第九話 お茶漬けが出て来た
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「――トさん――カイトさん、着きました。起きてください」
ぼんやりとした微睡みの中、心地の良い声音が聞こえる……誰だろう……誰かに起こされる経験なんて、もう長いこと……ふぉーっ!?
目を開き視点が定まってくると、目の前に……と言うか上?からサクラが覗き込んでいて、僕は急速に意識を引き戻された。
こここの状況は、どう見ても《状態異常 膝枕》! 付加効果じゃなくて負荷効果だ、心臓的な意味で。
「ごご、ごめん、寝ていた?」
ゆっくり上体を起こすと、僕の動きに合わせて彼女も体を引いてくれた。
残念なことに、寝落ちしていつの間にか……なので、膝枕の感触なんて一切あったもんじゃない。ただ、ほのかに鼻孔をくすぐる甘い花のような香りだけが、これが現実なのだと教えてくれている。
「はい、お疲れになられていたようなので、横にさせていただきました」
「あ、ありがとう」
サクラは嫌がった素振りもなく、相変わらずの笑顔だ。これで初対面とは。
好感度ゲージが仕事をしていない気がする……最初から妙に高い気がするけど、僕ではなく“日本”に対して印象が良いのは間違いない。
そうして馬車から降りると、外では既にリシィとテュルケが待っていた。
「気持ち良さそうに寝ていたわね」
「おはようございますです!」
「あ、うん、おはよう」
あれ、何かリシィが、明後日の方を向いてツンとしている。瞳は紫色だ。
今までの観察で、緑が平穏な時、赤は警戒や敵対、黄は関心や興味かな。今は、良くわからない。
彼女の瞳の色が、感情を表しているのは明らかだけど、流石にまだ数時間程度ではその全てを把握は出来なかった。
紫色か……赤に青、寝ながら何かしたかな……。
「ホッホッホッ」
笑い声がした方を見ると、御者台にはシルクハットを被り燕尾服を着た、大きな卵にしか見えないちょび髭の紳士が手綱を握っていた。
僕は思わず目を丸くする。どうやらこの世界には、自分の想像を超える多様な種が存在するようだ。
紳士はサクラが降りたところで、会釈をして馬車を走らせて行った。
下りた場所から周辺を見渡す。
もう日は落ちているのに人通りは多く、街灯があるため街並みは明るい。
二車線ほどの路は石畳で舗装され、建物は三階から六階建てで中世ヨーロッパ風の石造りだ。ただ、ショーウィンドウがあったり、どう見ても鉄筋コンクリートにしか見えない建物もあったりと、所々に近代化も見て取れる。
来訪者のせいだろうか……。
路を歩く人々も多種多様で、どうにも統一性がまるでない。
迷宮の入口で見た探索者たちと同じく、獣的な特徴を持った人が心なしか多い。サクラのような人を基礎とした獣人が一番多く、その中の三割ほどが言い方は悪いけど直立した獣の姿そのままだ。
「強いて言うなら、『モフモフパラダイス』かな。最高だ……」
「はい? カイトさん、どうかしましたか?」
「えあっ!? ななんでもないです」
口からダダ漏れだった。幻滅されないよう、言動には注意しよう。
幸いなことに、僕の心の声は人々の喧騒が掻き消してくれたようで、サクラは小首を傾げただけだった。本当に気を付けないと。
「カイトさん、こちらです」
サクラに先導されて、直ぐ傍の路地へと入っていく。
人三人が並んで歩けるほどの小路で、どことなく下町の風情がある坂道。
「あれ、リシィたちもこっちなの?」
「ええ、私たちもサクラの宿処に泊まっているのよ。何か不都合でも?」
「え、いや、そうだったのか。それは頼もしいな……はは」
あれ……やはりツンケンしている。
身に覚えがないので、謝って良いものなのかもわからない。
助けを求めるようにテュルケを見ると、彼女は僕とリシィの顔を交互に見ていて、僕と目が合ったことに気が付くと嬉しそうに笑った。な、なに……?
