熱の塊となった右腕から立ち上る陽炎の中に、日輪を背負う巨大な存在を幻視する。
“緋焚の剣皇 神龍エウロヴェ”
太陽を背に人の未来を照らし、時に過去をも焼き尽くす龍、彼の陽光を映す逆鱗で作られた緋剣“レーヴァティエヴォルツォ”。
銀光と赤光が混じり合う浄火の炎が、溶けた右腕に新たな姿を形作る。
鈍い灰色は輝く銀色に変わり、甲冑の隙間を流れる赤光の血潮は力強く脈動する。曲がる肘、回る手首、そして五本の指は自分自身の意思で空を掴んだ。
「万界に仇する祖神 緋剣を以て断て 葬神一剣――」
右手に紅蓮の炎を纏って顕現する、緋焔の神剣【緋焚の剣皇】。
リシィが夕陽色の瞳で迫るルコを見据える。
この緋剣の力は、下手をするとルコを消し去ってしまうだろう。
だからこそリシィは躊躇し、それでも決死の覚悟を決めた。
ならば僕も決死をもって挑む。ルコを止めるんだ。
「あはっ、ずるいっ! 禍つ器を使うのはずるいよぉっ!!」
戻ったルコは、一陣の疾風となって僕たちを強襲する。
両の青剣を迅雷の如く振り、その軌跡は美しく煌めく青光を残した。
ゲームでは良くあるエフェクトに酷似し、だからこそ剣筋は見える。
一閃、ルコの十字斬りの交差点を狙い、僕は緋剣を振り上げた。
――キイイィィィィッッ!!
「あっ!?」
ルコは両剣を打ち上げられて体が開き、僕は間髪入れずに斬りつけた。
だけどどうか、彼女はあろうことか弾き上げられた力を利用して上体を逸らし、迫る勢いも殺さずに足を滑らせる。
袈裟斬りになるはずの斬撃を潜り抜け、僕の股下までも一瞬で滑り抜けるルコの狙いはリシィ。最初から最後まで神器だけを狙っている。
どんな身体能力か、ルコは背の力だけで跳ね上がって青剣を振り下ろした。
それに対し、リシィは黒杖で凌ぎながら光盾を形成しようとする。
「クッ、ルコォッ!!」
――バンッ! バンッ! バンッ!
「わわっ!? あっぶない、何するのアリーちゃんっ!」
弾丸と炎の軌跡を残した斬撃が、今まさにルコのいた場所を通り過ぎた。
発砲したのは認識阻害で隠れていたアリー、今はハンドガンを構えている。
だけどルコは、その全てを何事でもないように避けてしまった。
「リシィ、大丈夫か!? 血が!?」
「ええ、すれ違いざまに腕を切られたわ。でも浅いから大丈夫よ」
「あの状態から斬りつけてくるのか……」
「カイト! 状況が良くわからないけド、そこの青いのが敵で良いのネ?」
「いや、助かったけど手を出さないで欲しい。彼女を止めるのは僕の役目だ」
「意味がわからないワッ。持てる戦力の全力投入は基本ヨ!」
アリーは訝しげな様子で、ルコどころか僕まで睨んだ。
「ミラー、倒れているサクラたちを頼む!」
「オ、オーケー! サクラさんは拙者に任せるでゴザル!」
サクラとテュルケは倒れたまま、ノウェムは転移陣を使ったことで、今は鼻血を出して柱にもたれかかっていた。
「ゆっくりどうぞ~。邪魔しなければ、悪いようにしないから大丈夫だよ~」
ルコは青剣をクルクルと回しながら、アリーに酷薄な笑みを向けている。
その眼差しは次に撃ったら容赦しないと暗に告げ、アリーも察したのか、銃口こそ向けてはいるものの、トリガーから指を離して憎々しげに睨むだけだ。
「さて、カイくん、続きをやろうか~。邪魔は入ったけど、カイくんと遊ぶのはすっごく楽しいよ♪」
「僕はあまり楽しくない。刃のついた得物でやるべきじゃない」
「あはっ、それもそうだね。でも手加減はなしだよ~」
ルコは笑った。本当に楽しそうに、狂気を纏った正気で。
「リシィ、光盾を分割して防御に徹するんだ。その間に僕が何とかする」
「ええ、お願い。カイト、無茶はしないでね」
リシィは僕の後ろ、付かず離れずの位置で三枚の光盾を展開する。
お互いが直ぐ支援に入れる位置、ルコを相手に一人では恐らく勝てない。
対人はベルク師匠と散々模擬戦をしたけど、師匠とルコではあまりにも戦い方が違う。師匠の難攻不落の防御型に対して、ルコはトリッキー過ぎる回避型だ。
良く動き奇をてらう相手は、対人ゲームでもあまり良い思い出がない。
斬撃と体術を掻い潜り、この緋剣の刃を届かせる隙が果たしてあるか。
「行っくよ~♪」
ルコは言葉と同時に、地面と平行する跳躍で僕に迫った。
二本の剣を合わせた剛の一閃は、緋剣ごと叩き斬ろうとする。
――キキィイイィィンッ!!
「うわっ!? 硬いっ、禍つ器ずるいっ!」
ルコは話しながらも次々と斬撃を繰り出し、その表情は余裕。
対して僕は、一言も答えることが出来ず防戦一方になってしまっている。
二対の青剣は縦横無尽に上下左右斜めから繰り出され、片方を防御すると片方に斬られ、一瞬の隙にルコ本人を狙おうとすると蹴りで体勢を崩される。
斬り結ぶ度に僕は赤い筋が増え、だけどルコには掠り傷ひとつ与えられない。
戦闘経験に差があり過ぎる……その背はあまりにも遠い……。
「あはっ、楽しいっ! カイくんとこんなに遊んだのは、子供の時以来だねっ!」
だけどおかしい、これだけ何度も斬られて致命傷がない。
浅く斬られた皮膚からは血が滲むけど、動きに支障が出るほどではない。
ルコは本当に遊んでいるかのように、僕を前に楽しそうに笑っているんだ。
……本当に……楽しそうか?
貼りついた酷薄な笑みは、本当に笑っているか?
瞳の奥の青光は、笑う外見とは裏腹に小さく悲しげに揺れている。
「ルコ、本当は嫌なんじゃないか?」
「ん~、何が?」
「神器を壊すとリシィまで傷つけるとわかっていて、本当は、心では拒絶しているんじゃないか?」
「……あはっ、変なカイくん! 私がリシィちゃんを傷つけるわけないじゃない!」
笑う。彼女は変わらずにただ笑う。
だけど違う……ほんの一瞬だけ、青い炎は小刻みに揺れた。
見つけたぞ、ルコ。