そうこうしている間に、坂道を中ほどまで行った辺りでサクラが歩みを止め、僕に振り返って告げた。
「こちらが私の管理する宿処になります。今日からカイトさんの家でもあります」
指し示され、街灯に照れされた建物を見上げる。
サクラの格好から、和風家屋でもおかしくはないと思っていたけど、そこは周囲に馴染んでいるモダンな西洋風の建物だった。
サクラに促され、僕たちは路地に面した外階段を上り始めた。
建物はそれなりの勾配の途中にあるため、一階部分が半分埋まったようになっているようだ。階段は中二階に上がるほどの高さで、その先は左に折れる廊下と、少し奥まった場所に玄関の扉がある。
「少々、お待ち下さい」
サクラが鍵を開けて中に入っていくと、しばらくして明かりが点灯した。
やはり、電気的なシステムがあるようで、天井にあるのは電球だ。
恐る恐ると室内に入ると、ほのかな香りが漂ってくる。上品で甘く、それほど強くもない控えめな花の香り。見ると部屋の片隅には、シクラメンのようなピンク色の花を咲かす小鉢が置いてあった。
なるほど、サクラの纏う優しい花の香りはこれか。
内部は見る限りでは喫茶店だ。入口から見て左側にカウンター、その向こうには食器棚を挟んで階段があり、更に上に続いている。そのまま視線を右に巡らすと、正面には奥に続く廊下、廊下を挟んだ右側の壁際には、やけにもっふりとした印象の白いソファー。
その前には円形のテーブルと、同じデザインの椅子が置いてあり、既にリシィが腰を下ろしていた。
「直ぐにお食事をご用意しますね。お掛けになって、お待ちください」
明治モダンな趣の室内は、両手を揃えて立つサクラが見事にベストマッチしていて、僕は思わず感心してしまった。異世界風コスプレ喫茶……だったりは……。
と、とりあえず、リシィに習って僕も円卓に座る。
カウンターでは、サクラがいそいそと食事の用意を始め、テュルケがお茶を淹れている。趣の異なるメイドさんが、二人でカウンターにいるのも何か不思議だ。
「気になるの?」
「えっ?」
黄色い瞳をしたリシィが僕に訪ねてきた。
表情自体は、出会ってからここまで殆ど無表情なんだけど、瞳の色が感情を表しているとわかると、実はコロコロと変わっていることがわかる。
「いや、僕の世界では、本物のメイドは中々お目にかかれる存在じゃなかったから、少し感心していたんだ」
「そう」
それだけ……!? 本当に馬車内で何があったんだ。何だか凄く気まずい。
お茶を運んで来たテュルケのお陰で、何とかその場は乗り切ったけど、テュルケはテュルケで何か絶えず嬉しそうにしている。
わからない、全くわからない……。僕はどうすれば良いのか……。
―――
「美味しい! 美味し過ぎる!」
何と言うことでしょう。程なくして出されたのは、あろうことか“お茶漬け”だ。
陶器の茶碗に、木のスプーンを添えられたお茶漬けが、僕の予想を良い意味で裏切って食卓に出て来たんだ。
漬物と味噌汁まで添えられていて完璧。ありがたいを通り越して拝みたい、サクラ神教とかあったら入る。
僕だけではなく、同じくお腹を空かせていただろうリシィとテュルケも、黙々とお茶漬けを食べている。
ほのかなお茶の香りが出汁の味を引き立て、スプーンで口に頬張ると、噛んだ傍から出汁と混ざり合ったお米の甘みと、鮭っぽい何かの塩みが口一杯に広がり、噛めば噛むほどに旨味で心が和んでしまう。
三者三様に、無我夢中に、スプーン一杯ずつ減るのがが惜しく思えるほどに、お茶漬けは勢い良く量を減らしていく。
隣ではサクラが、僕の食べるのをにこやかに見守っていた。
食べているところを見詰められるのは、非常に食べ難いのだけど、仕方ない。
腹減りに美味しいは勝てない。
食後には緑茶が出され、ここに来て僕はようやく一息吐けた。
それにしても大変な一日だった、一生分の奇跡を使い果たした気分だ。
「ふぅ……美味しかったわ。日本料理って、繊細なのにとても深い味わいよね」
「はい、まだまだ本物の料理人のようには行きませんが、精進しますね」
「充分だと思ったけど、凄い美味しかったよ」
「ですです、とっても美味しかったです!」
「ありがとうございます♪」
本当にこれは奇跡だと思う。異世界に来てお茶漬けを食べられるとは、星の海から地球と同じ環境を見つけ出すほどの奇跡ではないだろうか。
「カイトさん」
「ん?」
「明日は、実際にこの街をご案内しながら、この世界のご説明をさせていただきますね。本日はお疲れかとも思いますので、もうお休みになりますか? それとも、お風呂に入られますか?」
『それとも、わ、た、し?』……とはならない。変な妄想をしてごめんなさい。
本音を言うと、お風呂に入りたい。汗まみれ、泥だらけで人様の家の布団に入るのは失礼だし、日本人の気遣いとしては駄目だ。だけど、ご飯を食べたせいか、緊張が解けた身体の疲労が限界でもうぶっ倒れそうなんだ。
今のままだと、メインブースターがイカれていないのに水没しそうだ……。
「今日はもう、休ませてもらっても良いかな……」
「はい、お部屋にご案内しますね」
「お休みなさい……カイト」
「カイトさん、お休みなさいですです!」
「リシィ、テュルケ、お休み。今日は本当にありがとう」
不意に訪れることになった異世界での一日が終わる。
出来れば、明日からは平穏に……僕は心からそう願った。